賢者 ガーネッタパウケン

出会い

 酒場の賑わいは、カロンにとって馴染みのないものだ。

 

 無骨な労働者、さすらいの冒険者ご一行や踊り子たち。みな喧騒に呑まれて気持ちよく酔っぱらっている。


 ルドガーが馬鹿騒ぎに顔をしかめているのを感じながらも、カロンはキョロキョロと好奇心を抑えきれないでいた。そして、カロンの後ろに控えていたもう一人の黒髪の騎士もまた、物珍しそうにあたりを見回していた。


「いらっしゃい!」


 女主人は入り口近くで突っ立っている三人を認めると、すぐに近くの老人に話しかけた。「ほらポン爺どいて! 奥で兄さんたちと話してな!」示された奥のテーブルに老人の知り合いでもいたのか、ぶつくさいいながらも素直に奥へ消えていき、入口近くのカウンター席はすぐに空いた。


「混んでて悪いね。ここ座って。初めてだよね、これサービス」


 あっという間に三人横並びでカウンターに通される。すぐに置かれた小皿を前に、カロンは何の気なしにフォークを手に取った。何かのマリネだろうか。色鮮やかな野菜と、おそらくは蒸した肉。食欲をそそるハーブの香りがふわりと漂ってくる。

 口にしようとしてフォークを持ったカロンの手を、大きな手が包んでそっと遮った。ルドガーだ。


「ご主人、人を探している」

「……お兄さんったら。アタシ、お客さんの情報は売らないわよ。情報屋の紹介ならできるけど」


 したたかそうな黒髪の女主人は目を細めた。この二人の間に流れる空気だけが、ピリリと緊張感を放つ。


「ガーネッタ・パウケン」


 重々しく名を告げたのはルドガーではなく、もう一人の騎士だった。途端、女主人はかすかに目を見開いた。手応えを感じた騎士の口調が鋭さを帯びる。


「ご存知なのですね」

「ご存知もなにも」


 女主人は不敵な笑みを浮かべた。


「それ、アタシ。どうぞよろしく」


 カロンは己の前に伸ばされた手を思わず握り返してしまった。騒音の中で、ここだけが奇妙な緊張感に包まれている。なにせ、師と知己だというには若すぎるのだ。カロンよりは年上だろうが、それでもせいぜい二十代の中ごろにしか見えない。


 下の方でひっつめにした艷やかな黒髪、意志の強そうな眉、猫のようにくるくると表情を変える瞳。そのすべてが若々しい。


「パウケンはあんまり好きじゃないの。ガーネッタって呼んで」

「わたし、カロン……」

「どうしたカロン。気分でも悪いのか」


 弱々しい声の返答を疑問に思ったのだろう。ルドガーがいたわしげに覗き込んできたので、カロンは慌てて首を横に振った。


「……緊張しているのだろう」


 無口な騎士は助け舟を出しつつ、上品にハンカチで口元を拭いていた。見れば、彼に出された小皿の料理はカラになっている。


「食っとる!」


 ✕


「屋敷の外での食事には十分に警戒しろと、閣下から常々……!」


 ルドガーから説教されている騎士を横目に、カロンはガーネッタと名乗る女主人と向き合った。


「私、カロン。多分、あなたの知っているカロンから名前を継ぎました」

「まあ! あのカロンがねえ……あ、ややこしいわコレ、どうしましょう」

「私たちは師匠のこと、先代って付けてます」


 いちおう、と付け足すと、ガーネッタはあっさり「それならそれでいっか」と受け入れた。彼女にとっては先代こそがカロンなのだろうが、こだわりはないらしい。


「先代の方のカロンったらずいぶん過保護なんだと思ってたけど、当然かもね。名前を継いだなら、あなたが唯一、」


 ふいに店の奥から「葡萄酒一本開けてくれや!」と陽気な声が上がる。ガーネッタは「話の途中でごめんね」と眉を下げると、葡萄酒の瓶を携えてカウンターを出た。「はいはい、今行くわ!」


 フロアに出たガーネッタは引く手あまたのようで、なかなか帰ってこられない様子だ。どこかでまたドッと笑い声があがった。


「忙しそうだな。本当に彼女が『賢者』なのか?」


 説教を終えたルドガーが半信半疑の様子だったので、カロンはあいまいに頷いた。本当のところよく分からない。少なくとも悪人ではないのだろう。


 とにかく今は、店の仕事が落ち着くまで待つほかなさそうだった。


 ✕


 一晩のうちにブラックウッド公爵――魔術師ピーコックと不思議な縁を結んだカロンだったが、ピーコックは師の日記にあった賢者もとへ同行しないと告げた。襲撃事件の首謀者とされている、小領主・ザグザの聴聞に出席するためである。


 もっともそれを知ったのは、門のところで食料と路銀の入った革袋を無理やり押し付けられた時だったが。


「あの暗殺者の言を完全に信じた訳ではないが」


 ピーコックは苦々しい表情をうかべた。出立前のカロンに紋章つきのフードをかぶせながら続ける。


「調査班も同じ結論をたずさえて戻ってきた。一晩の成果ゆえ、いくらか精査の必要はあるがな」


 なんと、地下書庫であれこれ起きている間にもコトを進めていたらしい。大した男だとカロンは感心したが、ピーコックの表情は晴れない。いぶかしんだカロンの顔をまじまじと見て、ピーコックはため息をついた。


「お前は楽しい小旅行、私は屋敷にこもって退屈な男の退屈な聴取。おのが立場が疎ましい」


 カロンは呆れてじとりと目を細めた。


「お言葉ですけど。本当に満月までは安全なのかも分からない毒と一緒に、理由も分からずエリジア教団に追われながら、地図の場所に本当にいるのかも分からない賢者に会いに行く。これのどこが楽しい小旅行?」

「なに、生死ならば人にはみな突然に訪れるものだ。私が明日、ザグザにうっかり殺されないとなぜ言える?」


 質問に質問で返されてムッとしながらも、カロンは心のどこかがざわめくのを感じた。この毒が連れてくる理不尽は、誰もがいつでも享受しうる理不尽だ。本人の言う通り、明日ピーコックが死なないと、なぜ言える?


 にわかに不安が広がったカロンの表情をみて、ピーコックは少しばかり表情をゆるめた。


「安心しろ、私は簡単にくたばらん。お前の方には手練てだれを二人同行させる。一人はルドガー。そこの黒髪がフロストだ」

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