騎士の懇願
ルドガーたちは “あとで必ず顔を出そう” と言っていた。カロンももちろん覚えてはいるが、それはそれ。
なにせ暇である。
家が焼け落ちて身一つで避難してきたのだから、ほとんどやることがない。
本来ならもう少し事後処理に追われていたのだろうが、片付けるべき場所もいまは遠く東。焼け残ったものの整理や片付けはもう少し先になりそうだった。
「屋敷の中は自由にするがいい」と現当主・ピーコックからのお墨付きをもらい、前回はほとんどできなかった屋敷の散策にのりだした。ホコリ臭いだのなんだの相当しぶられたが、地下書庫も開けてくれるらしい。もっとも、それはピーコックの気が向けばの話だ。
自由に、とは言っても、公爵家として最低限のラインはあるのだろう。カロンの後ろには常に一歩控えてスナジアがいる。
廊下をぶらぶらしながら、それとなくすれ違う公爵家の人々を確認していると、察しのよいスナジアは不思議そうに尋ねた。
「カロン、どなたか探しているのですか?」
「ルドガーを、ちょっとね」
「まあ! そういえば初めていらしたときもあの方がご案内しておりましたっけ」
うふふ、と笑われて、カロンはなんとなくいたたまれない気持ちになった。そういえば、あの時のルドガーはどこか固くぎこちなかったな、と思い出す。
主人の首が落とされた(そして帰ってきた)ばかりというのもあるだろうが、カロンに対する視線もなにか思うところがあるようで、かすかに敵意さえ感じたのだ。
「そういえばカロンがここに初めて来られたときは、ブレイズエッジ様の様子がいつもと違いましたね」
ルドガー・ブレイズエッジ。本来ならカロンもブレイズエッジ様やら殿やら付けるべきなのかもしれないが、今さらだろう。カロンはスナジアの方を振り返った。
「いつもはどんな風なの?」
本人がいない場所での噂話に少しばかりためらいつつも、好奇心が勝った。
初めてカロンと会った時の融通のきかなそうな態度と、いつの間にかあれこれ世話を焼いたり快活に笑うようになっていた態度。どちらが本当のルドガーなのだろう。
「模範的な騎士様といったご様子ですよ。お若いのに厳格ではありますが、部下の皆様からも慕われておりますし」
「ぶか」
盲点。というよりは、カロン自身がほとんど騎士というものを知らないので、そもそも意識のステージに上がってさえいなかった。
そりゃあ、公爵と直接謁見できて、何かと呼びつけられるほど頼りにされている騎士だ。部下の一人や二人いてもおかしくはない。
「ルドガーって何人くらい部下がいるの?」
まあ、とスナジアは驚いたように口もとに手を当てた。
「何人、とはっきりは分かりませんが、全部で五、六十人くらいでしょうか……」
今度はカロンが口もとに手を当てる番だった。
「!」
「……ひょっとして、カロンはご存知なかったのですか? ブレイズエッジ様は公爵家騎士団の部隊長を務めていらっしゃるのですよ」
「部隊長!」
もはや、カロンはほとんどオウムと同じになっていた。そんな客人を見て、スナジアは困ったような表情でほほ笑んだ。
「ご存知なかったのですね」
「ごめん……」
謝ることではないですよ、とスナジアはカロンの頭に手を伸ばした。が、その手がカロンの髪に触れる前に「カロン!」と渦中の人の声が響いた。
「探したぞ、なぜ部屋に戻らなかった」
ずんずんと歩いてくるルドガーの様子がいつもと違って少々威圧的で、カロンは思わず後ずさった。
「わ、私もルドガーを探してたから……」
「……そうか」
控えるスナジアを視線で一歩下がらせて、ルドガーはカロンに言った。
「来てくれ」
ルドガーの背中を眺めながら進んだ先には、広場というのか訓練場というのか。訓練用の木人や武具が置かれた広いスペースがあった。
間抜けなほどの青空が、汗を流す騎士たちを見守っている。
「隊長!」
ぼんやりしていたカロンは危うく立ち止まったルドガーの背中に鼻をぶつけるところだった。気の良さそうな騎士が汗を拭きながら近づいてきたのだ。
「どこぞのご令嬢をさらってきたんですか」
「ばか言え。そんなに元気ならもう少し訓練を付けてやろうか」
ルドガーは呆れて目を閉じた。騎士は慌てて身体の前で手を交差してブンブン振っている。「とんでもない!」へへえ、と笑う。「じきじきにご指導いただいたお陰でもうヘトヘトですよ」。
しかし、その視線から好奇の色は外れない。決して不快な感じではなかったが、不躾な視線を咎めるように、さりげなくルドガーがカロンと騎士の間に立った。
「この人に大事な話がある。外してくれないか」
この人、と言ったのでてっきりカロンは相手の騎士のことだと思ったのだが、では……と外そうとしたところ、腕をがしりと掴まれてしまった。「話があるのはお前にだ」呆れたようにため息をつかれた。
「た、隊長…………まさか」
ルドガーが「なんだ、」と尋ねる前に、騎士は破顔一笑して元気に返事をした。
「ご武運を!」
「……? ああ」
敬礼をして去っていく騎士に、ルドガーもまた儀礼的な敬礼を向けて見送った。話が早いな、などと呟いている。
「さて」
ルドガーはカロンの方に身体を向け、まっすぐに話しかけた。
「昨日の今日ですまない。だがカロン、俺と手合わせしてほしい」
「手合わせ……」
出会ってからこっち、断り続けている申し出だ。だが今日のルドガーはいつもと雰囲気が違った。いや、思い起こせば、あの森での出来事以来なにか考え込んでいる様子ではあったのだ。
「聞いてもいい? どうして私とそんなに戦いたがるの? 私は知り合いと戦いたいとは思わない」
「俺は――」
ルドガーの視線はうろ、と一瞬さまよった。
「俺は、守れない。いつもだ」
迷子のような小さなつぶやき。守ってくれた、と言いたかった。昨日だって、ルドガーとフロストが駆けつけてくれなかったらなすすべなく魔獣にパクリと食べられていたかもしれない。
しかし、カロンは口をつぐんで次の言葉を待った。握りしめた拳が震えているのを見て、何も言えなくなってしまったのだ。
「最初は家族だった。うちは貧乏商人だったが、つつましく平和に暮らしていたんだ。――だがある日帰ったら、家族はみな死んでいた」
息をのんだ。
「盗賊が、家族を皆殺しにして金を奪っていったんだ。頼りの親戚もなく、俺は露頭に迷って、
ルドガーの視線は遠くに向けられている。カロンはなるべく彼の回顧の邪魔をしないように、それでも何かできはしないかと、少しだけ寄り添った。
「最初に盗みを働こうとしたのがブラックウッド卿――閣下だったんだ。馬鹿だった。衣服が豪華なものだから金もあると思ったんだ。当然失敗したよ。その時に、度胸を買われて閣下付きの雑用係になった」
まあ、あんなものは度胸などではなくただの無知だが、閣下も変わり者だな。そう言ってルドガーは自嘲するように笑った。
「それから団の小間使いをしながら訓練を続けた。騎士の位を賜り隊長に任ぜられ――なにかと気難しい人だが、懐に入れた人間にはやさしいだろう、閣下は」
「そう、かも」
「……そんな恩人さえ、俺は守れなかった。目の前で、誰とも知らぬ暗殺者に首を落とされた時の絶望は今だ消えない」
ルドガーの言う通りだった。冗談みたいな魔術のせいで大事には至らなかったが、下手をしたら死んでいたかもしれないのだ。命の恩人が、目の前で。
「俺にもっと力があれば、と思った。ずっと思い続けていた。頼む、カロン。俺と手合わせをして、お前の強さを見せてほしい」
「私は――――」
カロンは何かを言いたかったはずなのだが、その言葉は喉につかえて出てこなかった。
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