公爵家の地下書庫
ばつが悪そうな顔でそう言うので、カロンは疑問符を浮かべながらも同意した。一応、事実である。
ルドガーは少女をちらりと見下ろすと、苦しげに言葉を発した。
「俺は閣下をお守りできず、あの方の首が落ちていくのをただ見ていた」
そういえば、とカロンは思い出した。ルドガーは「襲撃があったとき現場にいた騎士」だとピーコックが言っていた。彼の無力感たるや。
「それで、だ」
赤髪はくるりと振り返った。決意を宿した瞳がまっすぐにカロンを射抜く。その意志に気圧され、カロンは思わず目をそらして視線をあちこちにさまよわせた。
「頼む、俺と手合わせをしてくれ!」
「…………? い、いやですけど……」
「…………………………なぜ?」
「なぜでも」
「どうしてもか。どうしてもだめか?」
「粘るなぁ……」
そうこうしているうちに、執務室の前へ辿り着いた。公爵の権威を示すように重厚な黒い扉の前で、ルドガーは言い募る。
「手合わせの話、俺は諦めんからな」
「諦めてください……」
騎士は答えない。カロンは、困ったことになったな、と思いながらノックの音を聞いていた。
×
「おお、カロン。昨夜ぶりだな」
ピーコックは、すでに身体を取り戻していた。昨夜はなかった両腕を大きく広げ腰を上げてカロンを迎え入れてくれる。光沢のある、内側に派手な模様が描かれたマントがよく似合っていた。
身体を取り戻したピーコックの背丈はルドガーと同じくらいか少し高いくらいだろうか。当然、カロンからは見上げる形になる。あるべき場所に戻った頭部が流暢に話し出した。
「昨夜の働き、大儀であった」
「本当に偉い人みたい」
「エライのだ、私は」
ふと口調をやわらげたピーコックは、執務室の壁に掛けられたいくつかの鍵束から一つを選んですぐに歩きだした。
「不足はなかったか」
「ええ。すごく良くしてもらった。服も直してもらったし、仕度も手伝ってくれて」
「よろしい。スナジアには褒美をとらせよう」
スナジア、という名はカロンを担当した使用人のものだろう。すぐに執務室から出てきた二人を見て、ルドガーはびっくりしたように立ち尽くしている。
「ルドガー、お前も来なさい。この娘の護衛――はいらんか。……まあ、男手が必要な場面もあるだろう」
「はっ!」
ぴしりと背筋を伸ばしたルドガーが後ろについたので、カロンは気まずい思いで少しだけピーコックの方に逃げた。背中に熱視線を感じながらも反応しないように努める。どうやら今朝の固い表情は緊張の裏返しだったらしい。
肖像画が並ぶ廊下を抜け、屋敷の絢爛さに反して質素な扉から裏庭へ出ると、小さな石造りの小屋が見えた。カロンが管理する墓所にもよく似た建造物があるが、記憶にある限りでは物置小屋と化していたはずだ。
「ここだ」
その小屋を指して、ピーコックは言った。とても大きな書庫とは思えない。
カロンの疑いの眼差しを感じたのだろう。ピーコックは地面を指し示した。「地下だ」「?」「書庫は地下にある。ここは単なる入り口だ」
それ以上説明しようとはせず、おもむろに扉を開けた。内部の大きさもカロンの墓所にある物置に似ている。が、色々なものが放り込まれているソレとは違い、この小屋には一対のテーブルと椅子がぽつんと置かれているばかりだ。
「ただの小屋にしか見えないけど……」
「入り口に隠匿の術式を施している。禁書も貴重書も蔵しているからな」
なるほど、と得心して小屋へ踏み入った。カロンには隠してあるという入り口がどこにあるのかすら分からなかった。
ふと、カロンは昨日の襲撃者のことを思い出した。魔力の残滓を追えると言っていた彼なら、ひょっとすると入り口の場所も見えたりするのだろうか。
疑問に呼応するようにピーコックが付け足す。
「術式を解いたとしても、この鍵がなければ書庫へはたどり着けん」
またしても、なるほどとカロンは素直に感心した。魔術に優れた人間は身体能力がそれほど高くないことが多い。公爵邸、それも執務室まで忍び込んで鍵を盗むのは一苦労だろう。反対に警備をかいくぐるほど身体能力が高い人間であっても、魔術的な素養がなければ入り口を見つけることができない。ただの盗人を近づけない仕組みとしては十分なのだろう。昨夜の襲撃者は「書庫やぶり」に十分な能力があるように思えたが、カロンの知ったところではない。
「カロン――ややこしいな、先代と呼ぶか。先代は自由に出入りしていたがな。アレにとって入り口も鍵もあって無いようなものだ」
ふと、遠い記憶を眺めるような声でそんなことを言うので、カロンは尋ねる機会を逃し続けていた質問を思い出した。
「公爵、」
「ピーコックでいい」
「……ピーコック。あなたと師匠はどんな関係だったの?」
「お前と同じく弟子のようなものだ。もっぱら魔術の、な」
同じ、弟子。そう聞けば、初めて会った時の刺々しい態度も分かるような気がした。
(『あのうさん臭い
あの時も、嘲るようなピーコックの態度に反抗することはできなかった。己が己自身を疑っているような状況なのだから。
(ん?)
「『うさん臭い』と思ってたんだ、師匠のこと」
「本人には絶対に言うな」
ちろりと視線が向けられる。しごかれ鍛え上げられ、ちょっぴり恐れている部分も同じらしい。からかう気持ちを見とがめられたのか隣に控えていたルドガーが呆れた視線をよこしたが、カロンは無視した。
「師匠のこと、心配じゃない?」
「殺しても死なん男だ、アレは」
すとんとその言葉がカロンの胸に落ちる。
「そう、だよね」
置いていかれて泣き出しそうな幼子の己はとっくの昔に封じ込めた。生きていてくれさえいればいいと、本心からそう思っている。ただ、少し――
話は終わりだと、ピーコックは二人を後ろに下がらせた。
なにもない空間に手をかざすと、そこからぼんやりと青白い光が立ち昇る。先代カロンがやっていたのと同じ、無詠唱の術式発動。
光が収まると、そこには地下へ向かう飾り気のない石の階段が現れていた。埃っぽいな、と厭そうにピーコックがマントを持ち上げる。
「ブラックウッド公爵家の地下書庫へようこそ、カロン」
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