#15 怪異化

 勢いよく噴射された液体が、瞬く間にツタを蹴散らしていった。しかし、いくら酸性の液体とは言え、所詮はトイレ用洗剤。瞬時に物を溶かすほどの効果などあるはずもないし、全ての植物が酸に弱い訳でもない。それでもはっきりとした効果があったのは、花子さんの怪異としての能力があればこそだろう。


 襲い来るツタはトイレ用洗剤に任せつつ、俺はツタの本体を探した。よくよく見てみれば、ツタには花子さん達から、何やらエネルギーを吸い出しているらしい。何故それが視認することが出来るかは、今は置いておくとして、このエネルギーは確実に本体に向って流れて行っているはずだ。このエネルギーの流れの先に、本体があるのは間違いない。


 となれば、後はその先にある本体を叩くだけ。エネルギーの流れは、どうやら岩壁の向こうに続いている。回り込めば行けなくもないだろうが、それまで花子さん達が無事でいる保障はない。ここは最短距離で、本体を攻めるべきところだ。


 何故、それが可能だと思ったのかはわからない。しかし、この瞬間の俺には、どういう訳かそれを成す自信があった。打撃による岩壁の破壊。およそ人間が素手でおこなえるはずはない。それでも、俺は真っ直ぐに岩壁に拳をき立てていた。


 普通なら拳の方が先に砕けるところ、この時は何故か、岩壁が音を立てて崩れる。ぽっかりと明いた穴の向こうに、ツタの本体と思しきモンスターの姿があった。一見枯れ木のように見えるそれは、その実、根でその場に固定されている訳ではない。根に当たる部分が触手のように蠢き、軟体動物のように地面を這っているではないか。


 見た目こそ気色悪いが、正体がわかってしまえば、然程怖くはないと言うもの。これが、正体不明こそを怖れる人間のさがなのか。とにかく、この本体を倒してしまえば、花子さん達を救うことが出来るのは間違いないだろう。


「見つけたぞ。このスケベ植物!」


 長く伸びたツタに絡まれた美女二人となれば、考えようによってはエッチなものである。年頃の女性の柔肌を這う植物のツタ。俺自身にその性癖はないが、ツタまみれの二人は、青少年の教育上よろしくない姿だったとも言えた。


 とにかく、このモンスターがいてはダンジョン探索もままならないのだから、さっさと倒してしまうのが吉。俺は岩壁をも砕いて見せた拳を、その枯れ木型モンスターにお見舞いしてやる。「倒せるまで何度でも!」と言う心づもりでいたものの、枯れ木型モンスターは右拳の一撃で、あっけなく粉砕された。思っていたよりも弱いモンスターだったのか。


「……いや、そんなはずはない、よな?」


 花子さんがバールを使って何とか蹴散らしていた相手である。腕力だけなら花子さんも強いだろうが、ただの人間である俺に、そんなモンスターを一撃で倒す力があったとは、とても思えない。一体何が、俺の身に起きたというのか。


 岩壁に開いた穴をくぐりなおす頃には、あの極寒とも言える冷気は感じられなくなっていた。どす黒く、重たい、張り詰めたような冷たい感覚も、今はない。時間の流れも通常通り。まるで今までのことが、夢のようにすら思えてくる。


 多少緩んだとは言え、いまだにツタに絡まれたままの二人を救出し、状況確認に入った。少し消耗の色を見せる二人だが、足元がふらつく、などと言う症状は見られない。怪異に対してこう言うのもどうかと思うが、多少顔色が悪い程度だ。


「二人とも、怪我はない?」

「おかげさまでね。多少霊力は持っていかれたけど」

「ぽぽぽ」


 なるほど、霊力。先ほどまで見えていた、二人から吸い出されていたエネルギーの正体は霊力だったらしい。


「それならよかった。あ、さっきは援護ありがとう、花子さん」

「はぁ? 援護なんてしてないわよ? あたし」

「え? だってトイレ用洗剤が飛んで来て、援護してくれたよ?」

「……あんた、それ、マジで言ってんの?」

「どういうこと?」


 花子さんが盛大にため息をついた。隣にいる八尺様も、どこか困ったような笑顔を浮かべている。


 対する俺には、彼女達が何を言わんとしているかの想像が付かない。明らかに超常現象が起こっていたのに、花子さんは自分の力ではないと言うのだから。


「あんた、怪異化してたのよ」

「……怪異化?」

「そう。あんた、昔から霊媒体質だったりしない?」

「え、そんなことないと思うけど……。幽霊を見たのだって、花子さんが初めてだし」

「……無自覚ってことか。まぁいいけど」


 花子さんが言うには、俺は先天的に霊力の流れを感じ取ることの出来る体質らしい。そして、そういった人間は、往々にして怪異との相性がいいのだとか。怪異に好かれやすく、その力を通しやすい。先ほどの俺は、知らず知らずの内に、花子さんと八尺様、二人の怪異としての能力を、自分のものとして扱っていたようだ。霊媒体質だからと言って全ての人間に出来る訳ではない、特別なわざ。それが『怪異化』なのだと、花子さんは口にする。


「……つまり俺、さっきまで人間辞めてたってこと?」

「そういうことね」

「……マジで?」

「大マジよ」


 驚きのあまり口が塞がらないとは、まさにこのこと。その後、俺はぽっかり開いた口を閉じるのに、たっぷり数分を要したのだった。 

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