黒犬


 カロンが思った通り、そこには長年の友人である黒い犬がいた。

 しばらく小屋を空けていた間はどこで何をしていたのやら、どうせ普段から気まぐれにしているので、森で獲物を追って駆け回っていたのだろう。


 カロンになにかを訴えるように壁を引っかいている。少し休憩させてくれ、と言っているようだ。


「今日はお客さんがいるから」


 そういってピンと耳の立った犬の頭を撫でてやると、犬は不満そうにウォンと鳴いた。


「野犬か」


 開きっぱなしの戸にもたれながら、ピーコックがいぶかしげに問う。野犬というには人に慣れているが、少なくともカロンの飼い犬ではない。


 とりあえず小さくうなずいて黒い毛並みを撫でると、犬は普段はしないような恐ろしい顔をしてグルグルうなった。


「どうしたの、ピーコックが嫌い?」


 ウォン。肯定するように吠える犬を見て、ピーコックもまた嫌悪感をあらわにした。


「私だって野犬は嫌いだ。汚いし、噛むし、追ってくるしな」


 バウワウ。犬が今にも飛びかからんばかりに姿勢を低くしたので、カロンはあわてて抱き込んで止めた。「だいじょうぶ、大丈夫」しばらくグルグルとうなり続けていたが、じきに落ち着いたらしい。


 相変わらず不審そうな目でピーコックをにらみ付けてはいるが、もう攻撃をする様子はない。


「いいこだねぇ」


 やさしく撫でられた犬がフンと鼻を鳴らしたので、ピーコックは口をひん曲げた。


「私だっていい大人だが?」

「そーですねぇ」


 くだらない話をしながら小屋に戻ると、犬もチャッチャと爪の音を響かせてついてくる。途端にピーコックが渋い顔をした。


「犬、足を拭いてから入れ」


 どうもこの公爵には潔癖なところがあるらしい。そういえば地下書庫に行ったときも埃を嫌そうに避けていたな、と思い出して、カロンは仕方なくふきんを持ち出した。もう古くなっていて、ちょうど雑巾にしようと思っていたのだ。


「おじさまがうるさくて、ごめんね」

「公爵さまだ」

「はいはい、公爵様」


 自分で言い出したくせに、公爵と呼ばれたピーコックは不満げに口を引き結んだ。理不尽きわまりない。黙り込んでいる「公爵様」を嘲笑うように黒い犬が吠える。


「……ピーコック、お茶のおかわりは?」

「ああ。いや、自分で。まず手を洗ってきなさい」


 その言い方がかつての師匠のようで、カロンはくすりと笑って「はぁい」と返事をした。仲はあまりよくなかったらしいが、しっかり似たところもあるものだ。


 犬の足をぬぐった布はあとで他のものと一緒に洗うとして、自分の手を綺麗にしてから、やっと椅子に腰を下ろした。


 自ら淹れた茶を一口飲んで首をかしげているピーコックに、「それで」と話しかける。


「ルドガーとフロストも元気?」

「今日も訓練だ」


 元気かどうかを聞いているのだが。


 とはいえ顔を合わせば「手合わせしろ」とうるさいルドガーと真面目なフロストのことだ。訓練に参加できるのならば、それすなわち元気ということなのだろう。カロンは「よかった」と胸をなで下ろした。


 賢者のもとから帰って以来、彼らとはもうひと月は会っていない。


 本来的に友としてまじわる身分ではないと言えばその通りなのだが、危険な採集などに付き合わせた――というよりほとんどすべて任せきりだった――うえに道中もなにかと世話になったことを思えば、いずれこの恩は返さなければならない。


「そろそろか。私は帰るが、その犬もさっさと野に返すように」

「言われなくても自分で帰っていくよ」


 ね。黒い犬に笑いかけると、犬はまるで言葉が分かるかのようにウォン! と鳴いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る