帰省中のある一日

笠井 野里

ある本屋さん

 地元に帰っても実家は退屈で、持ってきた数冊の小説は、一週間しないうちに読んでしまった。しかし帰ってきて最もしたかった、地元のかぐや姫伝説の博物館に行くことはしていないし、県内の美術館にあるロダンの彫刻も、未だ見ていない。どころか富士山すら満足に眺めることが出来ていない。地元の数少ない友人とも――

 ……出不精だ。


 台風七号はもはや過ぎ去っていた。昼三時。空は白鼠のような色で、風をたまに吹かせている。天気予報はくもりのち雨。読んでいたジッドの『狭き門』と、今書いていた恋愛小説の差が、私の中で妙な高揚感とフラストレーションによって運動のエネルギーに昇華していた。私は散歩がてら外に出て、地元の本屋に行こうと思った。数年前に出来たばかりで内装も凝っていてオシャレ、品揃えも確かだった。高校生の頃は、帰りの自転車で寄り道して本を買いに行くこともしばしばあった。


 私は、もはや妹のものとなって久しい海風で錆が酷い自転車に乗って、車ばかりが通るあの中途半端な田舎特有の道路に繰り出していった。


 歩いている人も、自転車に乗っている人もまばらなのに、車が横切る音は途切れることもない。川からはあまり良いとはいえない、独特な海の匂いか、それかドブの臭いがする。シャッターだらけの駅前商店街や、窓ガラスの割れた妙に年季の入った建物。あまり下宿先の東京、とは言っても多摩なのだが…… ――そこでは見られない風景である。東京の真髄は多摩にあるのだと思う。誰かが言う「東京は他の大都市を凄い広くしたのだ」という言説はあながち間違いではない。その外延も外延の多摩でさえ、駅前にはビルが林立し、それでいて自然と融和し新しく清潔で計画的な街がカビのように丘陵に広がる。


 私の地元は無秩序だ。駅と新幹線駅は遠く離れ、両方ともが寂れている。さらに合併前の二つの中心地の商店街は仲良くシャッター街。斜陽産業の工場がメインで、空気は澄んでいるとは言えないし、その現状から脱却できるような気はしない。


 しかし、自転車走っているとなぜかこの田舎を気に入っている自分がいる。今日はあいにく見えないが、晴れたら富士山があまりにキレイに優しげに、大きく私の目に映る。少し高いところに登って見下ろして見たら、眼下には、工場の煙突から出る煙と街並みが広がる。そのあまりに肉感のある美しさは、夜になればよけいに映える。――なんて妙に俯瞰して物事を考えてしまうぐらいには、地元愛があるのかもしれない。西の方は少し雲間が晴れて、少し日が傾いたのがわかる黄色の空を少し見せている。


 自転車でゆっくり道を見回す私は、少し大きな花屋を見つけた。ビニールハウス型で、店の前にも大量に花がおいてある。私は小説の材料としてこの時期の花を少し知っておきたかったので、花を見ておこうと思った。花屋の前で徐々にスピードを落としていた私は、駐車場にたった一台、トヨタ車が止まっているのを発見した。


 花屋の中には、一組のカップルがいた。二人共私と同年代ぐらいで、二人並んで花を眺めて笑っていた。彼氏の方は坊主で、花に興味がないような見た目をしている。


 私は、彼ら二人の空間を邪魔しては悪いと思って、花屋を通り過ぎた。――邪魔をしては悪いと思って? 頭の中で一度その疑問符をつけると、私はため息を一つついた。


 本屋まで来ると、駐車場は八割型埋まっていた。高校生の頃と駐輪場の位置が変わり、自転車で来ている人もいなかったので、私は駐車場を一周してようやく駐輪場を見つけた。


 本屋に入るとすぐに、木製で高くタテヨコの幅も広い本棚が私を迎えてくれた。きちんと表紙を見せる展示方法で、地元舞台の小説をいくつかピックアップしていた。あとはFIREやNISAの文字が光る、高校生の頃は好きだったビジネス本と、自己啓発本が並ぶ。


 天井は昔と変わらず高かった。そして洒落ている。文房具どころかアロマまでおいてあり、それどころかジャムまである。洒落ている。私はこういうオシャレ空間に合うほどオシャレな風体も顔もしていないため、この雰囲気は少し嫌いだ。


 店内には子供連れの家族やまた私と同じぐらいの歳のカップルが目立った。ただ、下宿先で一番使う本屋の大学生の多さに比べたら、よほど耐えられる。あの本屋にいるような「ショーペンハウアーにハマっている」と言って岩波文庫の棚の前で真剣な顔して彼氏の顔を見ている紫髪の女や、きのこ頭で眼鏡をかけた幼稚園生ぐらいの男児に英和辞典と漢和辞典をもたせる、おんどりみたいな教育ママンもいない。私はその点だけは安心をした。


 本の量も多い、私はそう思って店の中を回ったが、あまりの少なさに驚いてしまった。〈国内作家〉で一纏めにされた小説の部分は三棚もない。後ろの棚に目を向けるとMMTや四季報の文字列ばかり。出版社ごとに別れるわけもなく、作家名五十音順に並んでいる。


 私はジッドの『田園交響楽』と、下宿先の近くの本屋をいくつか巡っても見つからなかったモーパッサンの『みれん』が最初に乗っている短編集を買うつもりだったので、〈海外作家〉の棚に行くと、今度は一棚で終わっている。ジッドもモーパッサンも姿形すらない。そのくせアガサ・クリスティで少ない棚の一列は埋まっている。私は心の中でため息をついた。ああ、こんなにこの本屋を小さく思うなんて。


――結局、私は好きな某国内作家の本を買って、帰ることを選んだ。私の隣のレジでは、若い夫婦がイオンでなにを買うか話していた。私の対応した店員は、高校時代の同級生にどこか似ていて、うつむきがちになってしまった。


 本屋を出た頃には、見えていた晴れ間もまた消えていた。暗く重くなっていた雲は、帰り道の途中で大粒の雨を降らせた。車が水を撥ねるあのビシャアという鋭い音を聞きながら、ため息を二つも三つもついてそれから私の口から出た言葉は

「帰りたい」

 だった。


 ここでもなく、下宿でもないどこかに向けて放ったその言葉は、雨でも遠くからはっきり見える工場の煙突からの煙とともに、海の方に流されて消えてしまった。

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帰省中のある一日 笠井 野里 @good-kura

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