姉と瑞希と正義の果実


「明奈ちゃんのお姉さん……アメリカに戻っていたはずじゃ……」

「学会なんてさっさと終わらせて帰国してきました。なにせマイラブリーエンジェルがチャイナ服で奉仕してくれるんですからね」

「行動力がすごい」

「妹のためなら2回行動と全体攻撃だってできる。それが姉というものです」


 えへんと胸を張る玲。そんなお茶目な彼女に、瑞希はどこか親近感を抱いてしまう。

 片や頭脳明晰、片や学園一の劣等生。されど人を惹きつける魅力があるのは、数少ない玲と明奈の似通っているところだった。

 よいしょ、と瑞希の隣に座り込むと、彼女を覗き込むように玲は見つめてきた。


「ところで、瑞希ちゃん。先ほどからお困りのようですが、どうかされましたか?」

「ちょっと家庭の事情で色々と」

「ふむ。詳しく聞いても?」


 耳心地の良い玲の声に、瑞希も思わず言葉を紡いでしまう。

 父親との確執、美波との喧嘩、明奈への恋心。知らぬ間に、瑞希は自らの胸中をすべて曝け出していた。

 一通り聞き終えた玲は顎に手を添えると、優し気な笑みを浮かべた。


「それでしたら、秘密の言葉をこっそりと教えたいと思います。それは大丈夫、大丈夫。大丈夫、大丈夫と言えば、本当に大丈夫になってきます」

「そんなわけ……ありません」

「世の中そんなものですよ?言ったもん勝ち、やったもん勝ちなんですから。大事なのは経験ではなく、選択。あなたにしかできない選択の数々」


 親が子を慈しむように、玲は瑞希の頭を撫でた。そして耳元でささやく。


「貴女がこれまで歩いてきた道程に、無駄なことなんて1つもなかった。貴女は自分にできる全てを投げ打って、この瞬間まで歩いてきた。その選択の数々は、誇るべきことです」


 丁寧に諭す玲の言葉が、瑞希の空っぽの胸を打った。空虚な内面に、何かが響く。


「誰にも私は許せない」

「私が許します。瑞希ちゃんの恋心を知っている、私が」

「……誰にも、私を肯定はできない」

「瑞希ちゃんが自分を肯定できないのなら、私が瑞希ちゃんの許せない貴女自身を否定しましょう」


 瑞希の自虐的な言葉の悉くを、玲が振り払おうとする。

 なぜ玲は、こんなにも強く瑞希の罪悪感を否定し、繰り返し心の闇を払おうとするのだろうか。


「契約を、私と交わしませんか?必ず、瑞希ちゃんを貴女の望むところまで連れていきましょう。最後には……ですが」

「どういうことでしょうか。玲さんの協力で私が最善の未来に辿り着くのは……最善の道を、通ってではないのですか」

「最善の未来へ辿り着けるのなら、その道程で出る犠牲は許容する。その覚悟が、貴女にはないということですか?」

「……っ!?」

「残念ながら私は、アキちゃんと違って甘くはないですし優しくもないです。問い直しましょう。両親を含む全世界を敵にまわしても、戦い抜く覚悟が貴女にはありますか?」

「いったい何をするつもりで……」

「世直し、でしょうかね。あるいは終末の日ドゥームズデイに備えるというべきか」

「そのために……世界と戦う?」


 瑞希の問いかけに直接的に肯定するでも否定するでもない返答だった。

 しかし、彼女は悟った。玲の言葉が、決して瑞希の疑いを晴らそうとするものではない、ということを。 

 それどころか、玲は自身の腕を広げると魔女のごとく熱を込めて訴えかける。


「今や世界は破滅の危機に瀕しており、崩壊の交響曲シンフォニーが鳴り響いている。相反する正義が終わりなき闘争をもたらし、疲弊した人類は混迷から抜け出せない。レイシズムとキャンセルカルチャー、マイノリティーとサイレントマジョリティー、ミソジニーとポリコレ、環境破壊者とエコテロリスト、そしてその他諸々。争いと穢れが充満した世界を生きる私たちは誰もが罪人です。では、なぜこうなってしまったのか?全知全能といわれる創造主は2つの失敗を犯しました。1つは人間に中途半端な知識を授けたこと。瑞希ちゃんはよくご存じですよね?短絡的で激情的で無知蒙昧なクラスメイトの男子諸君を。そしてもう1つは、男という生き物を生み出したこと。瑞希ちゃんも感じたことはありませんか?男たちの下劣な欲望に満ちた視線。なんとおぞましい怪物でしょうか!ただでさえ他人というものは異質で理解不能だというのに、なぜ身体的・精神的差異の多い異分子と共同生活を送らなければいけないのか。修行か拷問と言っても過言ではありません。ならば、共通項の多い女同士で身を寄せ合うべきだとは思いませんか?女性だけの共同体は滅びると低俗な海外バラエティー番組の例を持ち出し煽るミソジニーもいますが、私からすれば自明のことです。なぜならそこには、正しい知識と彼女たちの紐帯となるべきものがなかったに過ぎない。そう、紐帯。それは相互に結び付くつながりであり、結束し外敵と相対峙するための絆です。だからこそ、私は強く訴えるのです。実践的な教育と百合ハーレムこそが、私たちを理想郷の扉エデンズ・ゲートへと導く正義の果実である、と!残酷かつリアルで痛みも伴うような生存競争は、冷酷かつ合理的な判断を下す礎となります。瑞希ちゃんも試験召喚戦争でそのような局面を迎えませんでしたか?その時、貴女は偉大な百合ハーレムを作り・育み・守り・慈しむ愛の守護者たる力を得たのです。そこに加えて、情欲交じりの愛情をお互いに持ち合うことで、本質的に異なる女たちが手を取り合って仲良しこよしな、きらら的世界を構築できるというわけです。優れた判断能力を有した女たちが自らの愛のために支えあう、なんと完璧かつ幸福な世界でしょうか!これぞ私の求めた楽園!汚染された地球上で唯一実現可能な理想郷!そして、その要となるのが愛しの大天使アキちゃんです!どうでしょうか瑞希ちゃん?あるべき社会の在り方は伝わりましたか?ともにその実現のため、戦おうではありませんか」


 玲は澱んだ眼で滔滔と語りかけた。

 男性と異性愛者の存在しない常時キマシタワーな美少女動物園を崇拝する彼女は、立派な百合豚だった。

 対して、瑞希は頭を整理する。今まさに目の当たりにした玲の本音の真意を探るため。


「玲さん」

「なんでしょうか?」

「貴女は……明奈ちゃんを、利用するんですか?」


 玲は躊躇いなく頷く。


「しますよ。瑞希ちゃんも、私をそうするといいですよ。契約は、互いにその理を違えないための予防線といったところです。偉大な百合ハーレム実現のために、使えるものは何でも使おうという、私の考えを責めるというのなら甘んじて受けましょう」

「どうして……そこまでして……」

「いくつか理由はありますが、もっとも共感を得やすいものを示しましょう。私がアキちゃんと持続可能な形でらぶらぶちゅっちゅな関係を構築するためです」

「明奈ちゃんと?」

「はい。血のつながりというのは強力な絆である一方、恋愛感情に大幅なデバフをかける厄介なシロモノでして。いかなるアプローチをしようとも、アキちゃんは実姉である私と愛し合い添い遂げる選択肢は取り得ないとわかりました。ゆえに、”アキちゃんの百合ハーレム”という緩やかながら性愛の入り乱れた楽園を作れば、そのハーレムの1キャラクターとしてならば、アキちゃんと愛を育めると考えたのです」

「でも、それって、明奈ちゃんの1人1人への愛情が薄くなるんじゃ、ないですか?」

「だから?」

「……え?」

「アキちゃんを独占する自信があるなら、そうすればいいじゃないですか。私は経験則と、忌むべきものだとは思っていますが、この世の常識を踏まえて、アキちゃんを独占できないと判断しました。だから実妹を利用して彼女を核とした百合ハーレムを作るつもりです。良いものを皆で少しずつ分け合う。Share happiness!それのどこが悪いんでしょうか?瑞希ちゃんもそうですし、美波ちゃんや翔子ちゃんにも邪魔させませんよ」

「貴女は、他人の感情が理解できないんですね」

「それは貴女も同じでしょう?瑞希ちゃん」


 柔和な笑顔を見せる玲だが、その声から感情を読み取ることはできない。瑞希は瞑目して息を殺す。自分が望むことは何か。それを邪魔する悪は何者か。かつての瑞希であれば、尊ぶべき明奈からの愛を小分けにして共有するなど考えもしなかっただろう。だが、もう彼女に迷いはない。


「玲さん……貴女は、魔女です」

「ほう?」

「人知を越えた、理解のできない、怪物です」

「なるほど」

「ですが。私は貴女と契約を交わします。すべては明奈ちゃんを中心とした百合ハーレムを実現するため。今日、私は悪魔に魂を売り渡します」

「くふ……ふふふ。あっはっはっはっは!素晴らしい!素晴らしいですよ、瑞希ちゃん!その合理的な判断と底なしの愛情!やはり貴女には素質がある!百合ハーレムの伝道者としての素質が!」

「そんな伝道者になんかなりませんっ!私はただ明奈ちゃんのためにっ」

「おっと。自分の欲望を直視せず他責思考なのは、非常によろしくないですね。まぁ、瑞希ちゃんの願望の行き着く先は百合ハーレムなんですが。自らが信奉すべきものは明確にした方がいいですよ?」

「そんなわけっ……!」

「信じよ。崇めよ。服従せよ」


 気づけば、玲の手元から輝く鱗粉のようなものが瑞希に向かってきた。

 迂闊にも瑞希は、その光る何かを吸い込んでしまう。


「な、にを……」

「信じることで人は強くなる。崇めることで人は顧みなくなる。服従することで人は安らぎを得る。悩める子羊に我が天使の祝福のあらんことを」


 徐々に力を失う体、暗転する意識。淡々と言葉を紡ぐ玲に支えられ、瑞希は幻覚の世界へと飛び立った。


・・・・・・・・・


『はーい。飼育委員は姫路瑞希さんがいいと思いまーす』


 小学四年生になったばかりの学級会で名前を挙げられた、瑞希は思わず身体が硬直してしまった。そんな彼女を嘲笑うかのようにクラスの女子たちは、神田麗華の言葉に同意する。


『私も姫路瑞希さんがいいと思うなー』

『丁度良いよね。地味な係だし』

『地味好きさん、にはピッタリだよねー』


 幻覚の少女たちは、あの時に瑞希が投げかけられた言葉を繰り返す。

 地味好きな姫路瑞希さん。嘲笑と侮蔑の込められたあだ名に胸が苦しくなる。


『あ、あの……、その……』

『そんな言い方、酷いんじゃない?やめなよ』

『…………え?』

『瑞希ちゃんはどうなの?イヤじゃないの?』

『わた、私っ……』


 言え!言ってしまえ!私はイヤですって言うんだ!

 そのときから好きだった、愛していた明奈ちゃんの善意を無下にしてはいけない!

 いくら高校生の自分がそう願っても、幻覚の世界の瑞希は蚊の鳴くような声で呟く。


『あ、あの、私、飼育委員やります……』


 そうだ。結局、自分は飼育委員をやると言ってしまったんだ。動物が苦手なのに、クラス中の視線が集まるのが耐えられなくて。ふと、明奈ちゃんの方を見たら、その時の彼女はすごく悲しそうな顔をしていた。まるで私が戦わずに逃げたことに同情するかのごとく。


「今回もそうやって自分を誤魔化すんだ?小学生の時みたいに」

「……明奈ちゃん?」


 いつの間にか、カチューシャをつけた栗毛色のロングヘアーの少女が前に立っていた。

 瑞希の両頬に手を添えると、少女は顔を寄せる。


「瑞希ちゃんはさ。もっと正直になりなよ。魂は本能と理性のブレンド。その割合は他人にとやかく言われるもんじゃないけどさ、瑞希ちゃんの魂は少し窮屈そうだよ」

「魂が、窮屈?」

「でも辛かったよね。せっかくできたお友達の美波ちゃんや翔子ちゃんと恋のライバルになっちゃうなんて。そんな苦しみから解放されるのが、お姉ちゃんの言っていた百合ハーレムなんじゃないかな?」

「私は……まだ百合ハーレムの理想を信じることができません……」

「どうして?」

「だって、変じゃないですか。常識的に考えて」

「変じゃない。瑞希はいつだって真っ直ぐで一生懸命で正しいんだよ」

「……本当に?」

「もちろん。瑞希ちゃんのことを見てきたから、私にはわかるよ」

「……うれしい」


 でこ同士がついてしまうほどの至近距離で見つめあう2人。

 少女の煌めく瞳と慈悲深い言葉に、どこか気恥ずかしさと違和感を抱いてしまい、瑞希は目をそらす。

 だが、少女は言葉を続ける。


「それにね。わがままで欲張りで傲慢で、強欲なのが恋する乙女なんだよ?」

「傲慢で、強欲」

「いいじゃん!みんな仲良しな百合ハーレム!永遠に続く日常を過ごせるんだよ?お互いを愛し合う百合乙女たちから、憎しみや争いなんて生まれないし。まさに楽園じゃないか!」

「……今の日常がずっと続くんですか?百合ハーレムなら」

「その通り!ただ、それを達成するためには瑞希ちゃんが解放されて自由にならないといけないね。自由を手にする鍵はたった一言。『YES』だよ」

「イエス……?」

「認める勇気さ!自分の罪を切り出して腫瘍のように高々と掲げる勇気!傲慢で強欲という罪を、ね?」


 それは罪を消し去る力。それは魂を解き放つ力。Face Your Insanity.自分の狂気と向き合え

 少女は慈しむように優しげな手つきで瑞希の身体を包み込む。


「馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ。恥をかけ、とことん恥をかけ」


 幼い子供のように無邪気に歌う。


「かいてかいて恥かいて、裸になったら見えてくる。本当の自分が見えてくる」

 

 可憐な天使のように愛らしく笑う。


「本当の自分も笑ってた。それくらい、バカになれ」


 耳元で少女の声が反響する。

 瑞希は少女の温もりに包まれながら、安らかに目を閉じた。そうか、間違っていたのは自分だった。常識が作り上げた偽りの己を、自分自身だと勘違いしていた。

 信じるべきは、玲と少女が示した理想郷の扉エデンズ・ゲートへの道、百合ハーレムなのだ。


・・・・・・・・・


 どれほど時間が経過したのだろうか。気がついたら瑞希は1人だった。

 自身を抱きしめてくれた少女は消えてしまった。


「随分小さく遠い存在になりました。コンプレックスの塊だったころの私」


 ゆらりと立ち上がり、正気を失った眼でどこか遠くを見つめる。

 そして、祈るように胸元で手を重ねて呟いた。


「so, everything that makes me whole. 今、君に捧げよう」


 本当の瑞希は笑っていた。


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