第6話 教祖勧誘

「その考えが、歴史にも生きるということですか?」

 と聞くと、

「そうなんだよ。君は、パラレルワールドという言葉を聞いたことがあるかい?」

「ええ、平行世界とか言われているあれですよね?」

「うん、そうなんだ。あれだって、完全確率と同じ発想じゃないのかな? 無限にある可能性の中から、一瞬一瞬選択された世界が、次の瞬間には広がっているわけだよね? でも、それをまったく違和感なく過ごしているというのは、すごいことではないか? これって、一種の完全確率のようなもので、まるで最初から決まったレールの上を進んでいるとしか思えないよね? しかもだよ。世界の中には、無数の人がいるだけだ。皆が違和感なく次の瞬間を迎えるというのって、奇跡のような気がしないかい?」

 と先生は、目を輝かせながら話した。

「すまない。この話になると、中からではできないので、カウンターに座るけどいいかな?」

 と、他のスタッフにそういって許しを得て、先生はエプロンを外して、カウンターの隣の席に腰かけてきた。

「確かに、先生のおっしゃる通りだと思います。私も、歴史の授業が好きでしたけど、どうして好きなのかと聞かれたら、何と答えていいのかって考えたことがあったんですが、言葉が見つかりませんでしたね。実際に聞かれたこともなかったので、答える機会は一度もなかったんですけどね」

 と言って、梶原は苦笑いをした。

「歴史に限らず、学問というのは、別の学問とも密接に絡み合っているところがあるんだよ。この絡み合っているという表現が私は好きでね。まるで、男女が、身体を重ねた時に、空気の入る隙間もないほどに身体を密接させようとするだろう? あの時のいやらしい動きを想像してしまうんだよ。人によっては、いやらしく見えて、見たくないと思うだろう。だけど、普通の性欲を持ち合わせている人以上であれば、ずっと見ていたい光景だと思うんだ。それが人間の本性だからね」

 と、いうではないか。

 確かに先生は、大学の講義で、たまにこういう隠微な表現をすることがあった。それを、梶原は、

「先生も生徒の人気稼ぎのようなことをするのかな? 意味もないのに」

 と正直思い、そんな時の先生を見ると、どこか冷めてくる自分を感じていた。

 だが、今のように興奮した話の中にさりげなく織り交ぜてくるのを見ると、

「先生って、こういうさりげないところがいいんだよな」

 と感じるのだった。

 今の先生の話を聞いてみて、何となく分かったような気がした。先生がこういう隠微なたとえをする時というのは、歴史と向き合うことで、自分の中の血液が逆流するような興奮に襲われるのかも知れない。

 確かに先生の言う通り、いろいろな学問は、それぞれに、関わり合っているというのは感じたことがあった。

 だから、歴史に絡むような話しは好きだったが、それは、線で結ばれただけで、その学問全体を好きだというところまでは、到底いかない。それでも、別の方向から歴史を見ることができるというのは新鮮で、それがあるから、勉強するのが楽しいというものだと感じていた。

 歴史の勉強をしていると、以前先生が講義の中で言っていたように、

「歴史は、人間の感情が、極限まで歪んだ時、歴史を動かす力を持った人間が、歴史を動かそうとしたその時、動くものではないだろうか?」

 と言っていた。

「歴史の中で、力のない人間は、歴史を動かすどころか、自分のことだけで精一杯なんだ。だからこそ、歴史を動かせる人間というのは限られた人間だけだといえるだろう。だが、そんな人間も集団になると、力を持つことができる。それが革命であり、クーデターであったりするんだ。そういう意味でいくと、革命やクーデターというのは、いい悪いの問題に関係なく、勉強するのって結構楽しかったりするだろう?」

 と言われたものだ。

「だから、僕は歴史が好きなんだ」

 と、自分で納得していた。

 ちなみに、学問。勉強全般で、自分で納得できた学問は、歴史だけだった。

 興味を持って勉強してみようというジャンルはあったが、納得できるところまではいかなかった。

 そういう意味で、好きな科目というと、歴史以外はないといってもいいだろう。

 歴史の話に花が咲いている間に、先生の話が、少し宗教かかってくるのが分かった。

 普通だったら、

「宗教とは関わりたくない」

 という思いが強いので、適当に聞き流せばいいと思うのだが、先生の話を聞いていると、どうもそういうわけにはいかないようだ。

「我々が研究したのは、藤原摂関家だったんだけど、日本の歴史って、意外と、その補佐役だったり、代理のような人が、政治の執務を行うということが多いと思わないかい?」

 と言われた。

「ええ、確かにそれはいえるかも知れませんね。聖徳太子の摂政から始まり、平安時代の藤原摂関家、そして、これはちょっと違うかも知れないが、白河天皇が始めた院政だったり、鎌倉幕府における北条氏の執権など、権力者の補佐をするものだったり、戦争の時に参謀役を担う軍師であったりと、結局、人間一人では何もできないということを証明しているかのように思えるんですよ」

 と梶原は言った。

「確かにそうだよね。だから、協力して生き抜くということが歴史を作っていくということになるんだろうけど、歴史って、あくまでも結果論だろう? 誰もが、自分が歴史を作っているなんてことを考えているわけではない。権力を持った一部の連中が、歴史を作ることができるところまで来ていることから、自分たちが歴史を作っているという意識になるんだろうね」

 というのが、先生の話であった。

「たとえば、絶対王政の国だって、王様一人で何でもできるというわけではない。独裁者にも、自分を守る人がいて、政治を行う人がいて、それで成り立っているんですよね。独裁者は、いつも、誰かに殺されるかも知れないという恐怖と背中合わせだったということを聞いたことがあるけど、あれも、当然といえば、当然のことなんでしょうね?」

 と、頷きながら梶原は言った。

「でも、世の中には絶対という言葉は存在しないというので、その裏返しが、果てしない不安になるというのも分からないまでもないですね」

 と、竹本先生がいったが、

「確かにそうなんですけど、だからこそ、まわりに親衛隊を作って、安心しようとするんでしょうね」

 と、梶原がいうと、

「だけどね、一歩間違えると、フランケンシュタイン症候群のようになりかねない。だから、果てしない不安と背中合わせなのではないかと私は思うんだ」

 と、竹本先生は言った。

「フランケンシュタイン症候群というと、理想の人間を作ろうとして、悪魔を作ってしまい、その悪魔が、いつ人間を支配しないとも限らない、いわゆる、ミイラ取りがミイラになるというイメージのあのお話ですか?」

 と聞くと、

「ええ、そうです。聖書の中にも、バベルの塔の話のように、人間が背伸びをして、神に近づこうとしたり、神の領域に踏み込もうとすると、痛い目に遭うという教訓めいたお話ですね」

 と先生は言った。

「そうですね。人間は神様ではないんだから、できることは限られていますよね。でも、人間の脳は、一部分しか使われていない。残りの部分を使える人がいるとすれば、それが超能力者だという人がいますけど、先生はそうだと思いますか?」

 と梶原が聞くと、

「その通りだと思うよ。何も、神だけが万能ではない。もし、人間を作ったのが神だとすうと、人間の中にも、神に限りなく近い能力を持つ力を授けてはいるが、脳の中に封印しているのではないかと思うと、その理由はどこにあるんだろうね?」

 と、今度は先生が聞いてきた。

「自分が作った人間を恐れてた? でもそれだと、それこそ、神様のフランケンシュタイン症候群ですよね?」

 と聞くと、

「そう、その通りなんだよ。人間は神が作ったと言われるでしょう? じゃあ、神は誰が作ったんだろうね? まるでタマゴが先か、ニワトリが先かの議論のようだけど、そうやって考えると、神を作ったのも、人間なんだよ。だから、神視線で人間も見ようと思えば見ることができる。だからこそ、フランケンシュタイン症候群という考えが生まれたんだろうね」

 と先生がいうが、

「本当に禅問答のようですね。それこそ、昔、漫才であったけど、地下鉄はどこから入れた? という発想を思い出しましたよ」

 というと、

「結構、古いのを知っているんだね? 昭和の良き時代の漫才だったけどね」

 と、先生も少し酔いが回ってきたのか、ニッコリ笑っている。

「結構、昭和の時代が好きだったりするんですよ。歴史が好きなのは、そのあたりからきているのかも知れないです」

 というと。

「あなたの場合も私と同じように、時系列だけで歴史を見ようとしないところが気に入りました。確かに、過去があっての現在であり、現在があっての未来なんだけど、それだけとは言い切れないところがあるような気がするんです。そのあたりを、少しゆっくりと考えてみたいと思うんですよ」

 と、先生はいうのだった。

「そうですね、僕もこういうお話をするのは結構好きなので、楽しみです」

 というと、

「先ほどの、私が言った。絶対というのは、この世には存在しないということですけどね?」

 と先生が聞いてきた。

「はい」

「あの時、私は、果てしない不安の裏返しになると言ったでしょう? あれって、果てしない不安が解消されれば、絶対というのもあるんじゃないかと思うんですよ。でも、不安が解消されれば、絶対でなくてもいい。逆に絶対的な力を持つのが、今度は怖いと思うんですよね? これって、ものすごい矛盾なんだけど、三つを組み合わせると、矛盾も矛盾ではなくなるんですよ」

 という、難しい話になった。

 しかし、しばらく考えてみると、

「それって、三すくみのような考えになるんでしょうかね?」

 と梶原は聞いた。

「そういうことだね。三すくみというと、一種の抑止力のようなもので、三つのものが睨み合って、お互いに形成することだね。例えば、ヘビとカエルとナメクジだったら、ヘビはカエルと食べるけど、ナメクジには溶かされてしまう。カエルはナメクジを食べるけど、ヘビに食われる。ナメクジはヘビを溶かすが、カエルには食われるという感じだね。逆位いえば、ヘビはナメクジが怖くてカエルを食えない。カエルはヘビが怖くて、ナメクジを食えない。ナメクジはカエルが怖くて、ヘビを溶かせないということになるんだ。つまりは、最初に動いてしまうと、間違いなく、自分は生き残ることができないんだ」

 と先生はいう。

「ということは、自分が生き残るには、自分の天敵を動かして、自分が逃げている間に、天敵が、滅んでもらうのを待つというやり方ですね。そうなれば、自分は、ゆっくりと、自分が強い相手を亡ぼせばいいわけですからね」

 というと、

「そういうことなんだ。これは、一種の減算法と言ってもいいかも知れない。というのは、将棋で一番防御力のある手というのは、最初に並べた形なんだ。だから、動かすと、隙ができることになる。この三すくみと似た考えではないだろうか?」

 と先生がいう。

「先生にお話は結構難しいんですが、冷静になって考えると、ひょっとすると、一番分かりやすいかも知れないと思うんですよ。どこか似たようなところがあるんでしょうか?」

 というと、

「あると、私は思っています。君とは、正直話をするのは今日が初めてなんだけど、講義の時間の君の熱心さは、目を見張るものがあると思っていたんだ」

 と言われて、少し興奮気味に、

「先生は僕のことを知っておられたんですか?」

「ああ、知っているよ。君は講義の時、いつも一番前で聞いてくれていて、ノートもしっかり取ってくれているのが分かっていたので、気にしていたんだよ。学部が違うので、なかなか出会うことはなかったけど、こうやって話ができて、嬉しく思っているよ」

 まるで、べた褒めではないか。

「ありがとうございます」

「そんな君だから、さっきの三すくみの話にも、きっと飛びついてくれると思っているんだ。君と話をしていると、お互いに成長し合えるような気がするんだよ。お互いに刺激し合って、まだ表に出ていない部分が出てくるような、そんな感じと言ってもいいかな?」

 と先生がいうと、

「私も先生から、先ほどの話をされている途中から、三すくみだって思ったんですよ。先生と話をするのに、慣れてきたのかな?」

 というと、

「そうかも知れない。君と初めて話をすることになったんだけど、でも、前から知っていたような気がするんだ。君が、摂関研究部を覗いていた時があっただろう? あの時に、何か魅せられるものを感じたんだよ。君としてみれば、ただのサークルだとしか思わなかったかも知れないけど、あの時、君が無言で何かを訴えているような気がしたんだ。それが何だったのかまでは分からないんだけどね。その時、私の中で、堂々巡りを繰り返したことが、急に扉が開けて、理解できるようになったんだ」

 と先生がいう。

「それは嬉しいですね。僕も人の役に立てるということかな?」

 というと、

「そうなんだ。そこなんだよ。さっきも言ったように、お互いに話をしているうちに、お互いが、少しずつ成長し合えるような気がする。たとえば、先ほどの三すくみの話ではないけど、矛盾していることが往々にして多い世の中で、三すくみになることで、何とか均衡が保てているのに、均衡が破れてしまうと、話が変わってくるんだよね」

 という先生の話に、少しついていけない気がしてきた。

「どういうことでしょう?」

 と聞くと、

「世の中というのは、何をどうすればいいのか、すぐには答えが出ない。逆にすぐに出た答えの方がうまく行く時もある。こればかりはハッキリとは分からないよな? まず、何が正解か? なんて分からないだろう? つまり、時間を掛ければいいということだけではないということだ。逆にインスピレーションでうまく行く時もある。だから、その感覚を鍛えようとしているんだよ。人間というのは、本能で、それを知っているんだ。そういう話をいろいろな人として、答えに少しでも近づこうとする。それが、勉強というものではないかと思うんだ」

 さすがに大学の先生、一本筋が通っていると、梶原は感じた、

「私も先生が、そういうお考えではないかと思っていたんですよ」

 と言ったが、もちろん、そんなことまで分かるはずはない。ただ、

「面白い授業をする先生だ」

 という思いはあったのだ。

 先生の話を聞いていると、もっと他にも、今考えなければいけないこととか、分かるような気がした。先生とは、もっといろいろ話をしたいと思うのだった。

 先生と話をしていれば、時間が経つのもあっという間である。

 そんな先生が、少し疲れてきたのか、会話が少なくなってきた。

 それほど酒を飲んでいるわけではないので、ひょっとすると、話をすることで会話に慣れてきてしまったのか、気が抜けたようにも見えた。

 少し、こちらからも会話を少なくしようと思った梶原だったが、最初眠そうにしていた先生が急に我に返ったように。

「梶原君。梶原君は、摂関政治をどう思うかね?」

 と、聞かれた。

「あまり詳しくはないですが、天皇の代わりに政治の補佐をするというところであり、藤原氏が代々、その職を受け持ってきて、絶大な権力を握った。そして、藤原氏にあまり関係のない天皇が即位すると、摂関政治の時代が終わり、院政に突入し、そのせいで、藤原氏の力が落ちていったということですよね?」

 というと、

「ああ、そういうことだね。じゃあ、摂政と関白はどう違う?」

「そこまでは詳しくは分からないですね」

 というと、

「摂政というのは、幼い天皇が即位した時に、天皇に変わって政治を行うことを言って、関白は、成人した天皇が政務を行う時の補佐をする場合をいうんだよ」

 と先生が言った。

「なるほど、そういうことですね。今の法律で言えば、たとえが悪いかも知れないけど、法定代理人と、保佐人の違いのような感じですね?」

 というと、

「うーん、確かに表現はあまりよくないが、確かにその通りかも知れないな。じゃあ、藤原氏が、どうしてそんな権力を持つことができたと思う?」

 と聞かれ、

「それも、ピンときませんね」

 というと、

「それはね、藤原氏が、自分たちの娘などを、天皇に嫁がせて、姻戚関係を結ぶことで、強大な権力を持つことができるようになったわけだよ。だから、その子が生まれると、子供の祖父は、藤原氏の長ということになり、完全な親戚になるわけだ。そうなると、権力はほしいままというところだね」

 といわれ、

「なるほど、その通りですね。それで、清盛などは、天皇家に入り込んで、公家化していったわけですね? 結局一代限りだったですけど」

 というと、

「そうなんだよ。藤原氏の力って、何代にも続いて権力を握ってきた。ここまで、天皇家や、将軍家以外で長く権力を持った家というのは、日本の歴史上あっただろか?」

 と言われると、

「確かにそうですよね。蘇我氏だって、三代くらいだったかな? 北条氏だって、100年も続いていない。それを考えると、藤原摂関家というのは、天皇と親戚関係になるということのパイオニアであったことと、長く続いたという意味においては、本当にすごいことなんですね」

 と言わざるを得なかったであろう。

「そうなんだよ。時代が平安時代で、歴史の表舞台に出てくるのは、どうしても動乱の時代や、世相が乱れた時だが、藤原摂関家が権力を握っている時は、平安京で、小さな事件が続発した時代はあったが、何か大きな政変となるようなことはなかったからな。それを思うと、あの時代は、ある意味平和であり、国風文化というものが、根付いた時期でもあった。それが終わって、院政、そして、武家の政治へと変わっていくわけだが、そのことをゆっくり考えてみると、歴史の面白さも分かってくるというものだ」

 と先生は言った。

「確かに、大きな権力があって、そのライバル関係がいないと、なかなか歴史としては、語り継がれることもありませんよね」

 と、梶原が言った。

「じゃあ、どうだい? 俺たちでその歴史を作ってみないかい?」

 といきなり目を輝かせて、先生は言った。

 それを見て、一瞬、

「ここまでの話は何だったのか?」

 とあっけに取られてしまった。

 それを見て先生は、さらに目を輝かせ、

「いや、悪い悪い」

 と言って、頭を掻いていた。

 一体何が悪いというのか? この態度を見て、今回の倉橋の誘いが最初からここにあったのかと思うと、まるで騙されたかのような気がして、悔しかった。ただ、この悔しかったという思いも、騙された行為が嫌だったわけではなく、この期に及んでも、騙されたと思いたくない自分がいることが悔しかったのだ。

 だが、この面倒臭い言い回しは何なのだろう? そもそも、摂関研究部というのが何だったのか?

 どうやら、竹本先生が開設して、それを実践しているのが、倉橋たちなのだろうということは想像がついたが、では、この自分に何をさせようとしているのかということが、梶原にはどうにも分からなかった。

「歴史を作るって」

 と、苦笑いどころか、ひきつった笑いになってしまっていた。

 それを見た先生は、

「そうだよね。今まで歴史の話をしてきたところで、歴史を作る側の話になれば、それは当然ビビっても無理のないことだと思う。それだけ、君が歴史というものに、真摯に向き合っているということだということが分かるからね。だけど、それだけに諦めの境地であったり、できるものなら、何とかしたいというような気持が入り混じって、ジレンマを起こしているのではないかな?」

 というではないか?

「ええ、まあ、確かにそうなんですが」

 と言って相手の出方を探ろうとした。

 先生もそれくらいのことは分かっているのだろう。そして、梶原が決して頭が悪いわけではないということも分かっているはずなので、ここまで話してくれば、頭の中にこちらの何が言いたいかということくらい、想像に入っているに違いないと思っている。

 しかし、それがあまりにも大げさに馬鹿げていることなので、真剣に考える方がどうかしているというものだろう。

 それでも、先生は臆することなく話始めた。

「実は、今度、摂関研究部を、宗教団体として、法人格を取得しようと思っているんだ。それだけの組織は作ってきたつもりだからね。だけど、足りないのが、実質的なところで、教祖という人間なんだ。私は発起人の一人であり、今いるメンバーに教祖となるべき説得力やカリスマを持った人間がいない。それは、考え方が皆いまいちだったり、考え方はしっかりしていても、それを表に出して戦う気概を持っている人間がいないんだ。そこで白羽の矢が立ったのが君だということなんだ。私は今までの君を影から見てきて、君だったら、教祖になりうるだけの力を十分に持っていると感じたのだ。君には驚愕かも知れないが、我々はそういう目でずっと見てきた。だから、自分たちの目は自分で信頼することができる。だから後は君の覚悟と勇気だけなんだ。今すぐにとは言わないが、考えてもらえないかと思って、君には悪かったが、京の席を設けさせてもらった。悪く思わないでほしい」

 と、先生はそう言って頭を下げたが、まわりの皆も一緒に頭を下げている。

 どうやら、奥の客以外、スタッフも皆、同じ気持ちのようで、この店は、宗教団体の隠れ蓑だったということなのか?

「教祖って、そんなかしこまったようなものをこの僕には……」

 というと、

「もちろん、今すぐにというわけではないんだ。これから君が自分の人生を決めていくうえで、その手助けができればいいと思っているし、君にも少なからず、この世界に対しての不満や憤慨があることは分かっているつもりなんだ」

 と先生は言った。

「じゃあ、その僕の気持ちに付け込んだというわけですか?」

 と、皮肉をいうと、

「決してそういうわけではない。君の感情や、本質を考えてのことでもあるんだ。少なくとも、いきなり断ったりすることはないと思ったしね。君は、普通だったら、嫌だと思えば、最初から一刀両断で、聞く耳を持たないくらいの性格だということは分かっているつもりだからね」

 というではないか?

「それにしても」

 と、梶原はとにかく煮え切らない。

「とにかく、考えてみてもらえるだろうか?」

 と、言われてまわりを見ると、真剣な目の中に晒されているのが分かると、正直、むげに断ることはできないと思うのだった。

「とりあえず、考えてみます」

 と言ったが、何を考えるというのか。

 今日のところは頭が回らない。

 果たして、このままちゃんとした睡眠をとることができるのか? ということも疑問だった。

「今日は、じゃあ、失礼します」

 と、言って、その場をとにかく離れたかった。

 本当は一人のなるのが怖かったのだが、このままここにいると、強引に教祖にさせられるような気がして、そっちの方が怖かったのだ。

 相手も止めようとはしない。

「分かりました。ゆっくり考えてみてください」

 と言われたが、

「何が考えてみてくださいだ。こんな重荷を負わせやがって」

 というのが、本音だったが、それを口にすることは決してできなかったのだ。

 考えてみたところで、何がどうなるというわけでもない。

 そもそも、教祖って何なのだ? これが宗教団体だということは分かっていたが、宗教団体と、摂関政治のどこに関係があるというのか?

 確かに、先生の言う通り、政治の補佐をする中で、藤原摂関家が、一番長く栄えていて、盤石だったのも間違いないだろう。

 その後の中世に訪れた武家の文化の方が、荒々しくて、歴史の争乱にふさわしいということもあって、実際に藤原時代は分かりにくいものだ。

 それを思うと、俄かに、どういう宗教団体なのか、ピンとはこない。おそらくこの話になると、2,3日では、話が尽きることはないだろう。

 だとすれば、どこにそんな暇があるというのか?

 確かに、就職もできずに、今は中途半端な状態で、アルバイトで食いつないでいる状態だ。これには不満も憤慨も大いにある。しかし、それは自分が悪いのであって、誰を責めることもできない。

「じゃあ、どうすれば?」

 と言われれば、これといって何もない。

 だからと言って、教祖なんて……。

 そう思うのは当然だろう?

 とにかく、その日は眠れない夜を過ごしたのだった。

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