#39 怪異化の闇

 目の前で起こったことなのに、いまだに信じられない。が、それでも、未知のダンジョンに挑んでいるのだから、こういうこともあるのは当然こと。今回の犠牲が、たまたま花子さんだっただけ。


 などと割り切れるような性格ではない。気が動転して、花子さんを消し去った相手の姿を確認することすら忘れていた。


「馬鹿たれ! 動きを止めるな!」


 芳恵さんの一言に、ギリギリ身体が反応する。そのおかげで、突如現れた何者かの攻撃を間一髪でかわすことが出来た。


「しっかりしな! お前さんがやられちまったら元も子もない!」

「けど!」

「けども何もあるか! くどくど言う前に、まずはあいつを何とかしな!」


 言われて、ようやく相手の姿を確認する。


 身長はホブゴブリンより少し高い。筋肉はより発達していて、戦闘に適した体型となっている。手に持っているのは多少歪だが斧のようだ。顔の造形から、ゴブリンの一種であることはわかるものの、これまでの個体と一線を画した存在であることは明らか。


 何より目を引くのはその恰好。何とこのゴブリン、どこで手に入れたのか、鎧をまとっているのだ。鎧の材質まではわからないが、その表面には多少へこみが見られるので、それなりの戦闘経験があることがわかる。


 しかし、今の俺にとっては、そんなことはどうでもいいこと。奴は花子さんのかたきである。早々に打ち倒してしまいたいという欲求に、俺は飲み込まれていた。


 俺はバールを手に突貫とっかん。名前もわからないゴブリンに攻撃を仕掛ける。まずは上段から頭部を狙った一撃。ゴブリンメイジを倒した時以上に、パワーとスピードを載せた攻撃だ。これならばどんな相手でも一撃で終わるだろう。そう思った。しかし――。


 ぎろりと、ゴブリンの目がこちらに向いたのが見え、次の瞬間に俺が振り下ろしたバールが、見事に奴の手の中に納まる。


 攻撃を見切られた。そう思ったのも束の間。とてつもない衝撃が、背中から伝わる。一瞬何が起こったのかわからなかったが、周囲を見渡してすぐに気付いた。俺は投げ飛ばされて、壁に叩きつけられたのだ。大きく陥没した背後の壁が、その衝撃の強さを物語っている。恐らく八尺様の耐久力が付加されていなければ、俺は即死だっただろう。


「何のこれしき! 花子さんの痛みに比べれば!」


 俺は再びゴブリンに突撃した。今度は相手の高身長を逆手に取り、下からの胴薙ぎを狙う。だがそれも、読んでいたとばかりに、タイミングよく斧の一撃が振ってきた。このまま飛び込めば斧で真っ二つにされてしまう。そう思って減速すると、そのまま振り下ろされた斧が地面を砕き、その破片の一部がこちらに向って飛んで来て、俺の腹部に命中。その衝撃で肺の中の空気が口から噴き出し、脳の酸欠をもたらす。


働かなくなった頭。薄れて行く意識。それでも止まらない憎しみの心。それらが重なり視界が黒く覆われて行く。


「ぽ! ぽぽぽ!(ダメ! それはいけない!)」


 澄香さんの声が聞こえた気がするが、俺の意識は暗闇に落ちつつあり、何を言っているのか理解が出来なかった。


 意識が途絶えそうになった時。俺の中からどす黒い何かが湧き上がる。それは、最初に怪異化を体験した時に感じたそれを、より濃く煮詰めたような、暗黒の気配。それが一気に俺の身体を支配して、再度俺の身体を活動させた。


 俺の口から、とても人間のものとは思えないような咆哮が響く。そして、目の前に迫るゴブリンの姿。その速度は、これまでの比ではない。手足は空気のように軽く、俺の身体を前へ前へと進ませ、攻撃の瞬間、今度はまるで重金属のように重たい物質に変ったかのように、凄まじい破壊力の一撃を、ゴブリンに加えていた。


 ゴブリンは斧で俺の一撃を受けていたのだが、その斧の金属部分は粉々に砕け散り、ゴブリン自身も壁へと激突している。


 これまでの怪異化とは比較にならないほどの出力。意識が曖昧なこと意外は、今の状況としては好ましい。相手は花子さんのかたきで、憎むべき対象だ。その相手を追い込むことが出来るのなら、俺はどうなってもいい。


 そんな俺の意思を反映したのかどうなのか。俺の身体は壁にもたれかかっているゴブリンに追い打ちをかけるべく、行動を開始。手にしたバールに更に強化をかけて、ゴブリンの左肩に向って、バールを振り下ろした。

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