#40 君のいない勝利に意味はない

 叩き込まれたバールが、ゴブリンの左肩を鎧ごとえぐる。肩から胸にかけてが弾け飛び、血が大量に引き出した。辛うじて繋がっている左腕は、力なくれ、もう腕としては機能しないだろうことが窺える。


 それでも、俺の身体は止まらない。苦し紛れのゴブリンの右腕による反撃を余裕でかわして、再度攻撃を仕掛けた。次に狙ったのは右足。左から横一線に繰り出された一撃が、ゴブリンの右膝を破壊する。流石にこの状態からの反撃はなく、ゴブリンは悶えながら地に伏した。


 咆哮を上げる俺。相手が倒れてなお、戦意を失っていないらしい。そこから始まったのは一方的な虐殺。倒れた相手の身体を、バールで少しずつ叩き潰して行く。なかなかとどめを刺さないのは、俺の怒りの表れなのか。死なない程度のダメージを与え続け、残ったのは左肩が大きく抉られた胴体と、無傷のままの頭部のみ。後一撃で、このゴブリンは命を落とすだろう。


 相手がそんな状態になっても、俺の怒りは収まらない。口からは、常に火山の噴気孔のような呼吸が漏れ、思考は闇に包まれたまま。これで勝利だと言うのに、何とむなしいことか。再び咆哮を上げながらバールを振り下ろそうとした俺の身体を、誰かが後ろから抱きしめる。


「何やってんのよ、あんた。しっかりしなさいよ」


 つい先刻まで聞いていた声だと言うのに、とても懐かしく感じた。それは俺が求めてやまなかった、彼女の声。てっきり失われてしまったとばかり思っていたその声が、俺をあるべき形に戻してくれる。


「……花子さん?」


 俺の口から、人としての言葉が漏れた。もちろんそれは彼女の名を呼ぶ声。


「それ以外に誰がいるって言うのよ」

「……この場には澄香さんと芳恵さんもいるけど?」

「それはそれ、これはこれよ」


 彼女の優しい両手が、俺を更に強く抱きしめる。


「この黒いの、鬱陶しいからどうにかしてくれない?」


 たぶん俺の放っているオーラのようなものを指しているのだろう。引っ込めたいのは山々だが、どうすればそれが出来るのかがわからない。


「ちゃんと思い出すのよ。あんたのあるべき心の形、あるべき姿を」


 俺の姿。それなら毎日鏡を見ていたから知っている。しかし、心の形はよくわからない。俺はどんな人間で、どうあるべきあのだろうか。


「まったく世話が焼けるわね。ちょっと待ってなさい」


 彼女がそう口にすると、触れた肌から温かな何かが流れ込んでくるような感じがした。それは思いと言うか、記憶と言うか。曖昧にしか表現出来ないが、つまりはそういう精神的な何かだ。


 暗闇に覆われた俺の心に、かすかに光がともる。そこにあったのは、これまでの彼女との思い出。出会ってから今までの、彼女と過ごした温かな日々だった。もちろん、楽しい思い出ばかりではない。すれ違いもあったし、怒らせてしまうこともあった。


 それでも、それ含めて、彼女との大切な日々の記憶なのである。心を照らす光は徐々に強くなり、それに伴って、俺を包んでいた黒いオーラはなりをひそめ始めた。俺の頭を支配していた怒りは薄れ、代わりに彼女への想いでいっぱいになる。


「花子さん。本当に、そこにいるんだよね?」

「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるの?」


 俺の手からバールがするりと抜け落ち、地面に転がった。熱い雫が目じりからこぼれ、頬を伝うのがわかる。その頃には、俺の身体はすっかり元に戻り、ゴブリンへの怒りも、殺意も、きれいさっぱり洗い流されていた。


 もうあのどす黒い、暗闇の気配はない。何が起こったのかはわからないままだが、とにかく花子さんは無事で、ダンジョンボスらしきゴブリンにも勝利した。一時はどうなることかと思ったものの、蓋を開けてみれば全員無事。これ以上の結果は望むべくもない。


 俺は今にも息絶えそうなゴブリンを見下ろす。これだけ強力なゴブリンだ。ホブゴブリンよりも格が下ということないはず。ならば、言葉を理解出来る可能性もあるのではないかと俺は考えた。


「お前は何者だ?」

「我に言葉をかけるか。思ったよりも知性は高いようだな」


 ホブゴブリンよりも達者な日本語。いや。口の動きは発音のそれに伴っていない。どうやら、こちらに日本語として聞こえているだけで、もしかしたら異世界の言語で喋っているのだろうか。


「まぁいい。敗者として、勝者であるお前に答えよう。我々はお前達のような個体ごとの名は持たないが、お前達の言葉で言うなら我はゴブリンチャンピオンと呼ばれる存在だ」


 ゴブリンチャンピオン。情報としては知っている。ゴブリンの上位種の一つで、ゴブリン達にとっては英雄クラスの存在ということになったいたはずだ。その強さは、ゴブリンメイジの比ではない。場合によっては数万単位のゴブリンを従えると言う、それこそ、ダンジョン攻略の最前線に出てくるようなレベルのモンスターである。


「逆に聞きたい。お前は人間か?」

「……そのつもりだったけど、さっきのことで自信がなくなったよ」

「……今のお前は人間に見えるが、先程までの姿は人間と言うより、むしろ我々魔の眷属に近い。心当たりはあるか?」

「ない、とは言い切れない。まさかここまでの力とは思っていなかったけど……」


 ゴブリンチャンピオンは穏やかな瞳で俺を見据えた。どうやら、彼にとっては勝負は絶対で、勝敗がついた今、これ以上ことを荒立てるつもりはないらしい。


「そうか。ならば、努々ゆめゆめ忘れぬことだ。お前自身が、どちらでありたいのかを」

「思ったよりも理知的なんだな」

「勝者に礼を尽くすのは、武人として当然のこと。今回は最初に狙う相手を間違えたようだ」


 ゴブリンチャンピオンの視線が俺の後ろに向いた。


「数を減らそうと必死になるあまり、女子どもを最初に狙ったばちが当ったのだろう。我がことながら、恥ずべき選択であった」


 ゴブリンチャンピオンの声が徐々に小さくなって行く。


「さらばだ、愛すべき強者よ。願わくば、次の生で、また相見あいまみえる機会が訪れんことを」


 それっきり、ゴブリンチャンピオンは言葉を口にすることはなかった。

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