第5話 摂関研究
とにかく、就職難の年であった。それでも、ある程度の時期が過ぎれば、就職がまったく決まっていなかった連中も、少しずつ内定がもらえるようになる。
一つは、優秀な連中はすでに残っておらず、会社によっては、募集人員に足りていない内定数だったりすることもあるだろう。
会社が厳しくてなかなか内定をもらえないというわけではない。要するに、
「こんな会社、誰が行きたいと思うものか」
というようなところが、残っている。
いや、残っていないというべきか。
それでも、まだ残っているだけマシだといえるのではないだろうか?
ただ、それだけではない。すでに募集人員に達した会社でも、
「もう少し取っておこう」
と考えるところもある。
なぜなら、会社が厳しい、あるいはブラック企業であるため、入社してから、数か月の間にほとんどの社員が辞めていくので、最初から辞めていく人間を計算に入れて、募集を掛けるというやり方で。まるで、補欠入社のようなものだ。
実際に、入社してから、仕事をしてみれば、
「こんな予定ではなかった」
と思うだろう。
優秀な人間は、そんなとこにいなくても、今からでも就活をすれば、他に行ける可能性がある人も結構いるだろう。
ブラックな会社は、
「本当は優秀な人材がいるに越したことはないんだが、辞めていく連中を引き留める気もない。そのために、たくさん採ったんだからな」
と思うだろう。
要するにそんな会社は、
「人は消耗品で、使い捨てだ」
としか思っていないのだろう。
本当に優秀な人材なら、就活の際に、それくらいの情報は得ているだろうから、こんな失敗はしないだろう。こんなことをして、最初につまずくのは、
「優秀な人材になれそうで、永久になれない、一種の予備軍」
のような連中ではないだろうか?
そんな連中は、自己主張も強く、
「自分は優秀だ」
と思い込むことで、会社も簡単に辞めてしまう。
新しくどこかの会社に入れたとしても、一度辞めた人間は、辞め癖のようなものがついてしまい、少しでも自分の思っていた会社じゃなかったり、辛い仕事だと思うと、
「また辞めればいい」
ということになるのだ。
いくら、今の時代は、終身雇用ではないとはいえ、こんなにコロコロ辞めていると、雇ってくれるような会社は残っているわけもない。
それに、転職を重ねるということは、
「どんどん条件が悪くなっていって、前の会社以上を望むことは、絶対にできない」
と言われているが、どんなに優秀な人間であっても、キャリアを期待して雇われたわけではないのであれば、体よくつかわれるだけである。
「優秀そうな社員だけど、利用するだけ利用して、辞めたくなったら、辞めさせればいい」
というくらいに考える社長も出てくるかも知れない。
それだけ、会社を転々としていると、最期には、そんな経営者のところしか残っていないということになるだろう。
これでは、完全に最初から就活は失敗だったといえるだろう。
せっかくのキャリアも台無しで、せっかく、大学で成果を残してきた意味もなくなってしまうのではないか?
大学生の就活というのは、本当に難しい。途中採用のように、キャリアを中心に採用を考えている会社では、一年目で辞めた人間を雇うところは、そうもないだろう。そういう意味では、一年目で簡単に辞める社員は、再就職は結構難しい。アルバイトや派遣で食いつなぎ、結局そのまま、就活をする気もなくなり、非正規雇用のまま、働かなければいけなくなるのだ。
梶原の場合、人から聞いて、そのことも分かっていた。一縷の望みを掛けて、就職活動を続けていたが、決まったとしても、そこは、手放しで、
「よかった」
と言えるものではないだろう。
もちろん、それなりの覚悟は必要なのだろうが、
「入ってしまえば、後は、横一線だ」
と考えるのは、楽天的過ぎるだろうか?
逆に、就活であまりにも簡単に決まりすぎるというのも、どこかに落とし穴がありそうで怖い気もする。中には優秀だから、有名企業の何社からも、内定をもらえる人というのは、相当数いるのではないだろうか?
だが、あまりにも簡単に決まってしまうと、有頂天になりすぎる可能性もある。
「自分の願いは簡単に何でも叶う」
などという、自信過剰になってしまわないとも限らない。
ただ、自信過剰なくらいの方が実力を発揮できる人もいる。そんな人はいくらでも、
「木に登るブタ」
であってもいいと思うが、そうでない人は、潰されてしまいかねない。
雇った側も、まさか、潰そうだなどと思っているわけではない。自分が雇った人間が、一人でも長く働いてくれればと思っているだろうし、簡単に辞められると、人事としての自分の評価も微妙になり、何よりも人事としての自信を、喪失してしまうことになるだろう。
それを思うと、入社後もフォローが必要になる。ただ、それもその会社の体質にもよるかも知れない。
いつも、社員が一年目で大量に辞めてしまうような会社は、
「どうせ、辞めるんだったら、最初から、多めに雇っておいて、ふるいに掛ける方がいいかも知れない」
などということを考えているに違いない。
そんな会社に入社すると、きついのは自分だ。
一生懸命にやっても空回りするかも知れない。
そのうちに会社の上司が、
「こいつは辞めていくかも知れないな」
などと思っていることを感じると、どう思うだろう?
一気に身体から力が抜けて、それまでしがみついてきたものが何だったのかと思うことだろう。
それでも、早く気づいた人はまだマシかも知れない。人生をやり直せるだけの機会があるのだから。
しかし、ある程度まで勤続年数を重ねた社員が、いまさら会社のそんな体質を知って、「じゃあ、辞めればいい」
などと簡単に言えるだろうか?
家庭を持っているかも知れない。
子供がいて、子供の学費や、家でも買っていれば、ローンの問題。何よりも、辞めてしまって、家族が路頭に迷う姿を想像することができるだろうか?
家族と仕事を天秤に架けると、そんなに簡単に、
「辞めてしまえばいい」
などと言えるものではない。
だが、不安が消えるわけではない。逆に増えるだろう。
今は簡単に辞めることはできないと思っても、このまま会社にいて、会社が潰れないとも限らない。
そんなことはどこの会社にいても分かりっこないのだろうが、嫌々仕事をしている会社が潰れてしまったとすれば、これほど理不尽なことはない。
かといって、再就職の道を模索するというのも、怖い気がする。
どこか、探せば見つけることはできるだろう。
しかし、再就職した会社が、さらにブラック企業なのかも知れない。会社側は必死になってブラックであることを隠そうとするだろう。労働基準局の目もあるだろうし、会社の存続のためには、ブラックにならなければいけないという経営者の考えがあるのかも知れない。
そんなことを考えていると、自分が情けなくなる。まだ、会社に入社して仕事を味わっているわけでもないのにである。
だが、今の自分は、そのスタートラインにも立てていない。そんな将来への絶望に近い妄想を抱くということは、それだけ、落ち込みが激しいということであろうか?
ただ、今はアルバイトでも何でもしながら、その日一日を過ごしていくしかないのだった。
そんな時、声を掛けてきたのが、同じ大学出身という人であった。
「確か、あなたは、摂関研究部に興味を持っていた人ではありませんか?」
と言って声を掛けてきた。
確かに、摂関研究部には大いに興味を持った。歴史が好きだったし、摂関家における謎の歴史を知っていたからだ。
「ええ、部には所属はしていませんでしたけどね」
というと、
「そうでしたね、私はその摂関研究部の人間なんですよ。大学は卒業しましたが、組織には今も所属しています」
というではないか。
「そうなんですね。でも、よく僕のことなど、気にしてくれていたと思うと、何か嬉しいですね」
と、梶原は言ったが、これは本音だった。
就職もできず、将来を憂いていた状態で、自分の中で勝手に負のスパイラルを描いていたような気がしていたので。どうすればいいのかを悩んでいた。
そんな時、誰かが話しかけてくれて、素直に嬉しいと感じるのは、
「それだけ、俺が孤独を深刻に考えていた証拠なんだろうな?」
と感じたからに違いない。
「私は、倉橋というものです。あなたは、確か、梶原さんですよね?」
と言われて、
「ええ、そうですが、どうして名前を?」
「大学祭の時、うちのサークルの展示を見に来られた時、署名されたでしょう? その時にお名前を知ったんです」
というではないか。
まるでストーカーのようで気持ち悪い気もしたが、今は、
「孤独から抜けられるかも知れない」
という思いの方が強く、この倉橋という男と話ができたのは、何もない最近の中では、自分が活性化されそうで、新鮮な気がしたのであった。
「ところで、どうして僕に声を掛けてくれたんですか?」
と気になったことを聞いた。
ただ、声を掛けてきたにしては、タイミングが良すぎる気がした。偶然道でばったりというのは、偶然にしてはできすぎているような気がしたからだ。
「いえね、あまりにも落ち込んで、負のオーラに包まれた人がいると思って近づいてみると、梶原さんじゃないですか? 見違えてしまうほどだったので、一瞬声をかけにくいと思ったんですが、思い切って掛けてみました」
という。
冷静に考えて、そして、少し疑ってみると、その言い分には、都合がよすぎる気もした。それを補おうとして、
「一瞬声をかけにくい」
という言い方をして、最初は無視するつもりだったということを言いたかったのではないかと思ったのだ。
「そんなに、僕、落ち込んでいるように見えました?」
「ええ、近寄りがたい雰囲気は出ていました。普通だったら、声を掛けられないレベルです」
というので、
「そんなにひどかったんですか?」
と、ため息交じりで落ち込むと、
「そう、その感じですね。人というのは、落ち込んだ時、自分で思っているよりも、表に対して、大いなる負のオーラを発しているということを自覚していないものなんですよ。自覚できていても、まあ、一緒ではあるんですけどね」
と、言って彼は苦笑いをした。
「そうですね。ここまで落ち込んでしまっていると、まわりが見えていないというのも、あるかも知れないですね」
と梶原がいうと、
「それは分かります。私も、本当に落ち込んだ時は、自分が自分ではないと感じることが結構ありますからね。自分が自分じゃないと思った時って、まるで幽体離脱した気分になるんですよ。そんな時、これは夢だって自分で感じるんです。でも、夢が夢であるために決定的なことが欠如しているんです」
というので、
「それはどういう?」
と聞き返すと、
「夢で、もう一人の自分の存在を意識すると、その瞬間に目が覚めてしまうんですよ」
というではないか。
「もう一人の自分?」
「ええ、そうです。もう一人の自分ですね。私の場合は。怖い夢というのを見た時って、結構覚えているんですよ。そして、その結構高い確率で覚えている夢の中で、もう一人の自分が出てきているんです。最初から怖い夢を見ていて、もう一人の自分でとどめを刺されることもあれば、それまでは、楽しい夢だったんでしょうね。夢の内容は覚えていないから。その時にもう一人の自分がいきなり出てきて、そこで夢が終わってしまう。つまり、もう一人の自分が出てきた時というのは、必ずその瞬間に夢から覚めてしまうということになっているんです。そして、もう一人の自分の出現が、同時に夢の終わりを示しているんですよ」
というではないか。
信じられないような話であるが、
「僕もその話分かるような気がします。すべてが信用できるというわけではないんですが、自分の夢も、おおむね似たような話なんですよ。そういう意味で、信頼できるし、何よりも、自分が納得できる気がするんです」
というと、
「そうでしょう。あなたなら分かってくれると思いましたよ」
と言って、かなり喜んでくれているようだ。
だが、倉橋という男が喜べば喜ぶほど、虚しく感じるのは、
「今は笑っていられる状況に、自分がいるわけではない」
ということを、身をもって思い知っているからであった。
そんなことを考えていると、
「せっかくお会いしたんだから、一杯やっていきませんか?」
と誘われた。
「あっ、いや」
お金もないのに、誘われてもと思ったので断ろうとしたが、
「お金のことは心配いりません。安い店知っていますから」
と言われ、正直、気分転換したいと思っていただけに、渡しに舟ではあったのだが、迷っていると、
「さあ、行きましょう」
と言って、ぐいぐい引っ張っていくではないか。
もう抗う気持ちも失せてしまった。
彼に引っ張られて入ったお店は、本当にこじんまりとした店の規模はそんなに大きくない居酒屋だった。
「ここは、お魚もおいしいですからね」
と言って、
「じゃあ、マスター、いつものコースで行こうか?」
と言って、アイコンタクトも送っているようだった。
この店は完全に、倉橋の馴染みの店であることに間違いはなさそうだ。
店の奥の方では、2組ほどが、テーブル席で呑んでいる。カウンターの奥の方では、単独の客がチビリチビリと、やっているのが見えた。日本酒が似合う店だけに、見ていて、ほのぼのした気分になった。
「ほのぼのした気分?」
最近、そんなほっこりとした気分になったことなど、まったくなかったような気がした。
カウンターに座れば、前にあるショーケースに並んでいる焼き鳥や魚、野菜などが、本当に新鮮に見える。出来上がってもいない食材だけで空腹感を味わうのだから、そこがこういうお店の醍醐味なのだろうと思うのだった。
大学時代は、よく一人で呑みに行ったものだった。
その日の気分で、お店を変えて……。
少し落ち着きたいが余裕の気分にさせてもらいたいときは、バーにいくようにしていた。そして、何でもいいから、愉快な気分に、そして、おいしいものを食べて嬉しくなりたいと思う時は、居酒屋などがいいと思うのだった。
そういうお店はリサーチ済みで、一度行けば、常連になった気分になり、2回目以降は、まったく違和感なく店に入ることができる。
そもそも一人でふらりと入店するのだから、2回目以降は、気兼ねなどすることはないことくらい、分かり切ったことであった。
「やっぱり馴染みの店はいいな」
と思うのも当然のことだったのだ。
歴史的な雰囲気が醸し出される店だった。実際に、歴史上の人物と呼ばれるような人を模したかのような絵が飾られていて、コミカルなところが、盗作ではないと言っているようだった。
店は全体的に若い人が多く、客も結構和気あいあいだった。
「何となく落ち着くお店ですね?」
というと、
「そうだろう? そう思ってくれると感じていたんだ。中には、落ち着きを感じてくれない人も多くてね。きっとその理由は、アットホームすぎるところがあるからなんだよ」
と、倉橋は言った。
「僕は、落ち着いて見えるけどな。アットホームすぎるっていうのがよく分からないんだけど」
というと、
「それは、君が僕を通してこの店を見てくれているからさ。自分ひとりでフラッと入ったと思ってごらん?」
と言われて、言われた通りに感じてみると、
「ああ、なるほど、確かに、一見さんには、きつい気がするかな?」
「そうなんだ、このお店は、ハッキリ言って、仲間内の店なんだよ。大学時代の摂関研究部のかつての部長が始めたお店でね。客は結構、その摂関研究部関係の人が多いんだ」
と、倉橋がいうので、
「それで、内輪の店だと思えて、よそ者意識を感じることになるということか?」
というと、
「そういうこと。でも、梶原君はそんな感覚はないんだね? サークルの中を知らないのに」
と言われて、
「確かに知らないけど、でも、それ以前に、この店が、サークルのつながりの店だという感覚を持ったわけではないんだけどね」
というと、
「じゃあ、それを知ると、この店が嫌になったかい?」
「そんなことはないかな? 一度、この雰囲気を気に入ったら、その後に何があっても、そんなに、揺るぐことはないような気がするんだ」
と言って似合わらいをした。
「この苦笑いは、照れ隠しのつもりだったが、言い訳のための苦笑いだと取られないだろうか?」
梶原はそう思ったが、倉橋は、どう見ただろうか?
「いらっしゃい。確か君は、梶原君だっけ?」
と奥から白いエプロンに、白い帽子をかぶったスタッフが、こちらに近寄ってきた。
「ええ、そうですけど」
と梶原は言ったが、そこにいたのは、年のころで言えば、40代後半くらいの人物で、絶えずニコニコしていた。
ただ、どこかで見たことがあると思える人だった。
「誰だったっけ?」
と思っていると、
「申し遅れました。竹本です」
といって自己紹介をしてくれたが、名前を言われてもすぐには、ピンとこなかった。
「竹本?」
自分の知っている竹本という人を思い出してみたが、ピンとこない。
そうなると、今度は、倉橋という男から手繰ってみることにした。
竹本というと、大学時代に、摂関研究部に所属していた同級生。ということになると、大学関係者だろう。年齢的に同級生ということはありえない。となると、教授か准教授かであろう。
「ああ、確か、歴史の先生だったかな?」
というと、
「ええ、そうです。当時はただの講師だったんですが、今は准教授になりました」
という。
大学では、一年生、二年生の間に、一般教養という過程を習得し、二年くらいから徐々に、専門分野の単位取得になるのだった。
一年生の一般教養で、日本史を選択した時の先生が、確か竹本先生だったような気がする。
竹本先生は、なかなかユニークな授業をしてくれたような気がした。大学で教える先生は、高校までのように、一年間で、どこからどこまで教えるというようなカリキュラムがあるわけではないので、いろいろな教え方ができる。自分の研究しているところを、まるで自慢げに話す教授もいれば、学生が、授業を聞いていようがいまいが関係ない。授業はただのバイト感覚で、実際は自分の研究論文を書いて、学会で認められたり、そんな論文が、本になったりするのを、究極の喜びとするのだった。
竹本先生は若かったこともあって、学生が遊んでいようがどうしようが、うるさくしなければ、別にいいというような先生だった。
高校時代までも、そんな先生もたくさんいたが、その時は、
「何て情けない先生なんだ」
と感じていたが、結局、自分もそんな先生たちを白い目でしか見ていなかったのである。
先生の授業は、それでも、面白かった気がする。出席だけが目的の学生がほとんどだったが、梶原は真面目に聞いていた。
といっても、梶原もそんなに真面目な生徒というわけではない。
梶原だって、他の興味のない授業は、皆と同じように、出席だけを目的に行くだけだった。
単位の取得だけが目的なのだから、そんなに必死になることはない。高校時代までの方に、高校受験、大学受験などという確固たる目的もないのだ。
しいていえば、就活に影響するかも知れないが、よほど主席に近いくらいの成績を収めるか、サークル活動で、全国大会で優勝するなどの、輝かしい成果でもなければ、大学生活の中で、就活で優利なものはない。
ただ、就活と言うのは、面接でいかに相手の気持ちを掴むことができるかという、一発勝負であり、ただ、そのために、日ごろから訓練をしたり、相手に訴える何かを持っている必要があるのだろう。
だが、そんなことが分かったのは、就活が終わって、
「雇ってくれるところなど、どこにもなかった」
という結果が出た時というのは、本当に皮肉なことだった。
アルバイトで何とか食いつないでいるが、これから先、どうなるかなどということを、まったく想像もできないでいたのだ。
そんな時声を掛けられたのだが、自分では、そこまで落ち込んでいたとは思ってもいなかっただけに、少しショックであった。
それでも、こうやって食事をしながら誰かと話をするなど、大学時代以来だったので、嬉しくないわけもない。店の雰囲気も悪くないと思ったのは、それだけ、こういう店が久しぶりで新鮮だったからだ。それを思うと、本当に嬉しいと思うのだった。
だが、竹本先生の授業はそんな中でも興味が持てた。歴史というものを、時系列ではなく、ピンポイントで捉え、そこから過去や未来に線として飛ばしていき、そこからパラレルに広げるような形で見るものだったのだ。
普通はそんな見方を歴史ではしない。確かに斬新な切り口としては面白いのだが、そんな見方をしてしまうと、時系列でないので、興味のない人には難しすぎて理解ができないだろう。
ただ、それは独学で勉強する分には混乱するのだが、誰かに教えてもらう場合には、その混乱はない。教え方がうまいというのか、聞いていて、実に楽しかった。
というのは、
「次にどんな話が飛び出すか分からない」
というスリルのようなところがあるからだ。
歴史の勉強は時系列。ある一点を捉えるために、過去からその点までを時系列で進むか? あるいは、ある一点からさかのぼっていくかのどちらかであろうが、先生は違った。
「歴史というのは、原因があって結果がある。これは過去があるから未来がある。未来のために過去があるという発想と近いけど、意味合いは違うんだよ」
と言っていた。
その言葉を、今思い出していた。そして、あの時の疑問を今まさに聞いてみようと思ったのだ。
「先生の授業で言っていた、
「原因があって、結果があると言っていた意味、結局分かりませんでした。あれはどういうことだったんでしょうか?」
と聞いてみると、
「あの言葉、考えてくれたんだね? あれは、でも、普通に考えていれば、答えは出ないと思うよ」
と先生は言った。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「ヒントをいうと、答えは一つではないということさ。逆にいえば、答えはないのかも知れない。要するに。答えを一つ求めたとしても、それが本当に正解なのかと考えると、その証明を求めて、また考えることになるのさ。そうなると、またもう一度一から考えるだろう? これって、パチンコの完全確率に近い発想があるんだよ」
と言われた。
「完全確率?」
と聞くと、
「そうだよ。君はパチンコというのをするかい?」
と言われて、
「いいえ」
と答えると、
「私もしないんだけど、その確率の意味を聞いた時、ああ、なるほどと思ったんだよ。歴史の勉強に近いものがあるってね。それで、完全確率というものは、例えば、大当たりまでの確率が300分の一だったとしようか? 普通に考えれば、300回回転するまでに当たるはずだよね? だけど、300回までに絶対に当たるということはないんだ。分かるかい?」
と聞かれたので、
「はい、そこまでは分かります」
「つまりは、1回目外れれば、299分の1になるわけではないんだ。もし、そうだったら、300回までに、1分の1になるだろう? 要するに、300分の1の確率というのは、ある程度の大当たり回数の中で、総回転数と、大当たりの回数を分母と分子に置き換えただけなのさ。平均したら、300回に1回当たるというだけのことなのさ」
というではないか?
「ああ、なるほど、分かりました。1回回しても、次も、300分の1の抽選ということですね?」
「そういうこと」
「おみくじを引くのに、外れくじを引けば、引いた外れくじをもう一度、中に入れるということになるんですね」
「そうそう、その通り。だから、いくらやっても、当たらない時は当たらないし、当たる時は続けて当たったりするものなのさ。もちろん、機械なので、プログラムされた形で当たることになるわけなので、300に近い数字になるように作られているということに間違いはないんだろうけどね」
と先生はいうのだった。
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