第1話 不完全な距離⑥

 フリスビーは落ちたままでシイナは動こうとしない。こちらが拾いに行くしかなかった。渋々歩いて、フリスビーを手にする。


「ほら投げて、投げてー。こっち~」


 両手を振ってアピールしてくる。

 気づいたら彼女のペースにハマっている。癪だが、このまま無駄な時間を過ごすわけにはいかない。右手を振り、フリスビーを投げると彼女の胸元のところ真っすぐ向かって飛んでいった。一歩も動くことなく、彼女はキャッチできた。


「おーナイスコントロール! サササ投げるのうまいじゃん。今まで、何かスポーツやってた?」

「……いや、これといって特にやってないけど」

「そうなんだ。ふむふむ。で、怪我は大丈夫みたいだね」

「拡張時間では、現実の怪我まで反映されないでしょ」

「じゃあ足が動かなくなっても、こっちでは走り回れるんだ」

「……怖いこと言わないでよ」


 シンクライでは、失ったものも取り戻せる。

 怪我したスポーツ選手もシンクライの拡張時間では練習でき、予行練習することだってできるのだ。筋肉、身体への成長にはつながらないが、精神面では大きなアドバンテージになるだろう。シンクライで成功体験を描き、現実に還元させる。

 逆も然り。現実でいくら失敗しても、シンクライでいくらでも成功体験ができてしまう。

 だが、それは現実ではない。

 心の満足――という無意味な浪費にしかならない時もある。現実逃避にもなってしまう。

 

 それにシンクライでさえ、取り戻せないものがある。 

 人の命は、戻ってこない。

 死んだ人間のシンクは即座に破棄される。覆ることのない原則だ。デジタルクローンである『シンク』が残り続けたら、シンクライは死を超越した楽園となってしまうだろう。シンクライに閉じこもり、現実を生きようとしなくなる。それはある意味では、幸せなのかもしれない。

 命は少々言い過ぎた。手や足を失ったらシンクライでは本物のように動くことができるが、現実では義手や義足だ。それでも完全に失うことはない。補うパーツはここ10年でかなり発達した。けど、それは本物ではない。


「……おっと」


 そんなことを考えていると、シイナがフリスビーを投げ返してきた。

 が、明後日の方向に飛んでいく。

 ……なんか、このまま落っこちたら癪だ。そう思う前に足が動いていた。心はどこに宿っているのだろうかと考えながら、気づけば手を伸ばしている。

 地面に落ちようとしたところを、掴んだ。

 手にした感触に満足感を得て、彼女を見ると嫌そうな顔をしていた。一言文句を言う。


「へたくそ」

「うるさい。とれているから、いいじゃん」


 文句を言い合いながらも、このあと30分はフリスビーを続けていたと思う。 

 シイナから提案してきたが、彼女の運動神経はそれほど良くなかった。なんというか身体能力は高いが、いまいちコントロールできていない。走る速度は速いのに通り過ぎたり、掴もうとしたらタイミングが合わなかったりと完璧でない。

 次にやったバドミントンではそれがよくわかった。


「それっ」


 シャトルを宙にあげ、ラケットを振る。

 速度を得たシャトルは空にあがり、やがてゆっくりと落ちていく。

 シイナが笑う。余裕だという表情だ。

 ラケットが振り下ろされ、そして、


 スカった。 

 シャトルが地面に落ちる。


「…………」

「……」


 シャトルをただただ見つめている彼女。

 10秒ぐらい経ち、やっと顔を上げた。


「シイナのCは茶目っ気のC」

「……ぷ」


 言うことそれかよ。


「笑った。カズサが笑った」

「Cは何でもありじゃん! もう英語関係ないし。ハハハ」


 バカみたいだ。

 でも、そんな彼女の、シイナの性格が憎めなくて、水をかけられたことなんかもうとっくに許してしまっている私がいたのであった。

 

 

 × × ×


 わざわざ芝にビニールシートを敷き、律儀だなと思う。思いつきの感情で行動しているような性格に見えて、計画的で用意周到だ。

 シンクライの中、拡張時間だとしても自分なら細かいことまで考えつかず、用意ができないだろう。

 思えば、ピクニックをした記憶がないのだ。それはシンクライの拡張時間でも同じだ。旅行はしていたが、ピクニックをしようという概念はなかった。

 だって、それは一人ではなく二人、家族で楽しむものだから。

 父はいつも研究ばかりだった。そんな父に母親は文句を言ってばかりであったが、だからといって私と一緒に外出することはなかった。最低限のことはしてくれたが、母と遊んだ、出かけた記憶はほとんどない。


「こんな豪勢なお弁当をシイナがつくったの?」


 用意がいいのは道具だけでない。彼女がバスケットを開くと、中からサンドイッチが出てきた。やけに大きな荷物を持っているなと思っていたら、遊び道具だけじゃなく、お弁当を持ってきていたのだ。


「驚いた?」

「うん、驚いたよ」


 素直に答える。

 母親の手料理を食べた記憶もない。いつもシンクライが用意されたものを食べている。

 父親の食べる簡易食材と結局は変わらないのだ。人がつくった温もりはない。

 所詮同じだった。


「……おいしい。すごい美味しいよ」


 でしょと胸を張り、嬉しそうだ。

 本当に美味しかった。


「といってもシンクライの中だから、私がきちんと作ったかは証明できないけど」

「確かに。シンクライは何でもありにしちゃうからね」

「箱を開けても、それが現実ではないからね」


 シュレーディンガーの猫みたいな話だが、シンクライの中では違う。箱を開けても真相はわからない。箱の中身がわかっても、それが現実とは限らないからだ。


「じゃあ。もしかしてシイナは本当は料理できないの?」

「カズサだってできないでしょ」

「……できないけど。悪かったね」


 勝手に決めつけないでほしいが、その通りだった。いつもシンクライのフードデリバリーに頼りっぱなしだ。いや、マクハリにおいてきちんと料理をする人間は存在するのだろうか。現代において料理は家事ではなく、趣味の領域だ。

 

「食べたーお腹いっぱいだ~」


 食べた後はビニールシートにそのまま寝っ転がる。当分動きたくない。「じゃあ私も」といいシイナも横に寝ころび、話しかけてきた。


「食べすぎじゃない?」

「だって美味しかったから。箸が止まらなくて」

「サササが素直だと怖い」

「なんでよ!? いいじゃん、たまには素直でも」


 私は捻くれてな、くはない……素直ではないよね。素直な子ではないのは自分がよくわかっている。小さい頃からそうだった。素直に生きてきて、いない。


「全部食べてくれてありがとうね」

「こちらこそ、ありがとう」


 雲がゆったりと流れる。隣をちらっと見るとシイナと目が合い、恥ずかしくなって空に視線を逸らした。

 こんなに誰かとゆったりとを感じたのは久々だ。


「ゆっくりだね」

「うん、ゆっくりで癒される」

「急ぎすぎなんだよ、カズサは」

 

 また心を読んだようなことを言ってくる。


「そんなこと、ないよ」

「そんなことあるよ。たかが17歳だよ」

「違う、シンクライが使えるようになって2年目の大事な年なんだ」

「いくら時間が増えても17歳は17歳だよ」

「そんなことない。マクハリでは違う」

「これからも人生は続く、もっと長く、もっと先まで。だからもっと考えて、もっと悩んで、それから自分の答えを探せばいいんだよ」

「それじゃ時間がもったいないじゃん」


 時間がもったいない。考えている時間が、悩んでいる時間が無駄だ。


「もったいないってさ、カズサは何かになりたいの? 偉くなりたいの?」


 何気ない問いかけが心に刺さる。


「えらく、なりたい?」


 ――偉くなりたいの?

 偉くなりたい? 私は偉くなりたいのか? 偉いってなんだ。地位、名誉、称賛。

 私は父とは違う。逆井博士とは違う。

 そうだとわかっているのに、なのに、私は心のどこかで思っているんだ。

 認められたい。そのために私は偉くなりたい、と。

 認められたいって何だろう。

 父親に認められたい? いなくなった母親にまた会いたい?

 周りから認められたい? 偉くないと私は認められないと思っている?

 私は私を認められていない?


「自分らしくなんて考えず、好きなように時間を使えばいいんだよ」

「そんなこと……」


 言い返せなかった。

 ……そうかもしれない、とは口に出せなかった。


 空はいつの間にかオレンジ色に変わっていた。

 


 × × ×


 好きなように、といったが、何も彼女の自由を許したわけではない。


「火の方を向けて、おっかけてくるなってえええええ」

「ははは~楽しいねサササ」

「サササじゃないし、楽しくないし!」


 この拡張時間でのデートもそろそろ終わりを迎えようとする中、夜の浜辺で私たちは花火をしていた。

 花火をすることはいいが、両手に火のついたものを持って追っかけてくるのは違う!

 こんなにゆったりとした時間は久々だ、と思った昼過ぎの自分を殴りたい。こんな感情が激しく上下動する日は初めてだ。

 

「待ってよ、サササ~」

「待たないし、追っかけてくるなし! あっつ、バカなの!?」

「よし、次はこっちのロケット花火に……」

「本気でバカなの!?」


 笑顔で追ってくる姿が当分トラウマになりそうだった。



「地獄がやっと終わった……」


 手に持つ花火がなくなり、やっとシイナとの追いかけっこが終わった。

 花火を持っての追いかけっこは、何もかも間違っている。良い子は絶対に真似してはいけない。


「まだあるよ?」


 え、まだあるの? とシイナを恐ろしい目で見たが、手に持っていたのは細い紐のようなものだった。やったことはないが、知識はあった。

 ――線香花火だ。


「どっちが長く続くか勝負だー」

「いいよ、勝負しなくて」

「えー、乗り気じゃない!」

「ほら、早く火つけて」

「あれ、乗り気?」

「勝負じゃなくて、純粋に楽しみたいの」


 シイナが火を線香花火の先端につける。

 最初はチリチリと火花が飛ぶだけだったが、徐々にその鼓動は大きくなり、小さな空の下で花を咲かせた。


「……」


 オレンジ色に照らされる彼女の顔を見て、口元が少し緩んでしまう。

 線香花火を三本持ち、同時に火をつけているので、火の花は私より大きい。欲張りな奴だ。


「どした?」

「……どうもしてない」


 じっと見ていたのがバレた。「そう」と言って、微笑み返す彼女の顔が眩しくて、つい顔を背けてしまう。

 そして、オレンジの灯が地面に落ちた。


「あーあ、落ちちゃった」

「欲張りすぎなんだよ、シイナは」

「シイナのCは、チャレンジのCだからね」

「またそういう」


 調子がいい。Cのレパートリーはどれだけあるのだろうか。

 線香花火も終わり、間もなく今日の楽しき日々は終わりだ。

 そう、楽しかったのだ。


「……ありがと」


 彼女と過ごした時間は私にとって、かけがえのない時間になった。


「ん?」

「シイナ、今日は楽しかったよ。別に観光地じゃなくても、すごい体験じゃなくてもすっごく楽しかったし、充実していた」

「私がいたから?」

「……そうだよ。シイナがいたからマクハリの知っている公園でも楽しめた」


 そうだ、隣にシイナがいたから私の時間が充実していた。

 彼女がいたから、楽しかったのだ。


「ふふ、もっと感謝したまえ」

「ありがとう、シイナのおかげだよ」

「……カズサが素直だと気持ち悪いな」

「悪かったね、ひねくれた子で」

「ふふふ」

「ははは」


 彼女がついてきてといい、浜辺を歩く。

 よくしゃべるシイナが黙ると、波の音しか聞こえなかった。

 そして、上からは星が輝きを主張していた。


「シイナ」


 私の呼ぶ声に、彼女が足を止めた。

 向かい合う形になり、彼女は私に問うた。


「どうしたのカズサ?」

「励ましてくれて、ありがとう」


 さっきから感謝しすぎだよ、と笑われた。

 それでも何度だって言うんだ。自分の時間、について考えられた。彼女といられて、自分のことを知れた。


「ちょっと、分かった気がしたよ」

「それはよかった」


 空はもう真っ暗で、拡張時間が終わるのが寂しい。

 あぁ、そうなんだ。私はちょろい。もっとこの時間が続けばいいのにと思ってしまう。


「本当に楽しかったんだ。もっと時間が拡張してほしいと思うほどに」

「欲張り。でも時間が3倍、4倍には普通はならない」

「なんでシンクライでは時間が2倍しか味わえないんだろうね」

「人間はそんな風にできていないからだよ。拡張しすぎた時間についていけない。うまく処理できないんだ」

「でも脳はどんなに詰め込んでも、パンクはしないでしょ?」


 情報の過負荷は処理能力に影響するかもしれないが、脳には記憶の再編成を行う機能がある。情報を整理し、必要な情報を強固にするために記憶を調整するのだ。新しいスペースは常につくられ、一方で古い情報はアップデートされ、時には削除されることもある。

 同様にシンクに情報を整理してもらって、必要な部分だけ同期すればいいのだ。圧縮して同期する。

 だが、彼女は別のことを言った。


「パンクするのは脳じゃなくて心だよ」


 心、心か。

 拡張時間で与えられた感情が心を圧迫する。そうか、だからより作用の大きい、人との時間の共有は週1回に留められ、同期をキャンセルすることができるようにした、のかもしれない。


「溢れる感情に個人がついていけない。人類はまだそこまで進化されていない。適応できていないんだ」

「でも、これから変わるかもしれない」


 心だって変わっていける。だって、現に今日変わったんだ。

 多くの情報が、交流が心を変化させる。パンクなんてするものか。

 もっと私は望む。パンクしたって、もっと時間が欲しい。


「変わっていける。人が変われば時間も何倍でも受け入れられていく」

「そうかもね、私とカズサの関係のようにね」


 出会いは最悪だった。

 わけもわからず、水をかけられ、私は文句の一つも言えなかった。

 けど、変わったのだ。現実で再会し、拡張時間の中で共有して、私たちは確かに変わった。

 シイナもそう思ってくれたことが、嬉しい。


「え」


 嬉しいだけにとどまらなかった。

 シイナが近づいてくる。

 シャリ、シャリと歩くたびに砂の音がし、心が波立つ。


 戸惑う表情で彼女を見ると、ほほ笑んだ。

 え、え?

 触れそうな距離。

 顔が近づいてくる。

 え?

 状況がつかめない。目を大きく開け、やがてぼやけるほどに彼女が近づき、

 吐息が届くほどになり、


「っつ」


 唇が触れ、る瞬間に、

 



 ピポン 



 間抜けな音がして、現実にそぐわないポップアップが出てきた。

 禁止マーク。

 シンクライのルールの1つ、拡張時間での接触の禁止のルールが執行された。


「ほらね、やっぱりシンクライは不完全だ」


 そういって、シイナはログアウトした。

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