ドタバタ騎士紀行 ~終~

「……ただいま帰った」

「おかえりなさい?」


 生臭い匂いが鼻をついて、カロンは思わず息を詰めた。疲労困憊といった様子のルドガーは大きな魚をまるごと一匹背負っている。


「すまん。帰りはフロストの馬に乗れ。間違いなく鎧に臭いがうつった」


 ルドガーはきっぱり言った。カロンとしては自分のためにしてくれたことなのだからまったく平気なのだが、当のルドガーが嫌だと言うなら無理にというほどでもない。


さばけるか?」


 あとから入ってきたフロストがそう言ってルドガーの背から魚をおろそうとするので、カロンは慌てて止めた。


「ガーネッタ、なにか敷いたほうがいいよね?」

「もちろん! ちょっと待っていて。なにか探してくる」


 ガーネッタを待つあいだ、酒場で起こった事件を話すと、ルドガーとフロストはうなだれてしまった。


「え、ど、どうしたの?」

「どちらかが残るべきだった。あのキザったらしい暗殺者に忠告されていたのに、二人してノコノコと……」

「二人がかりじゃなきゃ難しかったんでしょう?」


 ガーネッタからそう聞いている。片方が残れば、採集はいまだに終わっていなかっただろう。


 満月の正確な日付は占星術協会が布告しているが、目視でもじきに月が満ちるだろうことは見てとれる。手間取っているうちに手遅れになっていたかもしれない。


 それに、ガーネッタのおかげで血を見ることなく襲撃者を撃退できた。いざとなれば覚悟はとっくにできてるが、今回はガーネッタが店に残るのが正解だったのだ。二人の判断は間違っていない。


 うまく伝わるか不安に思いながら、そのようなことをカロンがとつとつと伝えると、ルドガーはふっと表情をゆるめた。


「そうだな。俺たちは皆すべきことをした」


 後悔を感じさせないよう、つとめて明るい口調を保っている。ピーコックが彼を側近として置いている理由が、カロンにはなんとなく察せられた。


 デカい魚を背負っているとは思えない、いや、デカい魚を背負える男だからこその繊細な気遣いだ。


 そうこうしているうちに、ガーネッタが革の敷物を持ってきたので、カロンたちは話を中断した。


「この上におろしてちょうだいな」


 床に敷いてうながされ、フロストの手助けを借りてようやく魚を下ろしたルドガーは、腕をブンブンと回して深く息をはいた。スン、と己の鎧に鼻を近づけてひどい顔をしたりもしている。


「わざわざ丸ごと持ってくるなんて、なにかあった?」

「やっぱり、か。知っていたな。あの場がドラゴンの生息地と」


 カロンは驚愕に目を見開いた。騎士団が一丸となってかかっても討伐できるかどうかは運と実力次第だと、師の蔵書には書かれていた。よくぞ生きて帰ってくれたと思う。彼らが優れた騎士で本当によかったと胸をなでおろした。


 もしかして、会った? 気まずげな笑みを浮かべる賢者に、騎士たちはがくりと肩を落とした。


「――っ! 会った? じゃない! 知っていたのなら言ってくれれば……」

「アンタたちならどうにかなるかと思って」

「どうにかなったが! それはそれ、これはこれ!」

「ルドガー、無駄だ。こいつ反省していない」


 わはー、と笑みを浮かべているガーネッタを見て、フロストはとうとう「こいつ」などと呼び出した。騎士たちの主人ピーコックをしのぐほど魔術に精通している「賢者」のはずなのだが、よほど業腹ごうはららしい。


「もう気にするだけ無駄だ。それよりこれを捌いてくれないか。腹が減った」

「食べる気!?」


 焼いて食ってみたいそうである。


 ✕


「はい、できた!」

「もう!?」


 もちろん、解毒薬である。焼き魚ではない。


 カロンが驚いたのも無理はなかった。巨大な魚を解体したときはもう夕方ごろになっていたが、肝とその他の素材を持っていってから、カロンたちが軽食を食べ終わるまでの時間しか経っていないのだ。


「もう特急で調合してきたのよ。私が超優秀で薬に精通した賢者サマで良かったでしょ? 夜になる前に飲んでもらわなきゃ」


 ガーネッタの言う通りだった。夜になればまたカロンの体調は悪化するだろう。満月が近づいている今、昨日のように熱冷ましでごまかしが利くのかも分からない。


 小ビンに入った透明な液体――解毒薬は、きらきらと不思議な光を放っていた。心なしか、弾ける光の清廉な音が聞こえるような気さえする。


「ひとつだけ、気をつけてほしいのだけれど」


 ガーネッタは静かにそう言って、いままでの快活さをひそめ、重々しく神聖な雰囲気をまとった。


「その薬はある意味で毒なの。『カロン』にとってはね」


 ああ、とカロンは思い出した。ムーンドロップは本来、神々の薬であり、人間には適合しないがために毒として働くのだと言う。だとすれば、その「解毒薬」は、神々にとってどういう存在か。


 毒、なのだ。


「あなたが『カロン』なのであれば、そもそもムーンドロップは毒ではないわ。けれど、今はどういうわけか毒として働いてる」

「おい、待て」


 ルドガーが焦ったように口をはさんだ。


「治る、と言ってくれ。そういう約束だろう」

「約束はしていない。それに、断定はできない」


 答えは無情なものだった。ルドガーはうめき声を上げて嘆いている。


 だが、カロンはさほど驚かなかった。きっと、カロンは名ばかり継いだだけの、ただの人間なのだ。

 だから、薬は効く。


「飲む」


 ガーネッタは小さくうなずいて小ビンを差し出した。


「待っ……!」


 カロンはルドガーに止められる前に、ひと思いに栓をはずして解毒薬を飲み干してしまった。フロストは関心があるのかないのか、パンを片手にあ然としている。


 背に手のひらが添えられた。ガーネッタの白い指がしっかりと腰を支えている。少しくすぐったくて身をよじった。


「どう? おかしなことはない?」

「うん……いや、なんか……」


 眠い。とてつもなく眠くてまぶたを開けていられない。ぐらりと身体が傾きかけて、ああそれで支えてくれたのかと理解した。


 膜がはったようなぼんやりとした音だけが響いている。ルドガーがなにか言っていた。フロストは……パンをぽろりと皿に落としてしまっている。カロンは(食べてていいよ)と伝えたかったが、もう口も開けないくらいに眠たかった。


「大丈夫。少しだけ、おやすみ」


 優しい声にいざなわれるようにして、カロンの意識はふっと途切れた。

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