第2話 外はサクッ、中はジューシー


 ――こんなに美味しい料理、生まれて初めて食べた。


 仕事で忙しい母親のためにカレーを作ったのが、俺の原点だ。

 あの時の言葉が堪らなく嬉しくて、料理が趣味になった。


 いつか自分の店を持って、もっと多くの人に美味しいと言ってもらいたい。


 中学の頃にそんな夢を抱き、高校に入るとバイトして金を貯め、就職後も貯金を欠かさず……。


 そして二十歳の夏、ついに自分の店を開いた。

 人生バラ色だった――が、ここからは雪崩のような右肩下がり。


 開店初日には最初の客としてトラックが突っ込んできて、店をメチャクチャにされた。

 それでもどうにか営業再開するが今度は強盗に入られ、レジに入れていたおつり用の金を奪われた上に殴られた。

 三度目の正直……と店を開けた朝。隣のテナントが火事を起こし、俺の店は一度も客に料理を振る舞うことなく灰になった。


 ボキッと、自分の心が折れる音を聞いた。

 もう立ち上がる余裕などない。


 しかし死ぬ勇気はないし、店を出すのに結構な額の金を借りてしまったので、何とかして返す必要がある。


 そんな時、一円にでもなればいいやと思って始めたのが動画投稿だ。


 料理を作ってレシピを紹介するだけの動画。

 ありがたいことに再生数はそこそこ回っており、チャンネル登録者は5万人と、何とか食べていくことはできる。最近は料理を作りながらの配信もしており、その時の投げ銭もバカにならない。


「唐揚げの下味はこんなもんで。詳しい分量は動画で言ってるんで、概要欄のURLから飛んで参考にしてみてください」


 午後七時過ぎ。

 つい一時間ほど前に突発的に唐揚げが食べたくなり、調理の様子を配信していた。


:もう既にうまそう

:うちの旦那と代わってください

:レシピ参考にして作りました!


「あ、作ってくださったんですか。嬉しいです。ありがとうございます」


 同時接続数は300人ちょっと。

 うちのチャンネル――【伊波キッチン】の配信は、大体いつもこれくらいの人数。

 静かに流れてゆくコメントを眺めていると、ふと気になるものが目についた。


:伊波死ね

:この犯罪者

:うわ、また変なの出たよ

:最近よくいますよね

:動画消せ

:動画消せ

:伊波さん大丈夫?

:動画消せ


「あー、大丈夫です。すみません、すぐブロックするので、はい」


 荒らしをブロックし、コメントを打てなくした。

 ……まったく、どうして俺がこんな目に。


 こういったコメントが来るようになったのは、つい最近のこと。


 どこぞの誰かが、俺の動画を参考に料理を作った。

 それだけならありがたい話なのだが、調理中に包丁で指をグサッとやってしまい、かなり出血したらしい。


 結果、なぜかコメント欄やSNSで大暴れ。


 お前の動画を参考にしたからこんなことになったんだ、とメチャクチャな主張をしてきて、正直かなり困っている。

 俺のレシピが原因で腹を壊したとかだったら怒るのもわかるが、包丁で怪我とかレシピ関係ないだろ。どういう思考回路したら、俺に粘着してキレるなんてことになるんだ。


:唐揚げまだー?

:動画で見たけどマジでうまそうだった

:すごい量作ってますけど、それ全部食べるんですか?


「大量に買い込んだ鶏もも肉がダメになりかけてたんで。せっかくの命ですから、全部きっちり食べますよ」


:見た感じ痩せてるのに大食いなんですね

:料理作れてたくさん食べる男っていいなー

:伊波さん店出してよ、通うから


「店……店、ですか……はは……」


:あっ

:言ってやんなよ

:え? 何かまずいの?

:この人、客一人も来ずに店潰してるから

:くたばれ

:無視すんなクソが


「昨日この話したばっかなんで、アーカイブ見てください。……まあでも、そうですね。誰かに直接、美味しいって言ってもらいたい人生でした……」


 物悲しく笑うと、同情の投げ銭がいくらか飛んできた。


 それにお礼を言いつつ、荒らしをブロックする。

 見つけるたび弾いているが、そのたびに新しいアカウントを用意されてしまう。


 ……ったく、このイタチごっこはいつ終わるんだ。


:お前を始末するために一流の殺し屋を雇った


 ブロックした直後のこと。

 そんなコメントが流れ、思わず噴き出してしまった。

 

:殺し屋www

:殺し屋は草

:ウワーコワーイ

:今日で伊波さんとお別れかー


「ぷっ、ふふっ……い、いや皆さん、笑っちゃダメ……ぐふっ、ダメ、ですって……! 本当に殺し屋が来るかもしれないんですから!」


:一番笑ってるのお前だろ

:そりゃ笑うわw

:許さない許さない許さない許さない許さない

:でも一応、通報とかした方がよくないですか?

:料理下手なバカが自分の動画を参考に料理作ったら包丁で指切って、そのせいで殺し屋に命狙われてますって警察に言うの?

:こうやって経緯見ると、伊波さん被害者過ぎて同情する


「まあでも、あんまり誹謗中傷が続くようなら然るべき対応を取ろうとは思ってます。俺も顔出ししてるんで、リア凸とかされる危険は十分にありますし――」


 と、その時。

 ピンポンとチャイムが鳴り、背筋に寒気が走った。


:え

:まじ?

:殺し屋きた?

:これ終わったな

:殺し屋なんかいるわけないでしょ


「……宅配、かなぁ? すみません、ちょっと出てきます」


 うちは月3万の安アパート。

 インターホンにカメラなど付いておらず、玄関まで行って直接確認しなければいけない。


 念のためチェーンロックをして……っと。


 深呼吸をして、恐る恐る扉を開けた。

 するとそこには、高級感漂う黒いスーツを着た女性が立っていた。


 雪が降り積もったような白銀のロングヘアに、同じく銀の瞳。

 日本人離れした顔立ち。

 すらりと長い手足はモデルのよう。


 綺麗な人だなと一瞬見惚れるが、まったく見覚えがなく眉をひそめる。


「あなたが伊波?」


 冷たく鋭利で、研ぎ澄まされた刃のような美しい声だった。

 状況が掴めず沈黙する俺。それを肯定と受け取ったのか、女性は「そっか」と頷く。


「――……悪く思わないでね」


 ザンッ、と。

 女性は隠し持っていたナイフで、チェーンロックを切り裂いた。


「うわぁっ!? えっ、ちょっと、何なんですか!?」

「静かにして。すぐに終わるから」


:え、なに?

:これまずいやつじゃないですか?

:マジで殺し屋来たの?

:何かの演出でしょ


 うちは玄関から入ってすぐのところにキッチンがある、よくあるタイプの1K。

 女性がチェーンを切ったことに驚いた俺は、すぐさまカメラに映ろうと後方へ跳ぶ。これを見た誰かが、通報してくれるかもしれない。


「お、落ち着いてください! 話し合いましょう! 何なんですかあなたは!?」

「殺し屋」

「うわっ!! ちょ、ま、待ってください!!」


 床に尻餅をつく俺に向かって、女性は思い切りナイフを振り下ろした。

 どうにか腕を掴んで攻撃を阻止するも、向こうの力が強過ぎて切っ先がジリジリと迫って来る。


:本当にやばいやつだろ

:いやでも、殺し屋が殺し屋って言う?

:ネタに一票

:伊波さん、登録者伸びないって嘆いてたしテコ入れ始めたのかな

:殺し屋さん可愛くね?


 一瞬コメント表示用のサブ端末に目をやるが、真面目に受け止められていないようだった。


「これ、マジなやつですから!! 誰か通報して――」

「黙って」


 もう片方の手で口を塞がれ、俺の訴えは遮られた。

 女性の暴力的なまでに美しい瞳が、無感情に俺を見つめている。これは本当に殺す気の目だと、本能が察知する。


「ひとが来たら困るの。私、無駄な殺生はしない主義だから」


:うわかっけー!!

:今、通報してって言いませんでした?

:こうやって配信に載せてる時点で演出でしょ

:銀髪黒スーツで美女の殺し屋とかいい趣味してるじゃん


 ダメだ、まったく本気にされていない。


 普通に考えろよ! うちのコンテンツは料理系だぞ!

 配信中に殺し屋登場させて何が面白いんだ!?


「苦しまずに死にたいなら大人しくしてて。でないと、変なとこに刺さって最悪の最期を迎えることに――」


 と、その時。



 ぐぅうううううううううううううう――ッ!!



 突如キッチンに響く、空腹を告げる音。

 それは今まで聞いたことがないほど大きな音で、発生源である女性は恥ずかしそうに白い頬を朱に染めた。身体からも力が抜け、俺は口を塞ぐ彼女の手を払い退ける。 


「え、えーっと……」

「……何さ」

「今の、音は……」

「何でもな――」


 ぐぅううううぐるるるるる~~~~~~!!


 再び腹が鳴り、女性はキュッと奥歯を食いしばり悶絶する。

 急に緊迫した空気が失せ、俺も自分が知らないだけで何かの演出なのではと思えてきた。


「……教えられていた住所が間違ってて、朝からずっとこの家を探してたの。そのせいで何も食べてないんだから! あなたのせいだよっ!」

「いや、そんなこと言われても……」

「そもそもこの部屋、やけにいい匂いしない? まさかあなた、空腹を促進させる毒ガスでも使ったの!?」

「……今、唐揚げ作ってたんで。下味にニンニクとか醤油使ってるので、そりゃいい匂いすると思いますけど……」

「から、あげ……?」

「えっ。唐揚げを知らないんですか?」

「い、いやいや! 知ってる、知ってるよ! あれでしょ、あれ……えーっと、歌をうたうやつ!」

「それはカラオケです」


:急にコント始まったぞ

:冷静にツッコんでて草

:殺し屋さん唐揚げも知らないのか

:知ったかする殺し屋さん可愛い


「鶏もも肉を味付けして、薄力粉と片栗粉をまぶして油で揚げるんです。外はサクッ、中はジューシーで美味しいですよ」

「外はサクッ、中はジューシー……」


 ぐるぐるぐる、と彼女の腹はもう限界といった様子。

 口の端からは涎が零れ、瞳には欠片の緊張感も残っていない。


「あのー……よければ今から揚げるので、食べていきます?」

「なっ!? バカなこと言わないで! 私はあなたを殺しに――」

「む、無駄な殺生はしないって、さっき言ってましたよね!? 食材にだって命があるわけですし、今ここで俺を殺したら、食材たちは腐ってダメになりますよ! それって、無駄な殺生ってことになりませんか……?」


 無茶苦茶なことを言っている自覚はある。

 だが、ここで時間を稼げば、誰かが通報してくれるかもしれない。


 ……あと、我ながら頭がおかしいのかもしれないが、曲がりなりにも一人の料理人として空腹の人間を見過ごすことができなかった。


 お腹が空いていることほど、辛いものはない。


「あなたを殺したら……からあげが、死んじゃう……」

「そ、そういうことです」


 ぐるるる、とまたしても腹が鳴る。

 女性は頬をより深く染めて、ふいっと視線を逸らす。


「……それは、ダメな気がしてきた」

「ですよね! だ、ダメですよね!」

「言っておくけど、これは無駄な殺生をしないため、一時的に殺しを先延ばしにしているだけだからね! 別にからあげが食べたくて、あなたを生かしておいてるわけじゃないから! 勘違いしないでよ!」

「何ですかその、テンプレみたいなツンデレ台詞……」


:この状況で唐揚げ作るのかw

:面白くなってきた

:殺し屋さんの古き良きツンデレ感好き

:殺し屋さん可愛い

:伊波そこかわれ


 急展開に次ぐ急展開で加速するコメント欄。

 そしていつの間にか、配信中に殺し屋登場という情報をどこかで掴んだのか、300人程度だった同時接続数は5倍の1500人にまで膨れ上がっていた。

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