エピローグ

「おや、貴君は」


 医務室にいたのは、いつぞやカロンの怪我を治療してくれた白衣の女性だった。聞いた話では正式な公爵家付きの医師ではないらしいが、ともあれ繋がりは深いのだろう。


「あ、あのときはありがとうございました」


 ペコリ、と頭を下げたカロンの額を見て、女医は眉を潜めた。ふわりと薬品の匂いがカロンの周りを漂って、繊細な指先がカロンの髪をかき分ける。


「訓練場で事故でもあったのか。頭の怪我はあとあと怖いぞ」

「事故というか……」


 口を濁したカロンのあとを引き継いだのは、カロンの肩を支えていた若い騎士だった。


「隊長殿がしたたかに頭突きをしたのですよ、こちらのご友人に!」


 どこかすねたように唇を尖らせながら、騎士は「隊長殿」を糾弾した。「なんだと?」医師の鋭い声に、さすがのルドガーも身体を縮こめている


「貴君――いや、貴君らは本当に……」


 はぁ、とため息をついたものの、説教は後回しにするようだ。いつぞやと同じようにテキパキと包帯や薬品を用意して手早く処置を始めた。


 血の跡をぬぐい、傷口をきちんと確認したあとで布に染み込ませた薬品をポンポンと塗られ、簡単に包帯を巻かれる。


 あっという間にカロンの処置を終えると、部屋の隅で処置を待っていたルドガーのところへ向かう。同じように様子を見て、カロンが蹴ったあたりにペタリと湿布のようなものを貼った。髪も巻き込まれているが、剃るほどではないという判断だろう。あれでは剥がす時に痛いだろうなとカロンはひそかに同情した。


「それで、」


 女医は穏やかな声音で尋ねた。


「ルドガー。貴君の長年の悩みは消えたかね」

「…………どうかな」


 キョトン、としたのはカロンである。確かになにか悩んでいる様子ではあったが、解決したのだろうか。


「カロン」


 呼びかけられて、姿勢を正した。なんとなくそうしなければならない気がしたのだ。


「お前のおかげだ。俺はまだ強くなるぞ」


 はは、と快活に笑ったルドガーの顔を、ずいぶん久しぶりに見た気がする。カロンもつられて笑った。「もう勝てなくなっちゃいそう」そう言ったカロンにギョッとしたのは女医である。


「勝ったのか!? 騎兵隊の隊長殿だぞ?」

「負けたよ。俺が」

「まさか!」


 いや、只者ではないとは思っていたが……ブツブツと独り言を言い始めた女医を尻目に、ルドガーはカロンの瞳を見つめて言い切った。その瞳の奥で、火は燃えている。


「今度は俺が勝つ。絶対に」




「それはいいが、貴君、年下の少女に頭突きをかますのはどうかと」

「……やらなきゃ殺られてた」

「そ、そんなこと」


 ――――ある。本気でやる、と宣言したのだ。確かに、あのとき頭突きがこなければすぐに身体を起こして追い打ちをかけていただろう。


 黙りこくったカロンに、若い騎士と女医は引きつった笑みを浮かべた。



(剣を捨てたらお前の負けだ)


 師に言われた言葉だった。今日初めて、剣を捨ててかかってきたルドガーを相手にしてカロンは、その言葉の意味を理解したのだ。


 憎悪、憤懣ふんまん悔恨かいこん、あるいは恐怖。武器をとるに至った感情そのものが、剣の形をして立ちはだかる。それを捨てるというのなら、残るのは純粋な暴力。蹂躙じゅうりんへの欲望だけだ。


 見つめなければならないのだ。己の抜いた剣の形も、それが何を貫くのかも。

 己の手のひらをギュッと握りしめて、カロンは顔を上げた。

 

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