医師 ピアズ・ミグリ
白い医院の中で、女医は驚いた様子もないまま生首と気安く話していた。
「公の胴だが、死体というにはいささか活きがよかった。頭部がこうして生きている以上、身体のほうも独立して生きているのだろうな」
「診たのか。ほんとうに死んでいたらどうするつもりだ。粗忽者は、ルドガーだな?こと私の遺体の取り扱いには慎重になるよう言い含めなくては」
ニナを家に送ってから。カロンにこの医院を紹介してくれたのは、苦々しい顔で家を案じているピーコックだ。それなりの家の当主なのだろう。服装で判断することはできなかったが、大きな屋敷に帰っていったニナの「おじ様」らしいし、態度も口調も市井の者ではなさそうだ。
とはいえ、まさか医院を紹介されるとは、カロンは思ってもみなかった。医者にかかればとにかく金がかかる。薬草や民間療法に頼るよりもはるかに確実な治療が見込めることは、さすがに森で暮らしてきたカロンでも知っている。しかし、一にも二にも金である。こればっかりは、カロンだけでなく市井の人々も同じ苦悩を抱えているはずだ。
道端で、薬草のひとつでも用立ててもらえれば十分だ、となかなか一歩踏み出そうとしないカロンに、生首はまたしても憎まれ口をきいた。要約すれば「金なら私が出すからグダグダ言わずに医者にかかれ」である。結局、カロン以上の負傷者――首と胴が分かれた男――の泣き落としに根負けして、街中の医院に連れ込まれた次第である。
さて、先ほどから話し込んでいた女医と生首は、どうやら(恐らくは屋敷に遺されている)胴体の方の話をしているらしかった。
「騎士殿はひどく憔悴していた。騒ぎ立てなかっただけで報奨ものだ」
「――まあ、お前に診断を任せた判断は正しかったな。屍肉に群がるカラスを避けただけで十分な働きだ」
カロンはおずおずと訪ねた。
「何度も聞いているけれど……あなたはいったい何者なの?」
ピーコックは偉そうだが気安い。出会った当初から、向こうがずいぶん失礼な態度なのもあってカロンも気安くやり取りしている。だが、ひょっとするとちょっとばかりマズい身分差なのかもしれない。
「なんだ、言っていないのか」
可笑しそうな女医とは反対に、生首はついと目をそらした。
「隠しおおせるものではなかろう。どれ、私が教えてやろうな。耳を貸しなさい」
女医がフフ、と笑ってカロンを手招くので、好奇心に負けて歩み寄った。「カロン」咎め立てるようなピーコックの声。
女医の唇が耳元に寄ると、ふわりと清潔なシーツの香りが漂った。
(この男はな――)
女医が正体を吹き込むよりも早く、ピーコックは口を開いた。
「……私はルリエ・ピーコック=ブラックウッド、という」
「ルリエピーコック……長ぁい」
それにしても、どこかで聞き覚えのある名だ。
「ブラックウッド……?」
「お気づきかな」
女医は目を三日月のように曲げてニマニマ笑っている。「なにせお国を背負う公爵閣下さ」歌うように付け足した。
「フフ、機嫌が悪そうだな、公爵閣下」
「お前の芝居じみた言い回しが嫌いなものでね」
カロンは息が止まるほど驚いていた。うすうす勘付いてはいたが、カロンの想像よりももっと上の地位に座す男だったので。傲慢な態度にはそれなりの裏付けがあったようだ。
「ブラックウッド。公爵閣下――? あの、お国を背負うって」
「広大なブラックウッド領をその背に負う、公国のあるじさ」
女医は面白くなさそうなピーコックの態度が面白くてたまらないらしい。
そっぽを向いている男におそるおそる「不敬罪?」と尋ねた。ぶは、ととうとう女医が吹き出して、ピーコックはそれを睨みつけた。
女医はそんな視線にもどこ吹く風だ。愉快そうに「そうかそうか、この驕慢がピーコックと名乗ったか」と白衣を翻した。
「安心するといい。この男、己が地位を知られたくなかっただけだよ。無礼も折り込みずみだ」
「はい?」
「あえてブラックウッドと名乗らなかったのだ」
ピーコックが鼻を鳴らした。
「始めはこの少女を疑ったからな。術式の約定と異なる者がそこにいたのだ、当然だろう。以降は名乗るのが面倒だっただけだ」
「『閣下』ではないあなたでいるのは楽しかったかい、公」
「……名乗るのが面倒だったと言っただろう」
「まあそんなことはどうでもいいんだ」
おい、と口を挟んだピーコックに構わず女医は続けた。
「キミが打たれたという毒のことだが」
ようやく本題である。ピーコックは文句を言いかけた口を閉じた。元来魔術師というのは好奇心旺盛なものだ。未知の毒や魔術式を前にすれば些事は二の次になってしまう。
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