爪弾く者

「お前たち、何かあったのか」


 二人ともむっすりと黙っていたせいだろう。偵察から帰ってくるなり、頭に葉っぱをのせたルドガーがキョトンとして尋ねた。


「カロンは悪くない。私のせいで不快に、」

「そんなことない。私がフロストに踏み込みすぎたの」


 カロンはフロストの言葉を遮って断言した。出会ってから短い時間の付き合いではあるが、一度たりともフロストに不快にさせられたことなどない。そう伝わるように。


 ルドガーは二人の顔を何度か交互に見たあとで、深くため息をついて首をふった。


「何でもいいが、街までには仲直りしろ。今日はもう少し進んだら野営に入る」


 つとめて何でもないように言っているのが分かったので、カロンも何でもないようにうなずいた。


 しかし、ルドガーはどこかソワソワした様子で付け加える。


「カロン、気分転換に手合わせでもどうだ」

「お断りします……」


 チッ、と舌打ちが聞こえた。ルドガーは、ピーコックのいないところでは若干ガラが悪い。何度か繰り返しているやり取りだが、ルドガーはめげない。カロンも折れないので平行線だった。


 今回もげんなりしながら断ると、ルドガーは文句をたれながらも大人しく馬にまたがった。カロンも心得たもので、手を引かれてルドガーの前に乗せてもらう。栗毛の馬が少しばかり後ろを気にしたので、首を撫でて落ち着かせてやった。


 ついでにルドガーの頭にのったままの葉っぱも取ってやる。


「フロスト! しょぼくれてないで行くぞ。少しでも進んでおきたい」

「……ああ」

 


 カロンとフロストが少しばかり気まずくなったほかは、憂慮されていたエリジア教団の追っ手などもなく、道中は不気味なほど穏やかだった。


 しいて問題を上げるならば、毒がカロンの体内に回りはじめたのか、深く眠れない日々が続いていることだろうか。日が落ちると熱が上がり、心臓にはキリキリと締め付けるような痛みが走る。交代で不寝番をつとめる騎士たちに悟られないよう、身体を小さく丸めてやり過ごすしかない。


 日中はケロッとしていることと、騎士たちが気をつかって少女の寝床から少し離れてくれているおかげで、まだ誤魔化せている。しかし、このままではいずれ限界がくるだろうとカロンは悟りつつあった。


  ピーコックの屋敷があるラヴェンクロス市から馬で四日ほど。一行が訪れたのは小さいが活気のある市街で、地図に記されていた場所には確かに酒場があった。


 賢者ガーネッタがいる場所。「酒が美味い店」と先代カロンが評した場所だ。


 酒場は木造のしっかりした造りの建物で、鉄の壁飾りには「Figaroフィガロ」と看板がさげられている。


「ここが……」

「例の『酒が美味い店』か。よかったな、ルドガー」


 フロストはなんの気なしにルドガーを祝福した。それに反応したのはカロンである。「ルドガー?」騎士は疑いの視線に耐えられずさっと顔をそらした。怪しい。


「もしかして、一緒に来てくれたのってそのためだったりする?」

「馬鹿言え! 一時の縁とはいえお前が心配で――だいたい閣下からも外での食事には気をつけるようにと重々言われて、」

「『任務が無事終わったら祝杯クランをあげよう』と言っていたのは、別の店のことだったか」


 フロストがとどめを刺した。ぐ、と言葉を詰まらせたルドガーがかろうじて反駁はんばくする。


「お前こそ、怪しいと思ったら食事に手を付けるのはやめろ! 前にも妙な薬を盛られかけていただろう!」

「? それはそうだが、祝杯と関係が?」


 ないのである。


 ルドガーの苦し紛れであることはカロンさえにも分かった。


 薬を盛られたうんぬんの話は気になるが、おそらくフロストに関しては大食漢がすべての元凶である。


 道中の食料は三人で消費しきれないほどたっぷりあったはずだったのに、街が見えた今朝になってきれいにすべて平らげていた。よく朝からそれほど食べられるものだと感心したほどである。


 最悪いま遭難したとしても、彼ほどの弓の名手がいれば食料に困らないので何も言わなかっただけだ。


 大食漢に言い負かされた酒飲みは、ぐ、ぐぅ……と唸って黙ってしまった。(ぐうのだ!)書物で読んだことがある降参の合図を目の前で見てカロンは少しばかり感動した。


 カロンを心配して同行したという言葉は本物だろう。一緒に来てくれただけで十分にありがたい話で、それと任務後の時間はもちろん別の話だ。その時間に彼が何をしていようと、カロンがとがめる権利もそんな気もない。


 さておき、この場所にカロンの命を救ってくれる賢者がいるかもしれない。しかし相手が敵か味方かは分からない。返答としては苦し紛れだが、ルドガーの言葉は正鵠せいこくを射ていた。


 ――――はずなのに、つい出された食事に手を伸ばしてしまったのが若干二名。ご存知の通りフロストとカロン。


「怪しいと思わなかったから手をつけた」。フロストかく語りき。

「抗えなかった。不思議だね」。カロンかく語りき。


 結局、店主のガーネッタは少なくとも悪人ではないのだろうと結論づけて、ルドガーはミートローフを、フロストはバルトフィッシュの酒蒸しと野菜の煮込み料理、それからフルーツサンドを注文していた。


 ガーネッタが忙しくて話せないのなら、いっそ閉店まで居座ってやろうという心づもりだ。カロンがルドガーに「お酒はいいの?」と尋ねると、「任務中だ」と苦笑を返された。当然といえば当然である。


 そんなカロンはというと、メニューがよく分からなかったし腹も空いていなかったので、フロストからフルーツサンドを一切れだけ分けてもらって夕飯を済ませてしまった。


 よそ者の三人は基本的には温かく迎え入れられ、ときどき声を掛けられたりもした。たいていは街の紹介などとりとめもない話題だ。


 しかし中にはそうでない人物もいる。よそから来た騎士二人に、同行する田舎者の少女。卑しい想像をする者もいないではない。


「どうも、騎士さまがた」


 下品に笑いながら話しかけてきた男は、どうやら酒場で音楽を奏でて糊口をしのいでいる音楽家らしかった。先ほどまで、あまり上手いとは言えない演奏で場を賑わせていたが、あまりよい印象は受けない口調に騎士はピクリと眉を動かした。


はお二方の『コレ』ですかい? 一曲踊らせてみたらどうかね。オレの演奏であでなる花を咲かせてみせましょう」


 営業活動のつもりだろうが、悪手だった。コレ、と示された下卑たサインは『恋人』を指すものだったが、そのままの意味でないことはさすがに世間知らずのカロンにも分かる。要は、連れている遊び女を自分の演奏で踊らせて鑑賞しろと、男はそう言ったのだ。


 額に青筋を浮かべたルドガーよりも早く、フロストが大きな音を立てて立ち上がった。


 背の高い騎士がひとを無表情で見下ろすさまはそれだけで迫力がある。話しかけてきた音楽家は思わず後ずさった。


「貸せ」


 命令じみた言い方で男から竪琴たてごとを取り上げると、酒場の中央――小さな舞台があり、そこで演奏や舞踏が行われるのだ――にズカズカと歩いていく。一体何をする気だろう。いぶかしく思うカロンの横で、ルドガーはフンと得意げに鼻を鳴らした。


 吸って、吐いて。いつもは弓を引き絞っている力強い指先が、弦に触れる。

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