帰路 あるいは往路

 賢者のもとに向かったときとは違い、ルドガーは遠慮も容赦もなく馬を走らせた。おかげで公爵邸にたどり着いたのはまだ朝といって差し支えない時間である。


 しかし、最速で風を切る感覚には慣れそうにない。手綱を握った騎士がしっかり支えてくれていたとはいえ、カロンの身にはひどくこたえた。夜中に叩き起こされてから緊張のなかで一睡もしていないせいかも知れないが。


 かいがいしくも邸宅の門前で仁王立ちして待っていたピーコックは、カロンの姿をみとめると大きく腕を広げた。


「カロン! 大事はなさそうだな」

「ピーコック」


 カロンは馬を降りてルドガーに礼を言うと、ピーコックにへとへとの笑顔を向けた。


「ありがとう。ルドガーとフロストを向かわせてくれたんでしょう? 本当に助かった」

「……当然だ。私にとってお前は身内のようなものだからな」


 この男はなにかと傲慢な発言はあるが、案外世話好きな面もある。領主という立場のせいばかりではあるまい。


「でも、危ないってどうして分かったの?」

「何がだ」

「何がって……全部。火事になることとか、剣を持ってきてくれたりとか」

「…………なに、ちと協力者がな」


 ピーコックは目をそらして口笛を吹きはじめた。明らかに何かをごまかそうとしている。カロンはジトリと目を細めた。


「隠しごと?」

「まあ、な」


 否定はしないピーコックに、カロンは仕方ないと肩をすくめた。


「思い違いをするでない、カロン」


 そのまま話を終わらせようとしたカロンに突然ピーコックが言い放ったので、カロンは眉をひそめて次の言葉を待った。


「前々から思っていたが、物分かりがいい顔でなんでもかんでも飲み込むのは悪癖あくへきだ。毒を打たれたのなら泣きわめいてもよい。火を放たれたのなら怒ってよいのだ」

「怒ったよ」


 怒った。森を荒らされ、あの地で命を奪わされ。確かにあの場所は墓所と名づけられながら、人の墓が並ぶわけではない。しかし、カロンにとっては神聖で大切な場所だったのだ。


「ならばよいが」


 静かにそう言うと、ピーコックは屋敷へ入るようにうながした。


「とにかく、風呂にでも入ってひと眠りするといい。昨晩から休んでいないのだろう」


 ルドガー、フロスト、お前たちもだ。そう言うとピーコックはさっさと屋敷へ戻ってしまった――と思ったら、ひょっこり顔だけ出して呆れ顔をする。


「何をしている。そんな風にぼんやり生きていたらあっという間に爺になるぞ」


 己よりもはるかに年上の人間に言われ、カロンはぐぅ、とうなった。「ぐぅのが出ている」フロストに指摘されて、キュッと口をつぐむ。


「スナジアもお前の世話を楽しみにしているのだ」


 誰だろう、と考えたのは一瞬のことで、すぐに以前世話になった使用人のほほ笑む顔が浮かんだ。慣れない豪勢な部屋に緊張するカロンを軽やかな態度で解きほぐした、優しい使用人だ。


「ルドガーとフロストは?」

「我々は宿舎で一度湯を浴びる。休んだあとで必ず顔を出そう」


 そう約束してくれたので、カロンは安心してピーコックとスナジアが待つ屋敷の中へ入っていった。


 

 カロンが屋敷へ入るなり、ピーコックは奇声を上げた。


「アッ、おい、待て! 汚れは入り口で落としていきなさい。スナジア、スナジア!」


 呼びつける公爵に反応して、使用人はタオルと湯の入った桶を持って小走りでやってきた。用意周到というべきか、この主にしてこの使用人ありというべきか。なるほど、帰って早々「湯を浴びる」と言っていた騎士たちはこれを知っていたのだろう。


「カロン様、お久しぶりですわね」

「様は付けなくて大丈夫です。というか、そう呼ばれるの、慣れなくて」


 スナジアは困ったように眉を下げた。


 当然といえば当然で、騎士として一応の地位を持っているルドガーやそもそも貴族出身のフロストたちと違って、スナジアは一介の使用人だ。主人の賓客を呼び捨てにすることなど普通はできない。


 が、ここではそもそも主人が普通ではない。


「望むとおりに呼んでやれ。なに、そこらの村娘を保護したとでも思っておけばよい」

「はぁ。ではわたくしのことはスナジア、と。それからカロン、わたくしに丁寧な言葉遣いは不要ですわ」

「ええと……分かった。よろしく、スナジア」


 このあたりが互いの妥協点なのだろう。カロンはおとなしくスナジアの言葉にしたがうことにした。


「私は執務室に戻る。まず風呂に入れて、朝食――いや、昼食か。なにか軽食を食わせてやりなさい。それから、」


 次々に指示を出すピーコックをさえぎって、カロンは言う。


「話がある。今日あった事とこれからの事と、それにピーコックも会ったことがあるあの黒い犬は人間だったみたいで。それから、それから……」

「カロン」


 ピーコックはカロンの肩に手をおいて、染み込ませるように言葉を発した。


「寝、な、さ、い。疲労で過分に頭が働く感覚は私にも覚えがある。あれはまったく健全なものではない」

「でも……」

「まずはその酷い顔色をどうにかするのが先だ。ニナに会うとき、余計な心配をさせたくはないだろう?」


 ニナ、と聞いてカロンは溢れ出る言葉をどうにか押しとどめた。会えない日々が続いていたが、しばらく公爵家に身を寄せるのであればそのうち会うこともできるだろう。


「それに」

「それに?」

「客人に倒れられては私の面目が立たん」


 むすっと口をへの字に曲げたピーコックを見て、思わずふふ、と笑みがもれた。


「それじゃ、公爵閣下の面目のために休もうかな。少しだけ」

「スナジア、あとは任せたぞ」


 使用人に目配せしたピーコックはさっさと屋敷の奥へ歩いて行ってしまった。残されたカロンとスナジアは顔を見合わせてくすりと笑い合うと、指示された通り浴場へ向かった。


 ✕


「ベルチェロ・サーベラス・ブラックウッド。あの犬の名が」


 ピカピカに磨き上げられた執務机にひじを付いて、ピーコックはカロンに尋ねた。当のカロンは長めの仮眠から目を覚ますなり、あっという間に着せ替えさせられ、あれよあれよという間にここへ連れてこられた。昨晩のできごとはきっと騎士たちから報告が上がっているのだろう。


「うん、確かにそう呼んでた。それからもう一人は『シグマ』って」

「シグマ。……シグマ、な」


 ピーコックは目を閉じてどっしりとした椅子に背を預けると、深く息をはいた。心なしか眉間にしわが寄っている。


「まず、私の記憶ではブラックウッド家に『ベルチェロ』なる男は存在せん。過去まで遡ってもな」

「ただの同姓ってこと?」

「馬鹿者。この地にブラックウッドをいただく者がそうそういるものか」


 そんなこと言われたって、貴族の名前なんか知らないよ。ピーコックは口を尖らせているカロンを一瞥して続けた。


「記憶違いの可能性も含めあらためて調査した。その上で、やはり家系にベルチェロという名は現れなかった。だがな、カロン」


 ピーコックは一枚の薄っぺらい紙を机上に置いた。ずいぶん古いもののようで、ピーコックが机に置いた衝撃でもろく崩れ去ってしまいそうなほどだ。


「この家譜かふを見なさい」

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