暗殺


 男の刃先がついにやわらかなカロンの喉に迫る。筋力の差は覆しようがない。

 と、突然の強風が青年の体勢を崩した。


 「クソジジイ!」舌打ちとともに青年が思いのほか感情的な悪態をついて短剣の柄を握り直したが、カロンはその隙をついて青年から距離を取る。

 こぼれ落ちた悪態を恥じるように、青年はごほんごほんと空咳をした。

 

 「失敬、少々礼儀を欠いたな」 


 律儀な謝罪を意外に思いながら、カロンは「いえ……」と答えた。返事をしながらも、青年から離れる際に入手した木の枝を検分する。ただの木の棒だが、丸腰よりはマシだ。


 距離を詰めながらすばやく繰り出される青年の短剣を、カロンは舞うように即席の相棒でことごとく弾いた。青年の剣を弾くたび、枝が削れて木端こっぱが散る。

 木々の合間でこうして剣を交えていると、否応いやおうなく厳しい修行を思い出す。

 師である先代カロンは剣術も弓術も一級品で、さらにきわめて優れた魔術師でもあった。カロンが受け継いだのはその名と剣術の腕前だけだ。魔術の才はなく。


「美しいな」


 再び青年が口を開いた。どうやらただの木の棒で短剣をさばく身のこなしに見とれているらしい。


(変な人……)


 カロンは呆れながらも、また一撃を受け流した。




 しばらくして、青年は両の手を挙げて短剣をあらぬ方向に投げた。すでにとっぷりと日は暮れ、冷えた夜の風が木々の間を吹き抜けている。動き続けていたカロンはともかく、ニナたちは少し肌寒いかもしれない、などとそんなことがふと頭に浮かんだ。


「おれの負けだ。お前をただの無謀むぼうな村娘と侮っていた」

 

カロンは苦い笑みを浮かべたあと、表情を引き締めた。


「あなたは何者なの。どうしてブラックウッド、さん? を殺そうとしていたの」


 勝者への褒美とでもいうのだろうか、青年は存外あっさり答えた。


「おれは依頼を受けた暗殺者だ、と告げておこう。ブラックウッドには敵が多い。その敵の一人がおれに依頼をした」


 生首の態度を思い返して、確かに敵は多そう、とカロンは得心した。(あの胡散臭い白髪頭の、弟子か。君が)あざ笑う声。あらゆる分野に秀でた先代に対して、己の才が至らないことは分かっている。だから師は姿を消したのだろうか。


「おれは確かにあの男の首を落としたが、その時、首が消えた。ブラックウッドの屋敷でな。おれは発動した魔術の残滓ざんしを追ってここに来た」

「残滓……? 痕跡ってこと? 魔術師にはそんなものまで分かるの?」

「質問ばかりだな。……まあいい。おれの目は特別製なんだ」


 青年はカロンに一歩近づいた。


「だから、お前にも興味がある」


 ほんの一瞬だった。チクリと首元に痛みが走る。なにかを刺されたと理解するより先に青年を突き飛ばしたが、おそらくもう遅い。武器を捨てたからと油断したせいだ。


「っ……『負けだ』って言ったのに、嘘つき」


 恨みがましい目をむけると、青年は呆れたように少しだけ口角を上げた。


「暗殺者の言葉を信用するな」


 まったくその通りだ。ぐうの音も出ない。


「ムーンドロップ――毒を打った。次の満月までに解毒できなければ死ぬ。本当なら、ブラックウッドに使うはずだったのだがな」

「ご丁寧にわざわざ教えてくれてありがとう。それでどうして生首にしちゃったの」

「いける、と思ったのだが、はやったな。肝心の首が飛んでいっちまった」


 青年はおどけて言った。

 カロンはじとりと相手を睨みつける。


「お前は敵だが殺すに惜しい。これは賭けだ、女。おれはムーンドロップの解毒薬を持っている」

「だから奪えっていうの?」

「どうかな。おれはおれで見定めたいものがあるのさ」


 それでは近いうちにまた。

 青年はそう言ってニヤニヤと笑いながら、暗闇へ溶けていった。

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