第10話 私が一番好きなのは
十一月下旬。午後四時前。
季節は冬に差し掛かり、昼間でもしっかりと風が冷たい。しかも今朝方に凄まじい雨が降ったせいかいまだに日も出ておらず、厚着だけでは足らずついにコートを引っ張り出した。
「あー、いたいた」
待ち合わせ場所の駅前。
ジッと無表情で立ち尽くすハクさんは、氷の妖精のような容姿にスーツ姿なのも相まって、物語の世界から飛び出してきたような美しさだった。何人かの男が目で追うも、外国人であることと近寄り難いオーラによって、無言で通り過ぎてゆく。……どんなナンパ師でも、あれに突撃するのは無理だよな。
「すみません、ハクさん。待たせちゃいましたか?」
俺が来たのに気づいた彼女は、ぱぁっと鈍色の雲を吹き飛ばすように明るく笑った。
この人が可愛いのは十二分に知っているが、二秒前までの無表情とのギャップが凄まじくて一瞬息が止まる。
「遅いよぉー! 三時間くらい待ったじゃん!」
「えっ!? や、約束の時間、お昼の四時でしたよね!?」
俺が伝達ミスをしたのだろうかと心配になり尋ねると、彼女は「そうだけどー」と頬を膨らませる。
「……お買い物、楽しみだったから。い、家にいてもソワソワしちゃうし、早く出て来ちゃったの! 伊波のせいだよ!」
そんな無茶苦茶な、と俺は呆れ気味に笑った。
ハクさんは俺のコートの袖を掴み、「早く行こっ!」と急かす。……仕方ない人だな、まったく。
「三時間も待たせちゃったところ悪いですけど、そこまで楽しみにしてた価値があるかどうかはわかりませんよ。ガッカリしないでくださいね」
「いいのいいの。友達とお出かけするってことに、価値があるんだから!」
目を細めたくなるような眩しい笑顔。
……忘れたわけじゃないけど、この人、俺を殺しに来てるんだよな。本当にいいのか、これで。いやまあ、俺としては助かってるけど。
「んで、どこ行くの? スーパー?」
「今日の焼肉のお肉とは別に、今度の動画用に塊のお肉も買いたいので、商店街の精肉店に行こうかなと思ってます」
「しょうてんがいって?」
「色々なお店がある通りのことです。精肉店の他にも野菜売ってたり、食事ができたり、服が買えたり」
「あぁ、マーケットのことね。ちょっと前に私、タイのマーケットに行ったよ」
「いいですね。何買ったんです?」
「ううん、何も。同業者に襲われてカーチェイスしてただけだし」
「日本では絶対にやらないでくださいね」
お気に入りの商店街を荒らされては困るので、一応釘を刺しておいた。
◆
「あらぁ、伊波さんじゃない」
駅から徒歩三十秒のアーケード商店街。
その敷地に一歩踏み込んだ瞬間、入口に店を出すたい焼き屋のお婆さんに声をかけられた。
「あ、どうも。こんにちは」
「こんにちは!」
元気に挨拶をするハクさん。
映画から飛び出してきたような銀髪美女にお婆さんは一瞬驚くも、「こんにちはぁ」と温和な声で返す。
「いいわねぇ、伊波さん。可愛い彼女さんができて」
「あっ、いや、そういう関係じゃないので。ただの友達です」
「そうなの? ふふふっ。まあ、そういうことにしておきましょうか」
不敵な笑みを浮かべているところ本当に申し訳ないが、彼氏彼女どころか殺し屋とターゲットなんだよな。
「外国の方? どちらからいらしたの?」
「あー……えっと、その、アメリカです。日本には留学のために来てて」
「あらまぁ、そうなの。遠いところからわざわざ大変ねぇ。ちょっと待って、いいものあげるから」
そう言ってたい焼きを二つ紙で包み、俺とハクさんに渡した。
代金を払うよう言うが、お婆さんは首を横に振って頑なに受け取ってくれない。
「ありがとう、お婆ちゃん! でも、これなに? 甘い匂いするけど……」
「たい焼きと言って、小麦粉をといた生地であんこを包んで焼いたものです」
「……つまり、甘いからあげってこと?」
「違いますね」
「いや、知ってたよ? 知ってたけど、あえて聞いただけ。伊波の知識を確かめようと思ってさ」
相変わらずの無意味な知ったかぶりを披露。
……にしても、どんだけ唐揚げ好きなんだ。
いや、気に入ってくれたのは嬉しいけど。
「食べてみてください。美味しいですよ」
俺が食べて見せると、ハクさんもそれに倣って頭から齧り付く。
外はサクッ、中はモチモチ。あんこはしっとりと上品に甘く、ほんのりとした温かさが心地いい。
「ん~~~っ!! うまっ!! 何これうまー!!」
サクッ、サクッ、ムシャムシャ。
瞬く間に半分を口の中に収めて、ご満悦のハクさん。
相変わらずのいいリアクションで、お婆さんも嬉しそうだ。
「これ、すっごく美味しいよ! お婆ちゃんが作ったの!?」
「そうよぉ。ここで五十年、ずーっとこればっかり作ってるの」
「すごーい! 達人だね! サムライだね!」
幸せいっぱいで頬張るハクさんを見て気をよくしたのか、もう一つサービスしてもらった。彼女は遠慮なく受け取り、モシャモシャと笑顔で胃袋に収める。
「お嬢さん、うちのもどうだい」
「いいのー!? ありがとう!」
その様子を見ていた隣の和菓子屋の店主が、饅頭を持ってやって来た。
これまたハクさんは美味い美味いと食べて、今度は向かいの洋菓子屋がクッキーを手にやって来る。
精肉店まではそう遠い距離ではない。
なのに矢継ぎ早にハクさんが餌付けされるため、中々どうして前に進めない。
まあ、気持ちは十分理解できる。
可愛くて愛想がよくて反応がいい外国人だ。あれこれ世話を焼きたくなるよな。俺だって似たようなもんだし。
「……」
串焼きをもらってご満悦のハクさんを横目に、俺は無意識のうちに軽く奥歯を噛んだ。
何というか、もにょる。
商店街に入ってから、ずっと心がもにょもにょする。
……たぶん俺、嫉妬してるな。
俺が作ったもの以外で、ハクさんが喜んでるから。
「はぁー……」
大きく肩を落としながら、ため息をついた。
最悪だ。
自分のことながら、気持ち悪いにもほどがある。
知り合ったばかりで、何を一丁前に独占欲みたいなもん発揮してるんだよ。何様だ俺は。
誰が何食ったっていいだろ。
俺に関係あるか? ないよな、うん。
「これもうまー! もう全部全部美味しくて、ここに住みたくなってきちゃったよー!」
「そ、そうですか……」
どうにか人ごみを脱し、精肉店へ向かう。
ハクさんは串焼きを食べ切ったところで、ちょいちょいと俺の服の裾を引っ張った。
串をどこかに捨てたいのだろうか。
そう思って視線をやると、彼女は軽く背伸びをして俺の耳元へ唇を近づける。
「私が一番好きなのは、伊波の料理だよ……?」
そっと囁いて離れ、ニシシと白い歯を覗かせた。
こ、心を読まれたのか? いや、単にそう伝えたかっただけだろう。
……何にしても、死ぬほど恥ずかしくて急激に顔が熱くなる。
「皆に悪いから、今のは二人だけの内緒ねっ」
唇の前で人差し指を立てて言う彼女に、俺はニヤけそうな口元を隠しながら小さく頷いた。
――――――――――――――――――
あとがき
カクヨムコンのプロ部門ランキングにて、本作が36位まで登ってきました。
もっともっと上を目指したいので、レビュー等で応援して頂けると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
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