剣を捨てたら君の負け

 訓練場の中でも比較的人目に付きづらい建物の陰で、カロンは木剣を片手に握ってまっすぐに立った。


「たぶん、技術の問題じゃない。ルドガーも分かってると思うけど」

「ああ」


 通じ合っている。もはや言葉などいらない気がした。カロンは師による熱心な――不必要なほど熱心な指導によって剣の才を無理やり引き出されたようなものだが、ルドガーは違う。きっとみずから目標をもって自己を磨き上げてきたのだ。無駄のない動きや判断力、決断力を見れば、彼がどれほどの経験を積んできたのかなどすぐに分かる。


「ルドガーは迷ってる。戦う前にはまず迷いを殺す。ご丁寧に覚悟ができてから始まる戦いなんてそうそうないから、これは慣れかも」

「……殺す?」


 油断なく構えながらも、ルドガーは意外そうに片眉を上げた。


「大事なときに足をとられないように、しっかり地面に縫い付ける感じ」


 剣先を土に突き刺して、カロンは続けた。


「ルドガーと戦いたくなんかないけれど、それを迷いにはしない。本気でやる。始めよう」


 言葉を受け取った騎士は、ぱちぱちと目を瞬かせたあと、感じ入ったように息をはいた。


「感謝する」


 と、同時。


 ルドガーは素早く間合いを詰めて剣を横に薙ぐ。風がカロンの髪先を揺らすが、その首にまでは届かない。軽くのけぞったカロンはトン、と後退してバランスをとった。


 息をつくまもなくルドガーの剣先が迫る。カロンは木剣で受け止め、受け流す。


 縦横無尽の剣戟は次第に白熱していく。少女とは思えない身のこなしで、カロンは騎士団の部隊長と互角以上の戦いを繰り広げていた。


 ふ、と息をはいて突きを繰り出したルドガーの剣。カロンは――――ひらりと飛び上がって、その上に。(立った……?)反応できないルドガーの頭蓋とうがいを衝撃が襲う。


 カロンがくるりと宙返りして蹴り落としたのだ。


「ぐ……ッ」


 呻いてはいるものの、さすがというべきか、少しふらつきながらもルドガーはまだ立っていた。視覚が一瞬のうちに情報を拾う。


 一瞬ためらったものの、地面につく前のカロンの足もとに木剣を投げつけた。これは想定外だったようで、カロンは目を見開いて避けるために身体をひねった。木剣に足を取られるのは防いだが、バランスを崩して倒れ込む。


 その機を逃すルドガーではない。相手が少女ということも、今は関係ない。倒れ込んだカロンに覆いかぶさって、思いきり頭突きをかました。うぐ、とカロンの目元に星が散る。


 ひえぇ、といつの間にか集まってきていたギャラリーたちが悲鳴を上げた。


 ぐわん、とカロンの視界が揺れて赤くかすむ。頭を切ったのかもしれない。しかし、ようやくだ。ようやくルドガーの「強さ」への執着を見た。


 それは一方的な蹂躙じゅうりんへの、確かな嫌悪。彼自身が今まさに振りかざしているそれへの忌避感。この男が求めている「強さ」は――――


「ルドガー」

「……何だ」


 厳しい声が振ってくる。というよりは、戦闘の興奮を意識的に抑えつけようとしているような静かな声音だ。


「剣を捨てたらあなたの負け」


 カロンはほほ笑んだ。組み敷かれた少女は不利なはずだ。たとえ武器がなくとも腕力、体格において分はルドガーにある。


 だというのに、カロンはまるで生まれたときから共にある相棒のように木剣を地面に突き立てて支えとすると、くるりと形成を逆転してしまった。組み敷かれているのはルドガーで、馬乗りになっているのがカロンだ。


 ギャラリーは声を上げる間もなかった。


「……ッ」


 のけぞったルドガーの首元にピタリと木剣を突きつける。

 


「そこまで」


 落ち着いた声が二人の間に飛び込んできた。フロストだ。心なしかギャラリーもホッと息をはいたようである。


「何をしている」

「…………ちと手合わせを」

「らしくない。用具を粗末に扱うとは」


 フン、と不服そうにそっぽをむいたルドガーは、すぐにアッと声を上げた。勢いで組み敷かれたままの半身を起こす。「怪我は!」と慌てて具合を尋ねたルドガーを見て、フロストは呆れて肩をすくめた。


「自分でやっておいて」

「それはそうだが……」

「いいの、私は平気。師匠とやり合ったときはお腹に穴が開いたこともあったし」

「そうか……。そ、何!?」


 当たり前のように言うので当たり前のように受け流そうとしたルドガーは、さすがに看過かんかできずに目をむいた。


 カロンは詰め寄られる前に、もう乾き始めた頭の血の跡をグイと拭って立ち上がった。これを使ってください、とギャラリーにいた少年が白い布を渡そうとしたが、カロンはそのきれいなハンカチを自分の血で汚すのがもったいなくて断った。


「……カロン。向こうで落ち着いて話そう。その前に医務室か」


 ルドガーが訓練場の隅を指差すかささないかのうちに、またしても声が上がった。


「隊長!」

「なんだ、次から次へと……」


 ルドガーの意向はまだ叶いそうにない。先ほど二人を送りだした気の良さそうな騎士が興奮した様子で駆け寄ってきたのだ。ルドガーはやれやれ、と立ち上がった。


「自分、大事な話だというからてっきり……いやあ、お二人ともすさまじい身のこなしで! そちらの方は、どこぞの薔薇の騎士でしょうか」


 薔薇の騎士。女性の騎士を褒め称えて――あるいは、暗に軽視して呼ばれる呼び名だ。幸いというべきか、彼は純粋に前者の意味で使っているらしい。キラキラとした瞳でそう問われて、カロンはうぐ、と喉をつまらせた。先ほどはルドガーの方に向いていた好奇心が、今は完全にカロンの方に向いている。


詮索せんさくは騎士としての礼節に欠けるぞ。彼女は閣下の客人だ」

「閣下の客人に頭突きを!?」

「俺の友人でもある」

「ご友人にあの連撃を!?」


 当然の非難の視線を避けるようにして、ルドガーは若い騎士の方に手のひらを向けて顔をそらした。


「…………」

「隊長が黙秘するつもりなら、お二人のご関係についてはこちらのお嬢さんに伺いますよ! お嬢さん、お怪我は大丈夫ですか。医務室へ参りましょう」


 騎士らしく手を出したあと、青年はふたたび声を張り上げた「隊長! 隊長も頭にとびきりのやつを落とされていたでしょう! 行きますよ、ほら!」。


 騒がしい男である。だがまあ、ルドガーの部下といわれてみれば「らしい」気がした。特に世話焼きなところなどそっくりだ。「うるせえ、」と口調の崩れたルドガーも、苦々しい顔はしているが決して不快そうではない。


 カロンは若い騎士の肩を借りて(大丈夫だと言ったのだが、聞き入れてもらえなかった)、ルドガーはすたすたと平気そうな歩みで、それぞれ訓練場近くに設けられた医務室へと向かった。

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