第2話 君に触れたら④

 拡張時間が使えるようになるのは、高校生1年生になってからだ。

 私がシンクライをきちんとした意味で使い出してからまだ1年とちょっとで、そしてマクハリから外に出るのは高校生になって初めてだった。


「……やっと出られた」


 厳重すぎだ。

 マクハリから別の街に出るには、ゲートを3つ通らないといけなかった。危険物、マクハリの研究内容、機密を外に持ち込めないように徹底的にチェックされる。といっても人がチェックするのではなく、シンクライが絡んでいるであろう機械が確認するので不快感はなかった。

 もちろんシンクも持って行けず、腕に付けたウェアラブル端末は管理ボックスに預けることになった。体に埋め込まれたチップは外せないので、電源をオフにしたらしい。

 シンクライからの、解放。

 ……なんだか心もとなかった。


「お待たせ」


 壁に体重を預け、本を読んでいるシイナに話しかける。紙の本を読んでいるなんて現代において珍しいなと思った。シイナは先に管理ゲートのチェックが終わっていたみたいだ。

 個別対応なので、シイナとはチェックされるゲートが別だったのだ。


「けっこう時間かかったね、サササ」

「こんなにチェックが厳重なんて知らなかったよ。前に出たときは小学生だったかな」

「その時はシンクライがまともに機能していない年齢だからね。チェックも甘いんだよ。激アマ」

「そうだったんだね、当時はわからなかったけど。シンクライが外されて、なんだか体重が軽くなった気がする」


 実際に外されたパーツの重さは大したものではない。けど、シンクライに支えられている生活なので、身体より精神面で身軽な感じがしたんだ。


 最終ゲートから駅まではすぐの距離だった。そのまま電車に乗り、目的地へ向かう。

 

 休日だからか、車内はそれなりに混んでいた。マクハリなら人が制限されているのでこんなに混むことはない。私たちは席に座れず、つり革を持ちながら話をしていた。


「シイナって休日何をしているの?」

「サササは?」


 聞いたのに逆に聞き返された。

 もう『サササ』呼びも否定する気はなかった。カズサよりも親しく思える。彼女だけが私を呼ぶ名前。

 

「……勉強」

「真面目っ!」

「最近、読んだバイオインフォマティクスの文献が面白くてね」

「大学生かよ」

「先取りするのはよいことでしょ」

「生命情報科学の分野?」


 「真面目っ!」と突っ込んできたが、シイナも話を返してきた。ただのお調子者ではなく、シイナは賢い。


「遺伝子情報の分析を今はシンクが肩代わりして、病気のリスクを計算し、提案、改善してくれるけど、もっとできないかと思ってね」

「もっと、って例えばDNAやRNAを分析して、より良いシンクライの活用方法を提案してくれるとか?」

「そうそう、そしたら自分の得意分野が提示されて、非効率なことが減ると思うんだ」


 自分が何に向いているかを事前に示してくれる。そうすれば、何をしたらいいか悩む人は減る。私のように何かを探す旅をしなくてよくなると、私は思っている。


「一理あるけど、つまらないよ、それ。自由じゃなくて、楽しくない」

「そうだけど、でも自分の得意分野がわからなくて困っている人もいると思うんだ。そういう人のために役立つと思う」

「サササがそうなの?」

「……そうだけどさ。せめて自分の素質が何に向いているかは知ってもいいと思うだ。そのうえで選択して、決めればいい」


 彼女は首を横にひねった。いまいち納得できないらしいが、こうやって話を聞いてくれて意見してくれるのはありがたかった。シンクとのキャッチボールじゃ都合の良いことしか返ってこない。


「シイナは何か興味ある学問ないの?」

「超知覚や因果情報分析、IoAは学んでいるけど……って、さっきからデートでする話じゃないよ! 何で学問の話をデートでしなきゃいけないの!」

「……えーっと、普通のデートは何について話すの?」


 目の前で大きくため息をつかれた。


「研究者気質のサササにはまず世間を知ってもらわないとね……」


 申し訳ない気持ちになった。


「ねーねー、私のどこが好き?」

「はい!?」

「今日の髪型決まっていると思うんだ。あー、あの先輩うざい。このスイーツめっちゃおいしそうでしょ、めっちゃ盛れた写真撮れた、あの音楽いいよね、今ドライブ一緒に行こう、とか」

「えっ、えっ、えっ?? シンクライのない人たちってそんな実のない会話をしているの?」

「おい、それは怒られる。シンクライ関係なしに怒られるぞ! 言葉に注意しなさい!」


 いちいち議論することはない。思ったこと、感じたことを共有する。それが一般的なことらしい。


「拡張時間のありなしに関わらず、世の中の人たちは目の前のことに必死だよ。これからの世界のことなんて、ほとんど考えていない。だから、しあわっ」

「びええええーん」


 お母さんに抱えられた子が急に泣き出して、私たちの会話も止まった。1,2歳ぐらいだろうか。お母さんが体を揺するが、泣き止まない。どうやらあやすためのお気に入りのおもちゃを忘れたらしい。

 お母さんが困っているも、私には何もできない。

 そう思った矢先、シイナが動いた。


「べろべろべー、べろべろ~」

「………ふぇ」


 屈んで、赤ちゃんの前で変な顔をした。


「べろべろば~」

「ぁきゃ、ひゃひゃひゃ」


 そして赤ちゃんはシイナに注目し、笑いだした。どうやらお気に召したらしい。赤ちゃんは泣き止み、笑い出した。


「っぷ」

「おい、サササが笑うなよ」


 なんだか、平然とそういうことをするシイナが凄くて笑ってしまったら、睨まれた。

 シイナは表情が豊かで、見ていて飽きない。


 × × ×


「本当に、ありがとうございました。みーちゃんもほらっ」

「じゃあね~」


 目的の駅で降りようとしたところ、先ほどの母親にお礼を言われた。

 赤ちゃんもお母さんの手に掴まれ、小さくバイバイしてくれた。


「手馴れているね」

「それほどでも」 


 電車に乗り、着いたのは『カサイリンカイ・エリア』。

 水族館や複合施設がある、商業エリアだ。


 向かった先は、


「水族館か」


 来たのは初めてだったが、すぐに夢中になってしまった。


「シイナ、見てみて。すごいよ、この魚! わー、すごい! やばいって!」

「……予想外に前のめりだ」


 シンクライでは色々な動物、魚を見てきた。先日もバリ島でダイビングしたが鮮明に残っている。


「アイスフィッシュは南極海で暮らす魚でさ、血液が透明なんだよ。ヘモグロビンがなく、別の液体で酸素を運んでいるんだ。南極の厳しい環境で、ほかの魚とは違う進化を遂げた魚なんだよ」

「へ、へー……」

「みて、こっちはメガネモチノウオだ。目の後ろに昔のメガネのような模様があるから、この名で呼ばれているんだ。別名はナポレオンフィッシュって呼ばれていて、ほら、額のコブ状が帽子のように見えるでしょ? ダイバーはナポレオンって呼ぶね。好奇心旺盛で、距離感が近い魚なんだ」


 すべてシンクで旅して得た知識だ。ダイビングでみたことがある魚もいて、テンションがあがってしまう。


「ちょ、ちょっと待ってサササ」

「え、情報足りない? 早口過ぎた? もう1回ゆっくりと話すね。メガネモチノウオは目の後ろに」

「もう満腹。そんなに言われても、こっちがついていけない!」


 デートで相手を置いてけぼりになるぐらいに知識をひけらかしてはいけない、と薄暗い場所でもわかるぐらいに真剣な顔で諭された。


「ごめんごめん、早口すぎた。ゆっくりと説明するね」

「そういうことじゃない! 私、私のことを考えて!」

「もう、シイナはめんどくさいな」

「こっちのセリフだよ! サササはめんどい!!」


 めんどいと言われて、ムスッとした表情になってしまう。


「知識より、もっと自然に感動しなよ! きゃー綺麗、きゃー可愛い」

「知識は大事だよ。知識があるから面白いんだ」


 「めんどくせー」って顔をされた。


「まぁ、いいよ。サササが予想以上に楽しんでくれているのが見れて、これはこれでレアだよ」

「あっちで餌やりが始まるよ!」

「人の話を聞いてない! デートってこと忘れないでよね」


 急に、手を掴まれた。


「へ?」


 が、低いところからの接触だった。

 掴まれた方向を見ると、


「ママ……」


 知らない子がいた。


「カズサさん、いつの間にママに……」

「なっとらんわ!」


 幼稚園生の女の子だろうか。キャラもののバッグが肩にかけられていて、イルカの絵が描かれたシャツを着ていた。


「え、どうしよう。迷子かな、えーっとそのお母さんは」

「……わからない」


 首を横に振られた。

 薄暗い水族館なので、魚に夢中になっている間に親と離れてしまったのだろう。

 今にも泣きそうな顔をしている。が、どうしたらいいかわからない。

 シンク、と呼ぼうとしたが、端末が繋がっていないので助けを借りることはできない。とりあえず、水族館のスタッフを呼ぼうと考えたら、シイナが子供に話しかけた。


「よーし、お姉さんとこっちのお姉さんとで、ママを探す冒険に出ようか」

「……ぼう、けん?」

「うん、冒険! 迷子のママを探そう~」

「……うん」


 シイナが子供の手を掴み、歩き出そうとする。


「ほら、こっちのお姉ちゃんとも手を繋げるかな?」

「うん!」

「え、私?」

「サササ、手を出しなよ」


 恐る恐る手を出すと、子供に掴まれた。

 シイナと私の間に子供が挟まれる形になり、母親を探す冒険が始まったのだ。


「ママはどこかな~。ペンギンと遊んでいるのかな」

「さっき、ペンギンみた」

「ペンギン可愛いよね」

「かわいい。ぬいぐるみもおうちにある」

「そうなんだ、羨ましいな! ね、カズサ」

「う、うん。羨ましいな~、ペンギンさんと一緒に寝たいな~」

「……実は、カズサの部屋にはぬいぐるみがいっぱいだったりして」

「そうなの?」

「ない、一個もない!」

「それもそれでつまらないな」

「つまらない女で悪かったな」


 親子みたい、ではない。

 が、こうやって話すのは悪い気がしなかった。


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