襲撃
「誰!」
「私は魔術師ピーコック。お前の名は」
「……」
応えてもよいものか、カロンは逡巡した。突然桶の中に現れた奇妙な喋る生首。信用できるだろうか。
「なんだ、お前言葉が喋れんのか。よく分からんな。私はカロンとの
「嘘!」
カロンは水桶をひとさし指の先だけでなるべく遠くへ吊るしながら叫んだ。
背中で眠るニナの身じろぎを感じたが、構う余裕はない。
「あなたなんて知りません! 出てって!」
無茶をいった自覚はある。相手は身動きできない生首だ。
「私だってお前のことなど知らん」
生首は口を尖らせてぼそぼそと文句を言っている。もしかして、とカロンは恐る恐る水桶のなかに視線を向けた。
「あなたの言うカロンって、ひょっとして師匠のこと?」
「師匠?――ああ、あのうさん臭い
ピーコックは桶の中からまじまじ観察すると、フンと鼻を鳴らした。
「君はさぞや素晴らしい魔術師なのだろうね」
笑いをこらえきれない様子で放たれたその言葉に、カロンは返すすべをもたず唇を噛み締めた。力量を見定めるためにわざと挑発してきたのだろうが、やり返せる自信がなかったのだ。
そんなカロンの背から、止めるまもなくひょっこりと目を覚ましたニナが水桶を覗き込んだ
「み、見ちゃだめ!」
カロンは慌てたが、両手が塞がっているせいでとっさにその視線を遮ることはできなかった。
「……おじ、さま?」
「おお、ニナ! お母上はご健勝かな?」
「ええ、おじさまはお元気?」
「元気だとも!」
答えたのは生首である。ニナは平気そうだ。元気、とは……? 二人の会話について行くことを諦めたカロンは、次の瞬間、はっとしてニナを背中から下ろし生首入りの水桶を抱えさせた。
「あっちの背の高い草に隠れて。お願い」
おいお前何を、と生首が慌てたが、構わずニナの背中を押す。聡明な女の子はこくりと頷いて駆け出した。
一瞬だった。風のような斬撃がカロンの髪を数本、散らす。
「ブラックウッドを渡せ」
またしても初めましての相手に、今度は無表情で短剣を向けられ、カロンはもはや全てを受け入れることにした。いちいち驚いていたら驚き一年分を前借りしてしまいそうだ。
分かりやすく単なる迷子でいてくれたニナが恋しい。口が悪い生首に、手が早いぶっきらぼう。全員、名前と職業、目的を叫びながら登場してくれたらいいのに。カロンは馬鹿げたことを考えた。
「ブラックウッドはまだ生きているはずだ。大魔術を使った痕跡があった」
「あの、少しは話しを聞いてくれてもいいんじゃ……」
「必要ない。お前の選択肢は二つ。もろとも死ぬか、おれにブラックウッドを引き渡し、すべて忘れて暮らすかだ」
与えられたわずかな情報から、カロンはいくつかの事実らしきものを組み立てた。「ブラックウッドなる存在がこの近くにいる」「それは『まだ』生きている」「大魔術を用いることができる。すなわち、そうとうの魔術師である」。
どうやら当てはまりそうな人物(首)がひとつ。彼はブラックウッドではなくピーコックと名乗っていたが。
「どちらも選ばない。街に行って、用事を済ませて、帰る」
「そうか」
ならば死ね、と人形のような無表情で短剣が突き出される。返り血を確信し、青年は目を細めた。
しかし、あるべき手応えはなかった。カロンがかわしたのだ。青年は目を見開いた。
想定外のできごとではあったが、青年は息をつかせる間もなく追撃を加えた。
「ニナを街に送らなきゃいけないし、」
ふたたび突き出された短剣をひらりと交わして、林の方へと逃げていく。
「多分そのブラックウッドさんはニナの知り合いだし、」
誘われているのが分かっていながら、青年は攻撃をやめなかった。否、やめられなかった、というのが正しい。
「だから、その人が殺されたらニナが悲しむかも」
「美しい献身だな」
「ム……うわっ」
「お前、ただの田舎娘ではないだろう」
ひやりとした鋭い感触がカロンの喉元に当てられた。彼女の手がすんでのところで短剣の柄をつかんで止めなければ、冷たい刃はためらいもなく喉に突き立てられていただろう。
「なぜ魔術を使わない? おれを舐めているのか?」
「舐めるもなにも、私、魔術は使えないの。魔力が無いんだって、さ!」
(あったところで、こんな時にうまく使える気はしないけど)
カロンは自嘲する。冷たい汗がこめかみを流れるのを感じた。
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