#18 しっとりと更ける夜

 花子さんが寝てしまえば、そこはもう俺と八尺様の二人きりと言っても過言ではない。お互いに一番近しい相手がいなくなったことで、自然と口数は減ってくる。もっとも、口を開いたところで、八尺様との意思疎通は難しい訳だが。


「ぽ(君はさ~)」


 不意に八尺様が口を開く。耳では「ぽ」しか聞こえていないはずなのに、脳内では何故か言葉に変換されて聞こえた。


 俺が混乱しているのを目の当りにしたからか、八尺様は少し心配そうな顔になる。


「ぽ、ぽぽぽ?(私の言葉、伝わってるよね?)」


 どういう原理かはわからないものの、八尺様の言葉が理解出来ているのは間違いないらしい。


 俺が首を縦に振ると、八尺様は安心したように笑顔を浮かべる。


「ぽ。ぽぽぽぽ(よかった。独り言になってたら恥ずかしいからね)」


 どうして急に、八尺様の言葉を理解出来るようになったのか。俺はその疑問を、素直に彼女にぶつけてみることにした。


「あの……。どうして急に八尺様の言葉がわかるようになったんでしょう?」

「ぽぽ、ぽぽぽ。ぽぽぽぽ(ああ、それはね。私が君にチャンネルを合わせているからだよ)」

「そんなことが出来るんですね」

「ぽぽぽ? ぽぽぽぽ(普通は出来ないよ? 君だから出来るんだ)」


 どうやら、俺が霊媒体質であることと何か関係があるようだ。とりあえず、八尺様と直接話しが出来るのは好ましい。せっかくだから、いろいろと話を聞かせてもらおう。


「さっき何か言いかけてましたよね? それは――」

「ぽ、ぽぽ。ぽ、ぽぽぽ?(ああ、そうそう。君はさ、怖くないの?)」

「怖いって?」

「ぽ(私達のこと)」


 そう言った八尺様の瞳は、どこまでも澄んでいて、それが興味本位の質問でないことをうかがわせる。さて、どう答えたものか。


「怖いか怖くないかで言えば、正直あんまり怖くはないですね」


 相手は実在する都市伝説の怪異。そんなものと対面しているのだから、この感覚はおかしいのかも知れない。しかし、実際に関わってみて感じるのは、彼女達も普通の人間と何ら変らないということ。噂にうたわれる彼女達の危険な逸話を知っていてなお、それは噂を元に存在する彼女達の一面に過ぎないのだと、そう思い知らされる。


「花子さんや八尺様は、噂が主体の存在な訳じゃないですか。だったら、噂自体が変れば、危険な側面は薄れて行くんだろうし、俺達との共存も可能なんじゃないかって」

「ぽぽぽ、ぽ(不思議な人だね、君は)」

「まぁ、単純に花子さんの話を聞いて、放っておけなかったってのが大きいんですけどね」


 噂されなくなれば、都市伝説は消えてしまう。そんな悲しいことがあってたまるかと、あの時強く思ったのは本当だ。全ての怪異達とまでは行かなくても、出会った怪異くらいには力を貸してあげたい。それが俺の本音である。


「……ぽ、ぽぽ?(……もしかして、好きなの?)」

「へ?」

「ぽぽ、ぽぽぽ。ぽ? ぽ?(だから、花子ちゃんのこと。どうなの? 好きなの?)」


 少なくとも嫌いではない。しかし、好きかと聞かれると、まだそこまでではない気がする。気がするが、安易に否定するのも、何か違うような感じだ。


「そうだな~。人柄は好ましく思ってるけど、女性としてどうかと聞かれると、まだよくわかりません」

「……ぽ(……ヘタレ)」

「ヘタレてないです~! これが本心なんです~!」


 花子さんが起きていたら、こんな話出来る訳もない。俺は高くなった気がする体温を下げるため、ウーロン茶を一気に飲み干す。グラスの中の氷がカランと音を立て、流し込まれた液体が、俺の身体を中から冷やしてくれた。


「……ぽ、ぽぽぽ(……まぁ、今はそれでいいよ)」


 どこか遠いところを見る目で、八尺様もお酒をあおる。彼女は彼女なりに、旧知の仲である花子さんに対して、何か思うところがあるのだろう。


「ぽぽ、ぽ(ちゃんと花子ちゃんこと、見ていてあげてね)」


 その顔がどうしようもなく寂しげに見えたので、俺は八尺様に聞き返すことにした。


「八尺様はどうなんです? 好きな人とかいないんですか?」

「ぽ、ぽ!?(え、私!?)」


 よほど驚いたのか、若干むせながら、八尺様が顔を赤らめる。


「ぽぽぽ。ぽぽ――(私のことはいいよ。それよりも花子ちゃんを――)」

「あ、その感じだと、誰か気になる人がいるんですね?」

「ぽ~っ!?(ああ~っ!?)」


 八尺様は、両手で顔を隠してしまった。よほど恥ずかしいのだろう。こうして見ると、怪異とは言え、そこらにいる女性と変らない。これはいよいよ、意中の相手が誰なのか気になるところだ。


「やっぱり同じ怪異なんですかね? それとも今までに知り合った人間――」

「ぽ、ぽぽ! ぽぽぽぽぽ!(い、言わないよ! 少なくとも君にだけは言わない!)」


 随分と可愛い反応をするではないか。恋する女性は美しいと言うが、まさに今の八尺様が、それを体現している。


「……ぽぽ、ぽぽぽ」


 チャンネルとやらがずらされてしまったのか。その部分だけは、何と言ったのか、俺にはわからなかった。しかし、妙に八尺様の視線が俺に刺さっていたように思ったのは、気のせいだろうか。


 真相はどうあれ、明日、朝一で講義があるのは事実なので、早めに打ち上げは切り上げることに。お勘定は、俺が花子さんの分も請け負う形で割り勘となり、その場は解散。


 放置する訳にも行かないので、とりあえず背負って店の外に出てみたら、案外連れ出せてしまった花子さん。たぶん、前に花子さんが言っていた、縁がどうのと言う話が関係しているのだろう。縁で繋がった俺が、簡易トイレを身につけ、かつ直接触れ合っているからこそ、彼女をこうして屋外に連れ出せているのだ。と、そう考えることにする。


 ふと見上げると、空に浮かんだ月は丸くて、幻想的な光で地上を照らしていた。俺はそんな街中を、花子さんを背負い、家路につく。まさか、この俺が、幽霊とは言え女子高生を連れて自宅に帰る日が来ようとは。まるで想像していなかったことが、ここ最近になって次々に起こる。


 一体今度は、どんな新しい経験を俺にもたらしてくれるのだろう。そんな淡い期待を胸に、ゆっくりと道を行く、静かな夜だった。

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