夜は明けて
「これだからカロン一族は嫌になるよね」
少年は顔をしかめた。
「冥府の影だかなんだか知らないけど、馬鹿だから馬鹿みたいに強いのかな」
「ひどいこと言う」
「酷いのはカロンさ」
吐き捨てるように言った少年は、カロンの背後で浅い息を繰り返している犬を指さした。
「そこの男――ベルチェロ・サーベラス・ブラックウッド。僕の唯一の理解者。可哀想に、殺したのはお前たちカロンだ。お前たちを根絶やしにするには十分な理由だろう?」
殺した? 犬は抗議するように一度吠えたが、人の言葉にはならなかった。それに、カロンは思い出していた。男に会ったときの本能的な感覚、この男は信用してはならないという、記憶の断片。
カロンは名と魂で世代をひき継ぐと言っていたではないか。少なくとも今のカロンはあの男を知らない。もし歴代の誰かの記憶であったなら――それをカロンが知らず継承しているのであれば――男を信用できないという不思議な確信と「殺した」という発言が結びつく。
しかし、それならなぜ、まだ生きて――――
「カロン、耳を貸すな。少なくともお前は誰も殺していないはずだ」
考えに囚われ始めたカロンを現実に引き戻したのは、ルドガーの声だった。いつの間にか隣に来ていた青年は、庇うように一歩前に出る。
「ブラックウッドを
怒りが滲む声色でルドガーは吐き捨てたが、少年は興味なさげに一瞥すると、あろうことか剣を向ける騎士にかまわず背を向けて歩き出した。
「雑魚とはいえ小虫が二匹も付いていたら面倒でかなわないよ。飼い犬は見つかったしね。僕は帰る」
行くぞベルチェロ。少年が呼ぶと、苦しげに伏せていた黒い犬は歯をむき出してうなった。
「お前が来ないのなら、教団の連中をここに差し向けたっていいんだ。この女の顔は割れている。あとは好きにしてくれるだろうよ」
「自分が殺すって言えばいいじゃない。あなたが、私を殺すって」
ずっと疑問だった。カロンのことを憎んでいるそぶりを見せながら、この少年は決して自分で手を下そうとはしない。教団に襲わせたり魔獣を使役したりはするのに、自分自身ではなにもしようとしないのだ。
少年は無表情でカロンを一瞥したものの、なにも言わなかった。
うなっていた黒い犬は、やがて立ち上がって少年のもとへ行くそぶりを見せた。一度だけカロンの方を振り向いて、そのまま行ってしまう。
「ベルチェロのせいで危うくまた隠されるところだったけど……『カロン』を守る霧はもう存在しない。どこへ逃げたって無駄さ」
せいぜいひとときの平和を楽しみなよ。少年は犬が足元に来たのを確認してパチンと指を鳴らす。
その瞬間にはもう、少年の姿も犬の姿も見えなくなっていた。
「……行ったか。カロンは――大丈夫、だな」
確かめるようにそう言って、一瞬、唇を噛み締めた。
「ルドガー?」
「ああ、いや」
悔しそうな表情を浮かべたのはほんのつかの間のことで、すぐに肩の力を抜くと何ごともなかったかのように虚空へ向かって叫んだ。
「フロスト! もう大丈夫だ、消火!」
燃え盛っていた森の一点から空に向かって青白い光が放たれ、空中で弾けると、とたんにざあざあ雨がふり始めた。おそらくただの水ではないのだろう、あっという間に森の炎を鎮火していく。燃えあとは生々しいが、これ以上の延焼はひとまず防げたようだ。
「すごい……」
「閣下から持たされた簡易式の魔法陣を使った。フロストの方がこちらの方面には適正があってな――」
話しているところに、焼け跡の方からフロストがやってきたので中断する。「こっちだ!」ルドガーが声をかけると、訳知り顔でうなずいていた。
「カロン、見事な討伐だった」
「二人が来てくれたから。本当に助かった」
騎士たちは顔を見合わせた。先に口を開いたのはやはりルドガーで、やれやれと首を振りながら西の方角を指さした。
「一度屋敷へ行こう。閣下がお待ちだ」
「そ……れは、助かるかも」
薄明の中、小屋だった場所を振り返る。森を焼いた炎は、カロンたちが暮らしていた小屋も例外なく焼失させてしまった。
今はどこで何をしているのやら、生きているのかも分からない師との思い出の場所。
「消火が遅くなってしまった。すまない」
振り向けば、フロストが申し訳なさそうに眉をさげていた。
「いや、俺の指示で待機させた。こいつは――」
「フロストのせいじゃない。……ルドガーも、ありがとう」
射手の居場所が分かってしまっては、いざというときに文字どおり一矢報いることすらできない。炎の危険と戦いながら森の中に身を潜め続けたフロストに、感謝することはあっても、責めることはない。
それに、相手は魔術師だった。すぐに鎮火しようとして刺激すれば、被害が広がっていた可能性さえある。それくらいは、カロンにも分かっている。
ルドガーの指示も、フロストの忍耐も、間違っていない。
「……帰るぞ。火の届かないところに馬を繋いだから少し歩く。走らせれば半日せずに着くだろう」
「うん」
カロンはつとめて後ろを振り返ることなく、昇りはじめた朝日を背負って一歩を踏み出した。
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