リリル・リリ・リレリ
一音。
たった一音で、喧騒がうそのように静まり返った。荒くれ者の冒険者までもが、彼の音楽を聞き逃すまいと耳をそばだてている。控えていた踊り子たちはその場で心のままに美しいステップを踏む。洗い流されるような心地よさに、人々はぽかんと聞き入っていた。
やがて演奏が終わると、酒場には割れんばかりの拍手が巻き起こった。まるで劇場である。四方に軽く礼をしたフロストは、あ然としている演奏家に竪琴を押し付けてカウンター席に戻ってきた。
「見世物にならば私がなる。彼女は駄目だ」
「駄目って」
カロンは苦笑した。言葉足らずだが、悪口でないことは短い付き合いでも分かる。
「こちらのご令嬢はブラックウッド公爵閣下のご友人だ」
ルドガーが補足する。それでようやく、男は彼らが「何に」怒っていて、なぜ品のいい騎士が自ら見世物を買って出たのか理解したようだった。顔を真っ青にしてもごもごと言い訳をすると、あっという間に店を出ていった。
「アンタ、やるじゃない」
ニンマリと猫のように瞳を細めたガーネッタが、カウンターに戻ってくるなり小さく拍手をした。フロストの演奏に酔った人々が酒をさらに注文したのだという。
「気に入ったわ。三人とも、宿はまだ決めていないんでしょう? ちょうど部屋も空いてるし、ぜひ泊まっていって。 ……まあ、ウチは宿屋じゃないし、サービスでは負けるかもしれないけど」
思ってもみない申し出だ。カロンはルドガーの様子をうかがった。ガーネッタのもとに泊まってよいのなら是非もないが。二人の騎士は思案ののちうなずいた。
「助かります。私とフロストはひと部屋いただければ結構なので、カロンを」
「大丈夫、全員に一番いいお部屋を用意するわよ。なにせ先代のカロンのお弟子チャンとお連れさんなんだから」
そっちも何か話があって来たんでしょう? そう言いながら手早く酒や食事の仕度をすると、店主はふたたび客の間に飲まれていった。
✕
「繁盛繁盛! 今日は飛び入りゲストのおかげでいつもより稼げたわぁ」
最後の客を追い出して、ガーネッタはふぅ、と満足げに息を吐いた。飛び入りゲストとは言わずもがな、突然演奏を始めたフロストのことである。カウンター席のすみっこで大人しく閉店を待っていた一行に、ガーネッタは弾んだ声で話しかけた。
「お兄さんたち、騎士でしょ? 騎士ってのはあんな演奏までベンキョーするの?」
「私は……本当は、吟遊詩人に、」
なりたかったのです――フロストは視線をさまよわせながら、小さな声で言った。
あんな素晴らしい演奏をしておいて何をそんなに気後れすることがあるのかとカロンは首をかしげたが、ガーネッタには察しがついたようだ。
「ああ、もしかして貴族の坊っちゃん? 家柄にふさわしくないって?」
フロストがこくりとうなずいて肯定する。よくある話ね。ガーネッタは気遣わしげな表情を浮かべた。
「私の話は結構」
騎士の目がカロンに向く。視線を受け取った少女は、自らガーネッタに頭を下げた。
「解毒薬を、作って欲しいんです」
日は落ちた。今も毒はカロンの身体を蝕み始めている。
「解毒薬?」
「『ムーンドロップ』という毒を打たれたらしく、」
引き継いで話そうとしたルドガーの方にぐりんと顔を向けたガーネッタは、驚愕の表情で叫び声をあげた。
「ムーンドロップ!? どうしてそれを早く言わないの! からだ、痛まない? 痛まないはずないわ、だって……ああもう、どうしてそんな平気な顔をして…………ほら、あるじゃない、熱も!」
ぴとりと額に手を当てられて、カロンは気まずい気持ちで目をそらした。「さては黙っていたな、カロン」「熱が……」ひそひそと騎士たちが小声で言葉を交わしているのが、なおいっそう気まずい。
「ムーンドロップは満月が近づくほど症状が進行するの。今だって普通だったら立っていられないくらいのはずで――ああ、」
ガーネッタは目を丸くした。
「いいえ、待って、あなたカロンの名を継いだって言ってたわよね。確かにそうだわ。間違いない。でも、それならなんで……」
「混乱してる」
見れば分かるようなことを呟いてしまうあたり、カロンの方も困惑していた。一方の騎士たちは冷たい。
「見ればわかる」
「カロン、あとで――――いや、ことがすべて済んだあかつきには、話がある」
「……それって、『ことが済んだ』ら、もうする必要のない話だと思わない?」
おずおずと提案したカロンに、ルドガーは強い決意をたたえてはっきりと反対した。
「思わない。この失態はお前の性格と毒の回りを
どうやら嵐が通り過ぎるまで小さくなってやり過ごすしかなさそうだった。
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