ベルチェロ=サーベラス・ブラックウッド

 ピーコックは家譜のほとんど根本に近い箇所を節くれだった指先でさし示した。Timanousティマヌス。そう書かれている。


「ベルチェロとティマヌスは同じものを指す名だ。無関係ではないかもしれない。しかしこの男は――」


 ピーコックは眉間にしわを寄せたままその名をにらみ付けている。「なにか?」カロンは恐る恐る尋ねた。


「……非常な暴君だったと伝えられている。暴虐の果て、ついには臣下に討たれたと。ブラックウッド家が存続しているのは、彼の弟君おとうとぎみが優れていたからだ」


 ピーコックが指をずらした先の名は、樹のように分かれながらも現代にいたるまで長く線が続いていたが、ティマヌスからの流れは一つもない。(殺したのはお前たちカロンだ)冷たい少年の声がよみがえる。


「討たれたって、もしかして……」

「十中八九、当時のカロンに、だな。カロンはブラックウッドを守護するが、道を違えれば命を賭して止めるのだろう? その少年とやらの話とも辻褄が合う」


 おそらく、ピーコックの推論は正しい。ただ確認するだけのつもりだったのだろう、ピーコックは答えを待たずにうなった。


「それがなぜ、犬の姿で生きているのか…………それも、ずいぶんお前に馴染んでいる様子だったな」

「え」

くだんの犬がベルチェロ……すなわちティマヌスだと仮定して」

「ややこしいからベルチェロでいいと思うけど」

「……では、ベルチェロと仮定して。世代が異なるとはいえカロンはおのが命を奪った相手だ。私なら近寄ろうとも思わん」


 言われてみればその通りだった。カロンにとっては知らぬこととはいえ、犬の方はカロンが名を呼ばれているところなど何度も耳にしているはずだ。その上、寝首をかく機会だって腐るほどあった。だというのに、現実はといえば、寝首をかくどころか小屋とともに焼死するのを防ぎ、あまつさえ庇うような態度さえみせた。


 考え込んだカロンにちらりと目線をやると、ピーコックは突然目の前の系譜図をクシャクシャに丸めて背後にポイと放った。


「あっ」

「記憶した。大事だいじない」


 そういうことではないのだが。ポイ捨てを咎めて捨てられた先をみれば、不必要なほど装飾がほどこされたダストボックスが置かれていた。見事にすぽりと入ったらしい。素晴らしいコントロールである。


「こころ当たりがないのなら考えても仕方なかろう。世には不意に見初められるということもあれば、預かり知らぬところから恨みを買うこともある」


 つまらなそうにそう言って、ピーコックは立ち上がった。ひとまずこの話はこれで終わりらしい。


「屋敷で不自由があればスナジアに言うといい。朝食と夕食の時間は私に合わせるように。それから――」

「ちょ、ちょっと待って」


 なんだ、と片眉を上げたピーコックを見上げて、カロンは頬をかいた。


「ありがたいんだけど、なるべく早く出ていくから私のことはあんまり気にしないで。すぐに仕事が見つかるか分からないけど……」

「なぜだ。一人くらい増えたところで全く影響はない。私はいっこうに構わん」

「私が構うの。いい? ピーコック。私はずっと、この執務室の半分もない大きさの部屋で寝起きしてきたのは知ってるでしょう?」


 ピーコックはアッハッハとおおらかな笑い声を上げた。


「知らぬわ。大は小を兼ねるだろう」

「そういうことじゃなくって……ねえ、わざとはぐらかしてない?」

「どうだかな」


 口の端を釣り上げたピーコックは、今度こそ話は終わりだと片手を上げた――のだが、ふと思い出したようにあごに手を当ててつぶやいた。


「滞在している間にルドガーに会ってやれ。アレもなにかと思い詰めるところがある男だ」

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