第3話 新興宗教
「宗教を信じる人というのは、どんな人間なんだろう?」
と考えたことがあった。
新興宗教というと、どうしても、
「テロ予備集団」
という意識が強い。
それは、かつての宗教団体にそういうものが多かったからだ。家族から引き離して、孤立させたり、教祖からマインドコントロールを受け、教祖がハーレムのような生活をしていたり、さらには、大量殺戮をもくろんだりした怪しい団体が、定期的に現れたりしたからだった。
だが、それは、ほんのごく一部の集団というだけではないだろうか。考えてみれば、太古の昔から、この世の中には、宗教が存在した。
「宗教なくして、この世は存在しない」
と言ってもいいかも知れない。
そして、いまだに繰り広げられている戦争の原因のほとんどが、宗教問題であるということは誰もが知っている事実である。
キリスト教にある、
「モーゼの十戒」
というものの中に書かれている戒律。その中の一つに、
「人を殺めてはならない」
という言葉があるではないか。
人を殺してはいけないというのに、戦争というのは、人を殺すことを目的とはしないまでも、目的を達成するためには、人の命も仕方がないという考え方ではないか。
これは、明らかに矛盾している。
特に十字軍など、宗教同士の権力争いのようなものであり、どんな理由があったとしても、人の命が犠牲になっていいものか? 非常に疑問である。
また、これは戦争ではないが、宗教の中には、
「生贄」
というものが、必ず儀式には必要になるものだ。
神に、天災を収めてもらう時なども、生贄をささげたり、何かの建物を建てる時だって、「人柱」
なるものが存在した。
確かに、
「全員を救うために、一人の生贄を捧げる」
という考えは、人間の覚悟の表れとして、捧げられた神は考えるのかも知れないが、死ぬ人間にとって、覚悟も、生き残った人たちも関係ないのではないだろうか?
逆に、自分を見せしめにして下手をすれば、
「都合の悪い人間を体よく葬り去ることができる」
ということで、粛清のための言い訳に使う輩だって出てくるかも知れない。
それを思うと、宗教の何たるかということが分からなくなって当然であろう。
特に、イスラム教の過激派など、ゲリラ戦になると、お得意の戦法として、
「自爆テロ」
というものがある。
どこか、大日本帝国のいわゆる、
「カミカゼ」
と似たものがあるが、果たしてどうなのだろう?
イスラム世界の人間がどのような感覚なのか、大日本帝国の当時の人たちが、どういう気持ちだったのか分からないが、少なくとも彼らには、守るべきものがあって、そのために命を捨てることになったということであろう。
それを、良し悪しという物差しで語っていいものなのか分からないが、
「勧善懲悪」
の梶原としては、絶対に許せないはずなのに、どこか、煮え切らないところがある。
それは、自爆テロやカミカゼが、善悪という物差しを使えないということが分かっているからで、やはり、勧善懲悪は大切なことだとは思うが、その線引きを果たして誰ができるのかということが問題なのだと思う。
人間にそれができるのか、やはり神の領域なのか? 神様の定義がどこにあるのか、宗教も分かっているのかが疑問である。
「一体何が神の領域だというのか?」
と、そんなことを何度か考えたことがある。
考えてみれば、宗教も様々であり、神々というのも、いろいろいたりする。中には同じような神がそれぞれに存在している場合もある。ギリシャ神話とローマ神話では、似たような神がいて、例えば、美の神であったり、海の神というのも、ちゃんとそれぞれに存在していて、名前が違うだけという感じだ。
これは、どちらかが元祖で、どちらかが派生型と言われるものなのかも知れない。
キリスト教でも、新旧あり、旧が、カトリックであり、新がプロテスタントと呼ばれている。
信者ではないので、どこがどのように違うのかはハッキリと分からないが、宗教には宗派があったりして、それが、違う宗教として形づけられていたりするではないか。
人間の中には、
「神になりたい」
と思う人間や。神と同等の力を持ちたいと思う人、または、神の力を利用しようとする人、さまざまである。
「バベルの塔」
の話のように、神に近づこうとして高い塔を建て、その権威をしめそうとする輩。
または、大日本帝国のように、国を統治するために、中央集権国家を作ろうとして、天皇を神だと祀り上げることを考えた政府など、さまざまである。
だが、今一般人の意識の中で考えられている神の存在は、
「神は、人間一人一人の心の中にいるものだ」
という考えもあるだろう。
しかし、神の存在というものは、そもそも、人間に近いところにいてはいけないのだ。
「人間を救うところに神の存在意義がある」
という考えからいけば、神は、人間にとって、絶対神話の存在にいないといけないのではないか。
「神を信じる以上、個人の尊厳は存在しない」
一人一人を見ていては、必ずそこに矛盾が存在してしまう。
そのためには、確固たる集団が必要になってくる。神を崇めたてることで、人間が神を信じるという一つのことに邁進するのだ。
それが、宗教団体の存在意義ではないだろうか?
人間がこの世で生活していくうえで、必要なものを得るということで存在しているのが会社というものだとすれば、生きていくうえで必要な感情を保つという意味で、必要なのが宗教だとすれば、
「絶対的に必要な会社と同じように、人それぞれに、宗教があって当然だ」
という考えである。
宗教というのは、信じる信じないは自由だが、信じる人間を抑えつけるわけにはいかない。それが、憲法で認められている
「信仰の自由」
である。
これは、
「職業選択の自由」
と同じで、信仰の自由も、基本的人権の中の一つなのだろう。
ただ、そんな人間の心理を巧みに利用して、金儲けを企む悪徳な輩がいるのも事実だ。
中には。人の信仰心を利用して、金儲けをする連中も結構いたりする。しかも、宗教団体は、一種の国家のようなもので、中に入ると、教祖がいて、団体を運営している人たちがいるのだ。
宗教団体と言っても、お金がなければ飯も食えない。食べなければ人間は死んでしまうのだ。
ただ、昔からの宗教の教えのほとんどが、
「この世でうまくいかなかったことであっても、この世でいいことをしていれば、必ず来世で報われる。だから、この世で、来世のために徳を積むのだ」
という考えが一般的だろう。
もちろん、人それぞれなので、来世を信じていない人も多いだろう。そういう人に、そもそも来世を解く宗教の教えは、まったくの無意味なのである。
「前世の記憶もなければ、因縁すら感じないというのに、来世なんか考えたとして、それが何になるというのだ?」
というものだ。
冷静に考えれば、
「来世でいくら幸せになれたとしても、今の記憶がないのであれば、そこに何の意味があるのか?」
と考えるのが普通ではないだろうか?
ただ、最近の梶原は、宗教団体よりも、むしろ、政治やマスゴミの方を嫌になっていた。大学でも、友達との間でそんな発言が目立ち、ゼミに入っても、過激な発言をするようになった。
特に今から数年前の世界的なパンデミックが襲ってきた時、まだ、高校一年生だったので、受験にまだそれほど影響はなかったが、学生生活あるいは、思春期の大切な時期が犠牲になったことで、かなり世間の理不尽さを考えさせられた時期だった。
これは、梶原だけに限ったことではないだろうが、特に梶原には大きなトラウマとして残ったのだった。
確かに、いきなり某国で発生した新種のウイルスが、あっという間に全世界に広がったというので、仕方のない部分もあったかも知れないが、何と言っても、水際対策がザルだったのは間違いのないことで、それによって、国内で流行してしまった。
流行してしまってから、水際対策をとっても遅いのであって、これには賛否両論があったが、まず政府がやったことが、小中学校の全国閉鎖だった。
しかも、ソーリ(人間としての資質のなさから、敬意を表して、総理大臣をそう呼ぶ)が独断でやったことで、側近も知らなかったという、お粗末さ。勝手に記者会見を行い決定してしまったことで、政府内からも、国民からも、指示されるわけはなかった。
本来であれば、有事の際になれば、政府への支持率は上がるのが当たり前だった。
下がったのは、そんな伝染病を、
「風邪とかわりがない」
と言って、大した対策も取らずに、感染を急拡大させた国の指導者と、日本だけだったという、情けない結果になったのだった。
さらに、困ったことには、マスクの決定的な不足があった。
それ自体は政府が悪いわけではないのだが、その対策として、これまた、ソーリの、
「お友達」
と呼ばれる連中に、マスク製造を委託し、粗末なマスクを作り、国民に配布したのだ。
あまりにも小さすぎるし、専門家からは、
「布マスクは効果はない」
と言われていたのに、その布マスクを製作を強引に推し進めた。
そして、国民に配布したのだが、やはり、
「小さくて使えない」
として、ほとんど使う人がおらず、国に在庫が残ってしまうという情けないことになった。
これだって、血税の無駄遣いであった。しかも、
「お友達」
を儲けさせることだけが目的という、国民を犠牲にして、自分の保身に走るという、このソーリのお家芸だったのだ。
さらに、この伝染病蔓延の隙をついて、自分の保身のために味方になってくれるはずの検察の人間が定年となるのを、事もあろうに、自分のためだけに、法律を変えようとまでしたのだから、とんでもないソーリだ。結局、その検察の人間は、自らのスキャンダルで辞任することになったが、結果それが命取りになったのだろう。
政権通算記録を樹立した数日後、いきなり病気と称し、病院に逃げ込むことで、総理大臣の座を放棄したのだった。
さらに、いきなり放棄されて焦った政府は、すぐにソーリの首を挿げ替えたのだが、正直結果は、さらにひどいことになった。
伝染病対策は、さらに悲惨なことになり、対策としてはことごとく失敗。
さらには、ちょうど東京でのオリンピックがあったということで、それを強行に押し通してしまったことで、その後の流行を招いてしまい、他の党内の重鎮から、
「次の総裁選には、立候補しないでくれ」
と言われ、実質、こちらも、ソーリの座を明け渡すことになった。
次のソーリには、皆が期待した人間がなった(はずだった)。
しかし、実際にはもっとひどいことになってしまったのだ。伝染病に関してはまだしも、問題は国際情勢にあった。
元々、連邦国家を築いていた仲間だった国を、超大国が、隣国に攻め込み、戦争状態になったのだ。
欧州の国や、米国は、
「それを暴挙だ」
といい、批判をし、さらには、経済制裁を行った。
日本はというと、右に倣えで、欧米列強と同じように、経済制裁を行い、防衛のための物資を提供したりした。もちろ、金銭的な援助も大量に行ったのだ。
しかし、これが日本の国を追い込むことになるのを誰も分からないのだろうか?
相手は戦争をしているのである。基本的に、同盟も組んでいるわけでもないのに、片方の国に支援し。片方の国を批判するやり方は、明らかに片方とは敵対しているのと同じことである。
攻め込まれたとしても、文句が言えない状態なのかも知れないということをなぜ分からないのだろう?
とにかく、ばかげていたと思ったのは、攻め込まれた国のダイトーリョー(こちらも、ソーリと同じ意味での敬意を表する呼び方)が日本の国会にビデオ演説で支援を訴えてきた時。国会議員の全員が、スタンディングおべージョンを行った。
これを見た時、目を疑ってしまった。
「ここは、ドイツか? ナチスなのか?」
とである。
まるで、独裁者を支援する状態を見た時、日本は、まるでナチスドイツの悪いところをマネしていると思って愕然としたのだ。しかも、この国の、ダイトーリョーは、アメリカ議会でも同じようにビデオ出演で、アメリカ議会に訴えた時、説得材料の言葉をして、
「真珠湾を忘れるな」
と言ったのだ。
これは、日本に対しての侮辱ではないか? 歴史認識のなさにもほどがあるというものだ。
それでも、日本政府はここまで言われておいて、スタンディングおべージョンとは、どこまで舐められても、ヘラヘラ笑っているというのか、それこそ、日本のコッカイギインというものだ。
さらに、日本政府が決めたこととして、攻め込まれている国の主要都市の呼び方を、世間一般には、攻め込んでいる国の発音で言っていたものを、わざわざどうでもいいことなのに、攻め込まれている国の表記に変えたのだった。
そんな状態において、政府はなんと、攻め込んでいる国の外交官を国外追放にしたのだ。それこそ、最後通牒を行ったのと同じで、これは、宣戦布告とみなされても仕方がない。そんなことも分からないというのだろうか?
国民も、バカではない。さすがに最初は、非人道的なことをする国家が一方的に悪いとしていたが。途中から、
「情報が錯そう」
して、何がどうなっているのか分からなくなってきていることに気が付いた。
マスゴミが煽っていることに気づいてきたのだ。
というのも、先の伝染病対策の時、マスゴミがどれだけ世間を困難に陥れたのかを、国民が忘れていないということだ。
一つのことを右に倣えで、すべてが正しいことのように宣伝したが、次の瞬間には手のひらを返して違うことをいう。
そして、前に報道したことが間違っていたにも関わらず、それを謝罪しようともしない。
それが、世間をどれほど混乱に陥れ、一定の産業の人たちを追い詰め苦しめたのか、本当に分かっているのだろうか?
実際に、その産業にとどめを刺しかけたのは、国民であるが、煽ったのは、明らかにマスゴミだった。
忘れもしない、
「緊急事態宣言」
なるものが発令され、全国で店に休業要請が出ている中、やむを得ず営業していたパチンコ店を、見せしめに攻撃し、
「自粛警察」
なるものを生み出して、世間の目がすべて批判的な目で見ていたことである。
戦争状態になったこの世界情勢で、マスゴミは、明らかに攻め込んだ側だけが悪いという単純な構図で片付けようとする。それは、本当にマスゴミだけの意思なのか? と疑ってしまいそうな気がする。
「まさか、裏で政府が情報統制しているのではないか?」
と思えるのだ。
何しろ、地名の呼び方を変えるくらいだからである。
これも、
「大日本帝国の悪い部分を踏襲しているようではないか?」
と言えるのではないか?
つまりは、
「敵性語」
を話してはいけないという、大東亜戦争の頃、国家を戦争に駆り立てるという意味での、実にくだらない政策の一つだったわけだが、今の時代にもなって同じことをするとは、何とも信じられない。
しかも、自分たちが戦争に巻き込まれているわけでもなく、下手に挑発すると、そのせいで我が国が攻め込まれないとも限らないというのを、政府もマスゴミも分かっているというのだろうか。
さらに、政府が支援支援と言っているのは、自分の支持率が下がっていることで、人道政策ということで、支援を続ければ、支持率が上がるだろうという、まるで小学生のような発想に。誰も気づかないのだろうか?
一部の国民は気づいている。そして、きっとそのうちに、経済制裁の煽りのため、今でも物価の上昇が止まらないのに、さらに物価が上昇し、そして、スーパーの陳列棚に、食料や生活必需品が消え去ることで、やっと、自分たちが何を信じて、何をしているのか、その果てにあるものに気づくことだろう。
気づいても、すでに遅しとなるかも知れない。暴動が起きて、政府の威信は地に落ちるだろう。
完全に、亡国となってしまうのが、オチである。
そんな状態の国やマスゴミに対して、言いたいことを大学生という立場で言ってきた。かなり過激なことを言ってきたのだが、世間は、
「大学生のたわごと」
として見ているだけなのかも知れない。
だが、そんな世の中ではあるが、次第に、梶原が言っていた方向に話が進んでいるのも間違いではなかった。
人によっては、
「予言者:梶原」
と言って、崇めるような人も現れた。
「いやいや、そんな。皆だって、冷静に全体を見れば、その行く末くらい、容易に想像がつくよ」
というのだった。
「そうか? 難しいだろう?」
と言われて、
「いやいや、基本は一方だけからの情報は信用するなということさ。情報操作されている可能性があるからな。特に政府やマスゴミの発表は気を付けないとな」
と梶原は言ったが、
「確かに、マスコミというのは、それぞれの会社によって、まったく同じ事実でも、見解が逆だったりするからね」
と言われると、
「うん、出版社、新聞社、放送局によって、支持体制が違っているからな。右寄りだとか、革新派だとかいうようなね。そこも把握しておかないと、情報操作に巻き込まれることになる」
と、梶原がいう。
梶原は独自の見方を持っていて、考え方も、極端ではあるが、それだけに、得る情報は多方面から収集している。そして、情報が偏らないように分析するように心がけているので、独自ではあるが、見方は冷静だと言ってもいい。ただ、過激な発言が目立ってしまうだけだったのだ。
そんな梶原だったので、宗教に対しての偏見は次第に減っていった。
「政府やマスゴミよりもマシではないか?」
と思うようになり、
「宗教だって、本当に一部の過激な団体だけがクローズアップされ、あたかもすべての宗教がいかがわしいと思わせるのも、これも、マスゴミの影響ではないだろうか?」
と思えてきた。
一つの情報を、10にも20にも拡大してしまい、さらに、今のネット社会で、国民自体が拡散できる時代になったことで、世間も、マスゴミ化してしまっているという、
「負のスパイラル」
が行われているのではないだろうか?
それを思うと、梶原は末恐ろしくなってきた。
何かの大きな力がどこかで働いていて、それが、亡国へと導くことになるのではないかという独自の考えである。
「どうせ、こんなことを考えている人は、俺だけなんだろうな?」
と感じていたが、本当にそうなのだろうか?
大学の中にも、宗教関係のサークルがあった。
「歎異抄」
であったり、
「聖教徒会」
などと言われるサークルが存在し、実際には、知られていない宗教サークルも5,6個-ではくだらないという話を聞いた。
もちろん、大学のサークルであるので、それほどたいそうなものではなく、サークル仲間で、伝書の研究が行われたり、宗教研究が行われるようなもので、決して、実際の宗教団体と関りのあるものはなかったであろう。
だが、それはあくまでも、表向きであり、実際には、新興宗教のようなサークルもあって、そこは、若干ヤバめのところだったのだ。
そのサークルでは、まだ、完全な宗教団体として、登録されているわけではない。代表者はいるのだが、宗教団体として認められるだけの体裁が整っていなかったのだ。
しかも、教祖のような人物がおらず、探しているところであった。
もちろん、それは水面下で進められていて、サークル活動は、信者とともに、教祖のなりそうな人物を探すという目的もあった。
ここの宗教団体は、基本的に、
「若い力を中心にした団体」
を目指していた。
現在の信者、スタッフを合わせても、100人ほどしかいない。まだまだ小規模な信仰宗教にすぎないが、誰が教祖になるかによって変わるというのが、幹部の考え方だった。
「なぜ幹部が自ら教祖にならないのか?」
というと、
「教祖になってしまうと、汚い部分をこなすわけにはいかず、今のスタッフは汚い部分には長けているが、表に出て、信者を引っ張っていくだけの求心力がないのだ」
ということのようだ。
そもそも、この集団も、元々は、裏の世界の、さらにその汚い部分担当だった連中が、最初は集団の隠れ蓑としての外部団体を持っていたが、肝心の中央組織が分裂してしまったことで、自分たちが変えるところがなくなり、逆に狙われることになった。
幸い、やつらにも、この影の存在を知られてはいなかったので、すぐに攻撃されることはなかったが、
「今のままではまずい」
ということで、
「大学の宗教団体」
ということにして、何とか存命を考えていた。
クーデターを起こした一団から、とりあえず逃れることが先決だった。
やつらは、完全な過激派で、倫理などよりも、感情で動く連中なので、組織内でも、恐れられていたといってもいいだろう。
幸いにも表にいたので、潰されることはなかったが、クーデターを起こした方も、
「残党狩り」
だけは、しっかりやっておかないといけないと思ったのだろう。
大学内ではあくまでも仮の姿。ただ、ほとぼりが冷めてからのことまで考える余裕はなかった。
「一体どうすればいいのか?」
まったく考えが及ばない。
そんな宗教団体にすればいいのかも、見当がつかなかった。
「どこかの有名な宗教の、広がった流派の一つということにしようか?」
とも考えたが、そもそものその宗教の趣旨が分かっていないので、下手なことをすれば、元々の宗教を敵に回すことになる。
今は、ネットが普及しているので、
「エセキリスト教」
や、
「エセ仏教」
などと言われて、注目されれば、せっかく目立たないようにしているのに、自分から注目を集めようとしているようなものである。
かといって、完全な新興宗教だとすれば、まったく経典もないのに、どうすればいいのか?
まったくの架空であれば、
「経典の存在しない宗教ということにもできるのだが、それは、目立つことにならないだろうか?」
自分たちは、宗教団体でなければいけないというわけではなく、組織からいかに逃れるかということを考えていたので、いかにごまかすかだけを考えればいいだけなのだった。
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