「毒の名は『ムーンドロップ』だそうだな。確かに、そういった毒物の記録は――あるには、ある」


 カロンは身を乗り出した。しかし、女医の歯切れが悪いので気にかかる。コツ、コツ、と板張りの床を歩きながら書棚を前にして、一冊の本の前でピタリと足を止めた。


「『月下の草木譜』――伝奇だ。掲載されている草木には実在と虚構が混在していて、薬草学の書としてはあまり役に立たない」


 そう告げた女医はページを繰り、古びて日焼けした誌面を差し出した。


 ピーコックにも見えるように書籍を少し傾けつつ、カロンは目をこらして小さな文字を追った。


 先に読み終えたのはピーコックだった。先に進むほどに深刻さを増す男の表情を気にかけながら、カロンはゆっくり読み解いていく。なにせ、ところどころかすれているし、教わった多少の読み書きでは想像で補うことしかできないような難解な表現も多い。


「高熱や幻覚、意識のコンダク……ジュウトクに……賢者しか……」


 なるほど、深刻にもなるわけだ、とカロンはひとごとのように現実感なく受け止めた。


 まとめるとこうである。この毒はある希少植物からできており、人体に入ると凝固して心臓に寄生する種となる。この植物に寄生された場合、夜ごと高熱を発し、満月が近づくにつれ重篤化し意識の混濁も起こる。ついには体内で小さな花を咲かせ、絡みついた茎は心臓を強く締め、毒を受けた人間は死に至る――


 カロンは己の胸にそっと手を添えた。


「『の毒をき出す者、解毒の霊薬を調べ合わす者これ神性の賢者なり。極めて難解なる技巧』か。……賢者、な」


 ピーコックが呟いた。


 魔術分野で比類なき実力をもつ者を「大魔術師」と人は呼ぶ。それすらも凌ぐ天の采配、これが賢者である。その才の代償か、たいていはひどく変わり者らしい。人里に馴染めず隠匿生活を送っていることが多いとか。


 公爵の魔術――生首を別の場所に飛ばすというムチャクチャな危機回避方法――は大魔術師のそれに匹敵する。そんな彼でさえ、おそらく天の才である賢者には及ばないのだろう。ピーコックは苦い顔をしていた。


「すべてが記述の通りとも言えんさ。なにせこいつは『伝奇』だからな」


 慰めのつもりか、女医はカロンに向かってそう言った。つとめて軽い口調を保ってくれているのがカロンには分かった。


 しかし、ピーコックは渋い顔を保ったまま言葉を継ぐ。


「他の項に比べてやけに詳細な記述だ。おそらく、この毒を受けて満月を迎えた人間がいたのだ。いくらか歪んではいるだろうが、真実もあろう――ああ、そうだ、カロン」

「なに?」

「公爵邸に連れて行ってくれ、私を」

「…………」


 カロンはいよいよギャーッ! と叫んですべてを投げ出したくなった。


 後悔はしていない。あの場で生首を襲撃者に渡していたら、ニナにも師にも顔向けできないまま一生を生きていくことになる。そんなのは御免だった。だが、それとこれとは別である。


「急げ。夜が明ければこの姿を余人に見られかねん。そうなったらだ」

「私、毒! 怪我! 部外者! 森、帰る!」

「あわれな、言葉も忘れたか。毒は心の臓を締め付けるそうだ。頭に影響はないはずだが」

「ギャーッ!」


 なんでこの人、首だけなのに、しかも頼む立場なのに、こんなに偉そうなんだろう。内心そんなことを思いながら、かろうじて口から出たのはもう叫び声だけだった。


 女医はなぜかニコニコしながら二人を見ていた。

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