こまどりとハリネズミ

 輝くばかりの笑顔を放つ生首は、これでも一応自邸への帰還を喜んでいるのだろう。ルドガーと呼ばれた騎士は、驚きでわなわなと震えてはいたが、驚愕の表情は徐々に喜びへと変化していった。


「閣下……?」

「そうだ、私だ。く我が胴のもとへ案内せよ」

「えと、それじゃ、私はこれで……」


 ひっそりとフェードアウトしようとするカロンだったが、そうは問屋が卸さなかった。

「ルドガー。この者は首だけになってしまった私を救出してくれた命の恩人でな、その上迷子になったニナも連れ戻してくれた、まさしくブラックウッド一族の大恩人。ゆえに手厚く礼をせねばと思うておる」


 まったく、流暢なものである。


「それはそれは……! ささ、ひとまずは詰め所へ。すぐに手配をさせます」


 だとさ、とピーコックはひとつ目配せしてニンマリ笑った。

 

 

 公爵邸に足を踏み入れてからのことは、目まぐるしくてほとんどカロンの記憶にはない。何やら広い風呂で半分溺れかけたり、いままで経験したことがない柔らかさの寝巻きに身体を包まれたりした記憶はある。


 慣れない環境のせいかと思ったが、目が覚めてから冷静に考えればただ単に疲労がピークに達していただけだ。


 広い寝台の上でぼんやり天蓋の装飾を眺めていると、控えめなノックが部屋に響いた。


「あ、はい……」

「お召し物を洗っておきました。ほつれた部分もこのように」


 そういって使用人が服を広げてみせると、昨日の襲撃で裂かれた部分も見事に修復されている。「直しておきましたわ」くるりと背面まで見せた使用人に、カロンは感動して思わずおさな子のような歓声を上げた。


「ありがとうございます!」

「旦那様に申しつかっておりますから。何でもおっしゃってくださいね」

「ピ……公爵閣下はいまどこに?」

「カロン様のご用意が整いしだい、執務室に通すようにと。なにはともあれまずはご朝食ですわ」


 サンドイッチでよろしいですか? ミルクは? 果物もご用意いたしますが、苦手なものは?


 矢継ぎ早の質問に圧倒されて、カロンはひたすらはい、はい、と答えるばかりだった。本当は今すぐ地下書庫で書物を確認して、それから森に帰りたかったのだが。


 それにしても、あのピーコックが本当に公爵閣下だとは。カロンはため息をついた。当初、態度の大きさからいって貴族だろうと予想はしていたが、とんでもない。公爵といえば王位に次ぐ位である。


 とくにブラックウッド公爵領に関して言えば、王国からはほとんど独立して存在しており、公国として自治を認められている。女医の言った「公国のあるじ」という表現どおり、一国を統べる存在なのだ。事件がなければカロンなど話しかけるのも畏れ多いような立場である。


「朝食のご用意ができましたよ」


優しい声で現実に引き戻され、カロンはハッと顔を上げた。


「ありがとうございます。着替えてから食べますから……」

「では、お着替えをお手伝いしますわ」


 使用人がトテトテと自然に歩み寄ってきたかと思うと、当たり前のように寝間着の肩に手をかけたので、カロンは慌てて「いえっ!」と声を上げた。


「自分で着替えますから! その、あとでおかしなところがないか確認していただいてもいいですか?」

「あら、失礼いたしました! もちろん、承りますわ。謁見の際のお召し物は――」

「こ、これで大丈夫です! すぐに発つつもりですから」


 きれいに洗濯された己の衣服を指すと、そうですか……といささか残念そうに眉をさげられたものの、思いのほかあっさり了承された。


「それでは、お食事が終わりましたら表の騎士にお声掛けくださいませ」


 深々と礼をして、使用人は客室を辞した。ちらりと視線を向けると、朝食は整然とサイドテーブルに並べられている。ピカピカのサラダや宝石みたいな果実、こくりと白いミルクにサンドイッチ。夢の中みたいな朝食だ。


 そういえば昨夜は夕飯も食べずに眠ってしまった、と思い出したとたん、ぐぅと胃が空腹を訴えた。



 普段とは比べるべくもない豪華な朝食のあと、カロンはゲストルームの扉を少しだけ開けて顔を出した。


「あの」

「……ああ」


 表の騎士というのは、昨日カロンたちを公爵家へ招き入れた騎士、ルドガーだった。


 騎士の表情がやや固いのを気にしながら先ほどの使用人を呼んでほしいと告げる。ルドガーが答えるよりも先に廊下を曲がって当の本人がやってきた。


「あ、来た」

「公爵邸の使用人とはそういうものだ」


 そっけない言葉にも矜持が光る。カロンが思わず笑みを漏らしたので、ルドガーはそれを怪訝そうに見下ろした。


「カロン様、失礼いたします」

「はぁい」


 招き入れられた使用人は相変わらず楽しげだ。一方のルドガーは固い表情を崩さない。


(どうしたんだろう)

「では、少々触れますわね」


 全身鏡の前で使用人がテキパキと乱れた部分を整えていく。普段それほど崩れた身だしなみをしているわけではないが、それでもやはり、慣れた人間に整えられると違うものだ。


「完、璧、ですわ!」


 やり遂げた! と言いたげな使用人がふぅ、と息を吐いた。なんだか普段着の生地さえも輝いている気がする。


「ありがとう!」

「どういたしまして」


 うふふ、と笑い合う。くるりと回ってみせると、ケープが空気をはらんでふわりと広がった。


「よいお召し物ですね」

「師匠が買ってきてくれたものなんです。自分で直そうと思ってたけど、あなたに直してもらえてよかった。傷も穴も初めから無かったみたい」


 あらあら、うふふ。肩がこると思っていた滞在だったが、軽妙な使用人のおかげでむしろ肩の力が抜けてしまった。ひょっとしたら、客人に合わせてわざと気安く演じているのだろうか。


 そうしているうちに、コンコン、と急かすようなノックの音が部屋に響いた。「あら、いけない。お引き止めしてしまいましたね」そう言った使用人は深々頭をさげた。


 少し後ろ髪を引かれる思いで、扉を開ける。


「閣下がお待ちだ」

「……ごめんなさい、いま出ます」


 騎士は答えず歩きだしたので、カロンは慌ててあとを追った。ふかふかの絨毯も足どりを軽くはしない。昨日の慇懃さとも少し違った態度に、いよいよ耐えきれずなんでもいいからと口を開こうとした矢先。


「――襲撃者を退けたとか」

「?」

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