第5話 バカ女と姉と三者面談

「やった!メグロモスアウトちゃんゲットぉ!」


 西村先生の逆鱗に触れて無事停学となった明奈は、自宅でゴロゴロしながらゲームに勤しんでいた。サメのぬいぐるみに頭を乗せてソファの上に寝転がってスマートフォンをいじる彼女は、滅茶苦茶にだらけきっていた。

 当然、停学期間最終日にもかかわらず課題は手付かず。ログインボーナスをもらい、デイリーミッションをこなして、イベントも走り、ガチャを引く。トレーナー、監督生、プロデューサー、騎空士など無数の肩書を持つ明奈はとても忙しいのである。

 お目当ての擬人化娘が手に入り両足をばたつかせる明奈だったが不意に画面から目を離した。玄関からチャイムの音が聞こえたためだ。


「あれ?何か頼んだっけ?」


 のそのそと起き上がり玄関へと近づくと覗き窓を見る。外には大きな旅行鞄を携えたショートカットの女性か涼やかな表情で立っていた。

 七分丈のパンツに半袖のカッターシャツと薄手のベストを着こなした女性は、視線に気づいたのか、覗き窓に向かってひらひらと手を振った。驚きのあまり明奈は勢いよくドアを開ける。


「お姉ちゃんっ!?どうしてここにっ!?」

「アキちゃん、ただいま戻りましたよ」


 明奈の姉である吉井玲は優しく微笑むと、ぎゅっと妹を抱き締めた。想像だにしていなかった状況に明奈は目を白黒とさせている。


「え?え?まだ留学してるはずじゃ……?」

「ふふ、アキちゃんの顔が見たくなって少し早めに帰国してしまいました。必要な単位の取得と論文の提出は既に終えているので安心してください」

「はえー」


 何を言っているのかよくわからない明奈は、とりあえず姉に抱かれながら頭を撫でられている。このバカ、基本的に姉には敵わないので、昔からされるがままなのであった

 久しぶりの妹を堪能したシスコンの姉は、明奈の目を見つめると問いかけた。


「ところで、最近アキちゃんは何か危ないことをしていませんか?例えば、教師から没収品を強奪して逃げる際に、抱き枕をクッションにして上の階から飛び降りた、とか」

「ぎくーっ!そ、そんなことっ、するわけないじゃないすかっ!ぷすーぷすー」

「…………そうですか」


 全てを見透かしたかのごとくピンポイントで直近の悪事を指摘された明奈は、顔を横に向けると音のしない口笛を鳴らして誤魔化そうとし始めた。

 そんな妹の明らかに怪しい反応に、玲は目を細める。そして明奈の顎を掴むと、くいっと上げて顔を合わせた。


「アキちゃん、危ないことだけはやめてくださいね?」

「っ!…………ぅん、わかったよ」

「よろしい」


 姉の攻めムーヴに不覚にもときめいてしまった明奈は頬を赤く染めながら細い声で返す。妹のいじらしい反応に玲は笑みを深めると、明奈の腰に手を添えて家の中へと入っていった。


「そういえばアキちゃんは先ほどから何をしていたのでしょうか?」

「……あっ!いやっ、それはっ、その……」


 家に入るや否や露骨に慌て始める妹を、玲は不審げに見つめた。

 玄関に男性向けの靴はなかった。ゆえに彼氏が今いる、ということはないだろう。だが、もしかしたら、ただならぬ関係にある女性がいるのではないか。

 気が気ではなかった玲だったが、リビングルームの机に放り出されたスマートフォンを目にしたことで、妹の隠したがったことに気がついた。ほっと息を吐くと玲は安堵の表情を浮かべた。


「なるほど、ゲームに夢中だったのですね」

「うぅ……、はぃ」

「てっきり私の知らないところで恋人をつくって連れ込んでいるのではないかと心配してしまいましたよ」

「え!?いやいや、そんな恋人なんていないよー」

「ふふふ、そうですか。それは良かったです」


 あわあわと否定する妹を見て玲は嬉しそうに笑みを深めた。いくら盗聴していても学校の中で交際されては気がつくことはできない。重度のシスコンを患っている玲はやや病的な愛情を妹に対して抱いていたのであった。そんなことも露知らず、機嫌のよさそうな姉に安心した明奈は徐々に警戒をといていった。


「はぁー……いきなりお姉ちゃんが帰ってきたから何があったのかと心配しちゃったよー」

「先ほども言ったようにアキちゃんの顔が見たくなっただけですよ?」

「そっかそっかぁ。もしかして生活チェックとかしに来たんじゃないかと思ったよー」

「確かに母さんには色々と報告していますが、基本的にアキちゃんの教育は私に一任されているので心配しなくて大丈夫です」

「あっ、そうなんだー」

「ただし、楽しいとは思いますがゲームのように無駄なことばかりしていてはダメですよ?まだまだ学ぶべきものは沢山あるはずです」

「ふふ、"無駄"という名のガラクタの山を積み上げて頂点でピクニックするのも悪くありませんわよ」

「ふむ。では、お姉ちゃんもアキちゃんのお胸を揉みしだきましょうか。無駄なことですが存外悪くはなさそうです」

「ヒェッ!ごめんなさい私が悪かったですお姉様」


 手をわきわきといやらしく動かす姉に怯えた明奈は、ばっと両手で頭を抑えると小さく屈んで身を縮めた。他方で、カリスマブレイクした妹を尻目に、玲はゴミ箱を見つめている。


「……アキちゃん、何かお姉ちゃんに隠し事をしていませんか?実は停学処分を下されていた、とか」

「まっ……まっさかカーニバル!そんなわけないよー!」

「そうですか。では、このテキストの束は何でしょうか?」

「うぐぅ……!そ、それはっ!」


 ゴミ箱の中から引き上げられた参考書を、玲につきつけられた明奈はたじろいだ。表紙にはご丁寧に「停学期間中の課題(絶対に忘れないように!)」と書かれた巨大な付箋が貼られている。

 ばつが悪そうに目をそらす妹に冷たい視線を向けると玲は大きくため息を吐いた。


「まったく……バレてしまうような悪事をするなんて、何と情けない。どうやらお仕置きが必要なようですね」

「そんなー!うわーん!停学なんてもうコリゴリだよー!」


 玲はそう言うと服を着崩し、妖しい雰囲気を纏いながら女豹のようにじりじりと寄ってくる。いかがわしい姉への本能的な恐怖から、明奈は身体を震わせて叫んだ。だが、たすけはこなかった。

 この日、1人の少女の艶やかな悲鳴は残念ながら誰にも届かないのであった。


・・・・・・・・・


 バカが自業自得なお仕置きを受けていた翌日、停学期間が明けた雄二や秀吉はクラスメイトたちと教室で談笑していた。


「ふーん、じゃあ停学中は色々と大変だったのね」

「ああ。親父とおふくろにはこってり絞られたぜ」

「ふふ。あと霧島さんにもですよね、坂本くん?」

「うげっ!?そ、そんなわけねぇだろ!変なこと言うのはやめろよ姫路」

「ほうほう、雄二は霧島殿と色々あったのじゃな?なるほどなるほど」

「…………放課後には気をつけろ」

「マジでやめろよお前ら。シャレにならねぇから、マジで」


 からかうような瑞希の言葉を雄二は真っ赤になって否定した。実は停学期間中の課題を手伝うという名目で、翔子は雄二の家に入り浸っていたのであった。

 とくに停学期間最終日の夜は、恐ろしかった。明奈に焚きつけられた幼馴染が既成事実を作ろうと迫ってきたのだ。身の危険と貞操の危機を感じた雄二は、軽いトラウマを抱えることとなった。

 そんなことがあったせいか、意地悪そうな笑みを浮かべる秀吉と、血走った目でカッターナイフを鳴らす康太を見て、雄二は真顔になった。彼からすれば2人はまごうことなく敵だ。からかってくるだけの瑞希や美波と違い、秀吉と康太は取り返しのつかないことをしてくるためだ。

 これ以上、深掘りされると危険だと察知した雄二は何食わぬ顔で話題を変えた。


「あー、そういえば吉井はまだ来てないよな」

「そうなのよね。まったく久しぶりの登校だから道に迷ってるのかしら?」

「あるいは寝坊助さんなのかもしれませんね。うふふふふふふ」


 雄二の目論見通り、女性陣は明奈トークに乗ってきた。それも当然、2人はこれまでずっと明奈ロスに耐えてきたのだ。嬉しそうに微笑みながら目を輝かせる美波と、恍惚とした表情でギラギラとした目を向ける瑞希は、明奈に飢えていた。

 そんな2人の欲望に応えてか、ガラガラと音をたてて扉が開いた。教室に入ってきたのは明奈だったが、少し様子がおかしい。まるで深窓の令嬢のようにしずしずと歩いているではないか。

 何らかの異変を察知した雄二や康太であったが、待ちに待った明奈との再会に美波と瑞希はそんな違和感も華麗にスルーした。


「久しぶりねアキ!元気にしてた?あんたがいなくてホント寂しかったんだからね」

「そうですよ吉井さん!ずっと会えなくて寂しかったです。でも、ようやくお話できて嬉しいです」


 2人を見つめると明奈は頬を緩めるとにこやかに言い放った。


「ごきげんよう、みなさま。きょうもよいてんきですね」

「吉井さんっ!?」

「アキが……壊れたっ!?」


 普段から品性の欠片もない外道娘が、舌足らずな声でお嬢様言葉を使う姿に、美波と瑞希は衝撃を受ける。だがこうした状況での勝手知った秀吉や雄二は冷静に対処した。


「こやつ、腹を空かすなど重いストレスがかかると似非お嬢様になってしまうのじゃ」

「おいムッツリーニ、このバカにシネカスを渡してやれ」


 シネカスとはキャラメルの塊をチョコレートで包み込んだアメリカのお菓子である。その驚異的な甘さゆえに、Fクラスでは一種のカンフル剤として用いられていた。

 康太からお菓子を引ったくった明奈は、即座に開封するともきゅもきゅ音を立てて咀嚼し始めた。


「………………どう?」

「……僕、満足ッ!」


 康太の問いに明奈は満面の笑みを浮かべてサムズアップする。文月学園の最底辺バカの復活に一同は安堵した。


「まったく、一体どうしたのよアキ。いきなり変なこと言い出すから心配しちゃったじゃない」

「さしずめ、停学期間中の課題が負担になったのじゃろうな。そうじゃろう吉井よ?」

「かだい……?何それ美味しいの?」


 秀吉の言葉に首をかしげる明奈。よく見るとカバンの中には無惨に裁断された参考書が入っているのが見える。課題を粉砕するびっくりするほどアナーキーな行為に雄二や康太も頬に冷や汗を流した。


「こいつ……マジで言ってんのか」

「…………さすが観察処分者」

「あはは。吉井さんは凄いですね」


 明奈の規格外の行動に全肯定マシーンの瑞希も言葉を失ってしまう。苦笑しながらふと明奈の首筋に目を向けた瑞希は目を大きく見開いた。そして小刻みに身体を震えさせながら口を開く。


「吉井さん……その赤い痕は何ですか……?」

「え?あー……これは多分おねえ」

「失礼。こちらが吉井明奈のクラスでしょうか?」


 明奈の返事を遮ってある女性の声がFクラスに反響した。教室の入り口の傍に立つ玲の存在にFクラス男子たちは色めきだった。


「おいおい、なんだあの美人は」

「ドチャシコの即ハボが過ぎるんだが?」

「ここで抜かねば……不作法というもの」

「騒ぐな、陰茎が苛立つ」

「もし男だったら惚れたんだがな……」


 突如、騒々しくなるクラスだったが、一躍話題の中心人物になった玲は、明奈の隣に立ちFクラス生徒たちに向かって頭を深々と下げた。


「初めまして。今はアキちゃんの姉、将来的には旦那さんになる吉井玲と申します。いつも妹がお世話になっております」

「自然な流れでイカれた自己紹介をしないでっ!そもそも姉妹での結婚は無理だから!」

「"無理"というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。途中で止めてしまうから無理になるんですよ」

「イミワカンナイヨー!」


 キャッキャウフフしている姉妹を見たFクラス男子たちは、思わず涙を流しながら小躍りしてしまう。なんとすばらしいひびき!そのとおり!姉妹百合は最高!誰が何と言おうと最高!

 一方、女性陣は絶対零度の視線で玲を射抜かんとにらみつけている。姉妹百合?そんなエンディング、僕は認めないよ。とりわけ瑞希は親の敵を前にしたかのごとく殺意と憎悪に満ちた眼をしていた。確信はなかったものの、明奈の首筋の赤い跡はこの女性がつけたのではないか、と考えていたのである。


「随分とお姉さんと仲良しなのね、アキ」

「ホント仲良しすぎて嫉妬しちゃいそうですぅ」

「今のやり取りのどこを見たらそんな感想が出てくるのかな?2人とも目が節穴なのかな?」

「アキちゃん、おしどり夫婦って言われてしまいましたね。嬉しいです」

「こっちは耳に風穴でも空いてるのかなぁ!?」


 頬を赤く染めて満更でもなさそうな顔で恥ずかしがる姉にすかさずツッコミを入れる。だが心なしか明奈は何だか楽しそうだった。この姉にしてこの妹あり。大なり小なりシスコンという性質は受け継がれるものなのである。


「てか、お前にも姉貴がいたんだな。知らなかったぜ」

「あー、お姉ちゃん海外留学してたからねー。どこだっけ?N◯VA?」

「ハーバード大学ですよ、アキちゃん。あと少しで教育課程を終えるところです」

「なっ!?超名門大学だとっ!?」

「なぜゆえ駅前留学と勘違いしておるのじゃこのバカは……?」


 大声をあげて驚く雄二にクラスメイトたちはざわついた。スタイル抜群で頭脳明晰、おまけにシスコンで甘やかしてくれる。そんな理想的な姉の存在に男子たちは明奈を羨ましそうに見つめる。同時にそこには生暖かい視線も混じっていた。ああ、知能は全て姉に吸いとられたのだな、かわいそうに、といわんばかりに。

 そんな視線に気づかない明奈は姉に対してお説教を始めた。両手を腰に当てて少し胸を張る妹の可愛らしい姿を見て、玲は優しげに微笑んでいる。


「もう!お姉ちゃんが高校に来ちゃだめでしょ見苦しい!一体いくつだと思ってるの!ほらほら、早く帰る!」

「姉さんに酷いことを言うアキちゃんにはお仕置きが必要だと思うのですが……昨日したことを今ここですれば良いのでしょうか?」

「いえいえそんな!お優しくてお美しいお姉様におかれましてはそのようなことはなさらなくて結構でごぜえやす!お姉ちゃんカワイイヤッター!私の姉がこんなに可愛いすぎて生きるのが辛い!」


 姉を帰そうとする明奈だったが、流れが悪いと見るや否や、手を揉みながら平身低頭でへこへこし出す。勝ち馬に乗れ、長いものに巻かれろ、を地でゆくのがこのバカであった。卑屈な笑みを浮かべてご機嫌うかがいする小物感満載の妹に玲も小さくため息を吐いてしまう。


「今日は三者面談のためにアキちゃんの学校に来たのですよ。停学処分を受けたのですから当然ですね」

「ん……?秀吉ぃ、そんなものあったか?」

「いや、わしはなかっ……かふっ」

「おい!どうした秀吉!?しっかりしろっ!」

「…………悪魔……だ……」

「ムッツリーニ!?お前も一体どうしちまったんだよっ!?」


 玲の話を否定しようとした秀吉だったが刹那、口から泡を噴き出すとがくりと膝をついた。突然の謎現象に混乱する雄二だったが隣にいた康太は見逃さなかった。コンマ一秒の間に、人知れず玲は秀吉の首をへし折ったのであった。なお、恐ろしい出来事に直面してしまった康太は、言葉を失いしめやかに失禁した。


「とにかく、私はこれから学園長に挨拶をしてきます。放課後には担任の先生との三者面談があるので準備しておいてくださいね、アキちゃん」

「うげぇ……わかったよー」


 何はともあれ、明奈は三者面談をさせられることが決まってしまった。これが後に彼女の高校生活を大きく変えることになるとは、このとき誰も思わなかったのであった。


・・・・・・・・・


「つまり、アキちゃんは随分と問題児なのですね」

「えぇ、残念ですが仰る通りです」

「うぐぅ……返す言葉もありませんな」

「お前はもっと反省しろ!」

「ひえー!生徒をいじめる鬼教師ー!暴力反対!」

「こいつっ……!」

「ふふふ、まったくアキちゃんったら」


 その日の放課後、明奈は姉と西村先生で三者面談をさせられていた。先生に数々の悪行を暴露された明奈は、とてつもなく肩身の狭い思いをしつつも、苦行を乗り切れたことを心の奥底で喜んだ。ぐでたま状態になって机にへばりつく明奈に、玲も無意識のうちに破顔してしまう。


「さて、アキちゃん。西村先生と少しお話があるので待っていてくれますか?」

「えぇ~、変なこと言わないか不安なんだけど……」

「不安ならアキちゃんのチュウで姉さんの唇を」

「あとはお若い2人でごゆっくりぃぃ!」


 そう叫ぶと明奈は豪快な音をたてて教室から飛び出した。脱兎のごとく逃げる落ち着きのない明奈に対して西村先生は嘆息する。なぜこのバカは姉のように冷静な子に育たなかったのか。そうなってくれれば、自分の負担も減るというのに。西村先生は半ば愚痴るように玲に話しかけてしまった。


「吉井さんはその……とても自由奔放でして。いえ、自由なのは良いのですが、学業に消極的なのがやはり教員の間でも問題となっています」

「なるほど」


 にこやかに微笑む玲だったが、ふっと真顔になると問いかけた。


「西村先生はアキちゃんが勉強すべきだと本当に思っていますか?」

「はい?」

「成績最底辺で前代未聞のバカ。そんなアキちゃんが無駄な努力をしたって意味がないでしょう」


 淡々と言い放つ玲。先ほどまでは過剰ともいえるほどの明奈への愛が溢れ出していたのに、今はスイッチが切り替わったかのごとく冷淡な雰囲気を纏っていた。そこには成績の悪い妹に対する怒りや諦めなどの感情はない。ただ冷静に事実だけを述べているように西村先生は感じた。


「……確かに吉井さんの成績は最低最悪です。ただ、それは本人に意欲がないからであって、何をしても無駄というわけではありません」

「ふむ」

「彼女には何かを最後までやり通す根気強さがあります。きちんとその力を発揮できれば、必ずや人並み以上の成績になるはずです」

「そうですか、あの娘も頑張っているのですね」

「はい。何より、学力がなければ将来の選択肢も狭まってしまいます。しっかりと私どもも指導いたしますので」

「あぁ、それは別に構いません。あの娘は高校を卒業した後、私のお嫁さんになる予定ですから」

「……はぁ?」

「藤堂学園長とは違い、西村先生はどうやら私とは意見が合わないようですね」


 担任教師として真剣に熱意をもって明奈の現状と可能性を伝えようとしたが、玲は興味なさげに一蹴する。この冷たい態度に西村先生は違和感を抱いた。傍から見てもわかるほどに目一杯の愛情を注いでいた妹の教育に、なぜこの姉は無関心でいられるのか。

 訝しげに見つめると、玲は鬱陶しそうに長いため息を吐き言い放った。


「はっきり言わせていただきますが、アキちゃんに一般的な教育は必要ありません。あの娘に偏差値至上主義の教育システムが合うわけないのですから」

「……お言葉ですが、私どもも偏差値だけを求めているわけではありません」

「では、なぜ成績に基づくクラス間格差が存在するのでしょうか?」


 玲の誤解を解こうと反論したが、突き放すような反論に西村先生は言葉を失った。確かに文月学園では成績を基準に生徒間の待遇に差がある。そしてそれは、他ならぬ偏差値至上主義に染まった仕組みだ。進学校とはいえ過度な学力偏重に陥っている現状は、果たして彼が目指す教育と一致するのだろうか。

 無意識のうちに目を背けてきた現実を突きつけられた西村先生は下唇に力を込めて、口を閉ざすしかなかった。そして考え込む。一体、目の前の女性は何を欲しているのか。


「そもそも偏差値以前の問題として、上辺だけの青臭い教育論など求めていません。真にアキちゃんの為になる実践的な教育こそが必要なのです。あの娘には残酷かつリアルで、時には痛みも伴うような激しい生存競争を経験してほしい」

「貴女は一体何を言って」

「試験召喚戦争」


ぽつりと呟くと玲は口角を僅かにあげた。その美しくも無機質な表情は、相手に一抹の不安と恐怖を抱かせるようなものだった。


「藤堂学園長ともお話ししましたが、非常にユニークなシステムですね。スポーツのようでありながら、戦闘訓練として機能する」

「戦闘……訓練だと……ッ!」

「ええ。そしてそれは現代に必要な教育システムです」


 聞き捨てならない言葉に西村先生は声を荒げた。それでも玲は泰然とした態度を崩さずに話を続ける。


「国家間対立、経済競争、個人間での罵り合い。今や世の中には、敵を舞台から引きずり下ろすまで叩きのめす殲滅戦が溢れています。そうした残酷な世界を生き抜くには、無慈悲な戦争を教育課程に組み込んだ仕組みが不可欠です」

「試験召喚戦争はあくまで生徒同士で切磋琢磨して高め合うための仕組みです。生存競争だとか、戦闘訓練だとか……、貴女の考えるような冷徹なものではないッ!」

「装飾された表層ではなく実態を見るべきですね。上位クラスとの死闘は、あの娘をこの社会に相応しい人物に育ててくれるでしょう。殺伐とした世界で生き延びられる残酷さも兼ね備えた人間へと成長する、まさに私の理想とする教育です」

「貴女に教育の何がわかるかッ!」

「いずれ貴方にもわかりますよ、西村先生」


 大声を出して怒りをあらわにした西村先生だったが、なぜか玲はくすくすと笑い始めた。夕陽が玲を照らす。


「私の自慢の妹が教えてくれるはずです」


 その表情からは妹に対する深い愛情しか感じ取れなかった。

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