エピローグ

「ところで疑問なんだけど」


 カロンが言いながらピーコックの顔を覗き込んだので、魔術師は片眉をあげて先をうながした。


「どうしてあの時、私を止めたの?」

「あの時?」

「ルドガーとあの人が戦っている時」


 ピーコックは迷いながらも、カロンを前に出そうとはしなかった。結局、しびれを切らしてカロンはみずから前に出てしまったが。


「朴念仁はこちらだったか」


 呆れた様子のピーコックに便乗して、当のルドガーまでもがやれやれと首を振っている。


「あえて言うのも野暮というものだが……騎士は子女を守るものだ。ルドガーは本分を果たした」


 なるほど、とカロンは合点がいった。昨日のようにカロンが身体を張る必要があった場面とは違う。彼らは責務を果たしたのだ。傷を負っても。


「でも、怪我――」


 ルドガーの頬の傷はすでに塞がりかけている。赤黒い線も数日のうちに消えるだろう。しかし、「今回は」そうだったにすぎない。


 いずれピーコックが、ルドガーが、あるいはニナが、自分の目の前で大きな傷を負うことになったら? 鳥肌が立った。石室のひんやりとした空気のせいばかりではない。縁とは重いものだ。たった一日でカロンは知ってしまった。


 身動きがとれなくなったカロンに、ニッと笑いかけたのはルドガーだった。


「そんな顔をするな! 閣下は大丈夫だと思ったから俺に行かせた。そして事実、俺は大丈夫だった。それだけのことだ」


 見上げれば、騎士は元気に笑っていた。


(私なら怪我もしなかった? ……違う。ルドガーはやるべきことをやった)


 襲撃者は言った。追い詰められたカロンが『何者』になるのか、楽しみだと。敵かと思えば追っ手の忠告をし、かと思えば解毒薬は渡さない。奇怪な行動の理由は先の言葉に隠されている気がした。


 それならいまのカロンは何者なのだろうか。答えはない。


「ただ、あの者にはいつか必ず俺の手で報いを受けさせる。カロンがいなければ閣下は――」


 ルドガーは己の手を見つめ、強く握りしめた。カロンは再び思い出した。ピーコックが首を落とされた場面には彼がいたのだ。雪辱戦、報復戦。ピーコックの思惑はそこにあったのかもしれない。



「さて……要らぬ客人に中断させられたが、みなに朗報だ。賢者についての情報がある」


 戦闘で床に落ちた日記類をルドガーに拾わせつつ、ピーコックは一冊の帳面をカロンに突き出した。変色したその紙面には師の流れるような筆跡が残っている。


「『春明の月2日、ガーネッタより使者来る。私もそろそろこの場を去ることになる。魔術の徒としてのルリエ=ピーコックは才知に溢れ、聡明にして富術』……ここはまあ、いいだろう」


 ピーコックはそっけなく言って読み飛ばした。『ただし驕慢にして浪費家である』と付け足されているのをカロンは見逃さなかったが。


「読めば分かるが、このガーネッタという御仁ごじん、賢者ながら余人と交わることを厭わない『変わり者』だ。ついでに薬師くすしでもある。さらに極めつけ、居場所も分かっている」


 ピーコックが奇術師のようにさっと取り出したのは、古びた地図だった。紙の状態からして日記帳と一緒に保管されていたのだろう。バツ印のついたところにはガーネッタの名と「酒が美味い店」という師の筆跡。


「…………」

「まあそう渋い顔をするな。あの男をかばい立てるわけではないが――大人には酒精がなければやりきれん時もある。この馬鹿げたメモのおかげで解毒薬が手に入るかもしれんのだ」


 言われれば、その通りだ。ほんの針の先ほどの小さな希望でも、まだ糸は繋がっている。

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