第1話 不完全な距離⑤
動く歩道に乗りながら、商業エリアに向かっていく。
ずっとベンチで話すのもどうかと思ったので、移動しながら話すことになったのだ。腕の痛みも忘れるほどに、いまだ彼女の言葉が信じられなかった。
「拡張時間をほとんど使ってないって本当?」
「本当だって。マクハリにいる人間が全員拡張時間を同期しているなんて思わない方がいいよ」
と彼女は笑ったが、シンクライを使わないなんて信じられなかった。
デジタルクローンである『シンク』から私たちへの同期ができるようになって、時間は少なく見積もっても2倍になった。何処へだっていけるし、何だってできる。それが時間もかけずに、手軽に気軽に得られてしまう。
こんなに素晴らしい技術を使わないなんて、ありえなかった。
もったいなすぎる。
「時間は2倍どころじゃない。シンクライは私たちに無限の可能性を与えてくれるっていうのに!」
「なんでもはできないよ」
これまた即答だった。
わかっている。シンクライだって万能でない。人間の寿命が変わるわけではないし、怪我や病気はいまだに存在する。
だが普通の人間より、体感時間は増えているのだ。時間を有効活用しているどころの話ではない。人としての枠を超えた革新的技術なんだ。
もしかしたら、彼女はシンクライを快く思っていないのかもしれない。マクハリにいながら、学生をしながら、便利なものが目の前にありながら、毛嫌いしている。
マクハリの外には、シンクライを嫌う人はいる。「現実を疎かにする技術だ」「人間らしさを失ってしまう」「新たな不平等の誕生だ」「金で優劣がつけられてしまう」「マクハリの人間は同じ尺度で測ってはならない」など、日本国内だけなく、海外からの批判も多い。
不平等ではあると思う。いずれ世界にも普及していくだろう。時間格差を埋めるため、マクハリと提携する国も現れ始めた。この不平等も終わりが来るかもしれない。それならば、この場にいることを幸せに思い、平等でないことを受け入れ、活用していくべきだ。
「シイナさんは、」
「シイナ。同級生なんでしょ? さん付けなんて余所余所しい」
「シ、シイナ……」
同級生だからって、名前呼びなんてほとんどしない。慣れない呼び方をすると、彼女は満足そうな顔をした。
「よろしい、サササ」
「だから、そのあだ名で呼ぶな!」
水平型のエスカレーターが止まることなく進む。
「時間が拡張しても所詮2倍だよ。できることは増えても一人の一生がそんなに変わるわけじゃない。それに現実は変わらない」
そんなことは、ない。
シンクライで勉強したことは現実の世界にも反映される。高校の勉強をすぐに終わらせ、大学の卒業だって高校生のうちに可能だ。
筋力や運動能力を向上させることはできないが、スポーツでも場数を踏むことができる。陸上大会をシンクライで予習してから、現実の本番に臨むこともできる。予習のありなしでは本番の緊張感が変わり、シンクライを活用した人間が国際大会で表彰台を占める。
10代のうちに知識だって、スポーツだって、格段に向上させ、増やすことができる。
そう必死に説明する私を彼女は一蹴する。
「そんなに急いでどうするの?」
急いで、どうする。
「どうするって……、やりたいことを、自由にする時間が増えて、人として成長できて……」
「ふーん、やりたいことがあるの、カズサには?」
「それは……」
俯く。
やりたい、こと。
いくらシンクライの有能さを述べても駄目だ。使う私に意味がない。意味を持てない。
――私はやりたいことを見つけられていない。
シンクライを有効活用できるのは、やりたいことが決まっている人間、目標のある人間、ゴールに向かって走っている人間だ。
漠然と生きている人間は、シンクライの無駄遣いしているだけだ。
「ごめんごめん、これからだよね。サササは自分探し中なんだよね」
「その言い方は……棘がある。私のこと知らないくせに」
チクリときて、愚痴っぽく言ってしまった。
彼女に言っても仕方がない。単なる八つ当たりだ。
だが、目の前のシイナは気に留めず、顎に指をあてて考え、そして私に提案してきたのだ。
「うーん、それもそっか。じゃあ教えてくれる?」
「……え?」
動く歩道が終わり、シイナがぴょんっと軽くジャンプして、床についた。
そして、私に向かって手を差し出した。
「カズサの大好きな拡張時間とやらで会おうか」
その微笑みに私は……。
× × ×
『大丈夫ですか、カズサ』
シイナと別れたあとは学校に行かず、そのまま家に帰った。
部屋に入ってベッドに横たわると、すかさずシンクライに話しかけられた。
「病院に行って、腕もだいぶ楽になった。ただバグは見つからなくて心配なんだけど」
『それではありません。カズサがやたらと浮かれていることです』
「へっ? ……浮かれてる?」
『体温が普段より高いです。心拍数が普段より早いです』
「心拍……数?」
『ええ、さらに鼓動が早まりました』
指摘されて、自覚する。
顔をベッドに押し付けて逃避するが、意味がなかった。
『考えられる要因はお昼過ぎに増えた連絡先の女性でしょうか。この後、拡張時間での約束もされていますね。お名前は御浜シイナさん』
シンクライにはバレバレだ。
「………………」
『残念ですが、まだ感情が正常に同期されていないので、私はその気持ちを知り』
「知らなくていい!」
『なるほど、そういうことですか』
「なにがなるほどなの!?」
『ズバリ、好きなんですか?』
「ち、ちがっ! 違うから! シンクライの中で友達と会うなんて久しぶりで、いや友達じゃないけど! なんというか、ワクワクしちゃったの!」
シンクライの中で会うには制限がある。
身体接触の禁止。手も握ることも、しないけど殴ることも、できない。
ただ同じ映画を見たり、話をしたりすることは可能だ。触れられないが、同じ時間は共有できる。
だが、シンクライはあくまで一人の時間だ。
ほとんどの人が、個人での利用にとどまっている。誰かと共有する時間ではない。一人でできることをシンクライで済ませ、誰かとすること、一緒にいることを現実で楽しむ。それが、一般的になっている。
それにルールもあるのだ。他の人と拡張時間を共有するのは、週一回という謎ルールがある。
友人や恋人との時間を拡張時間で浪費しないためだろうか。現実を疎かにしないために制限がかかっている。
拡張時間はリアルではあるが現実ではない。
時間共有で起きたことに、責任は持たない。
だが、同期しないという選択肢もあるにはある。
ただその場合は片方が同期をし、片方が同期をしないとなるとズレが生じ、混乱の元となってしまう。同期をしないのはよっぽどのことなのだ。
私には仕組みがイマイチわかっていない。私が拡張時間を共有した経験は一度だけ。高校生になって拡張時間を使えるようになり、ミヤとムツと試しに使ってみた時だけだった。
「シイナ」
口にしてみる。不思議な子だ。
土足で私の心に入ってくる。水をかけたのに全然悪びれてない。
このマクハリにはなかなかいない人間で、他の子とは違うなと思ったんだ。
何より、
「私を見てくれた」
逆井博士のことを気にせず、ただ私、サササというあだ名は気に入っていないけど、私を最初から見てくれたんだ。
それにシンクライを全然使ってないというのに、シンクライの機能である、拡張時間で会うことをわざわざ提案してきた。
私を知りたいといって、私に近づいてきた。
『ちょろいですね。とんだチョロインです』
「悪かったね……」
でも、何かが変わる気がしたんだ。
『で、どこにデートするんですか? 遊園地ですか、水族館ですか、大好きなダイビングですか。まだお泊りは早いですよ』
「デートじゃないし! お泊りはしないし! 知らないよ、場所はシイナにお任せ」
『良い思い出になるといいですね』
「それはあなた次第だよ」
『なるほど、責任重大ですね』
「ああ、頼んだよ、私。良い思い出を」
『ええ、良い思い出をともに』
こうして私の世界は、私に託された――。
→ → → → → 拡張時間 → → → → →
緑の多い、大きな公園。周りにはビルが立ち並ぶが、ここだけは別世界のような場違い感がある。
知っている場所だった。実際に訪れたこともある。
――マクハリ海浜前公園。
彼女が指定した公園の入り口で待つこと10分、
「サササ、お待たせ~」
白いワンピース姿の女の子がやってきた。映画から飛び出てきたようなテンプレな格好だ。
だが、いい。
白いワンピースいいじゃないか。清楚な感じと公園の緑がマッチしている。金髪に白ワンピはなかなかな破壊力がある。
一方、私の恰好はジーパンに、Tシャツ。おしゃれを知らなすぎだ。
「ねえ、拡張時間でなんで、わざわざ近所の公園なの?」
「うん?」
「いつでも来れる場所じゃん。歩いてこれる場所だよ。もっとヨーロッパとかさ、日本でも京都や大阪とかの観光地にさ」
「もうカズサはめんどくさいな! 私がいるならどこでもいいでしょ! まずは何かないの?」
「何か?」と思ったが、スカートの裾を持ち、軽く広げる彼女の様子を見て、言葉が浮かんだ。
けど、言うのは恥ずかしい。
「……まだ?」
「かわいい、恰好だね」
「うーん、10点。今日も可愛いねシイナ、今すぐ結婚して、でしょ?」
「言うか! 飛躍しすぎだ」
「飛躍しすぎ?」
「あぁ、もうシイナは可愛いよ! シイナ可愛い。ちょっとだけ見惚れました、すみません!」
まんざらでもない顔をして、小さく笑う。その仕草はギャップがあって、顔が熱を帯びた。
彼女はそんな私をお構いなしに、バッグからフリスビーを出してきた……うん?
「ほらとってこーい」
シイナがフリスビーをいきなり投げる。
私はそれを見つめ、おお、よく飛ぶ、50mぐらい先でフリスビーが地面に落ちた。
落ちたのだ。
落下した。
「……」
「……のりわるっ」
「え? フリスビーを追いかけ、キャッチする流れなの今の?」
「そういう動画は癒しで有名でしょ?」
「人間じゃない! それ、犬の動画だよ! 癒されペット動画百選じゃないよ!」
「似たようなものでしょ?」
「似てない! 私にはしっぽがないし、毛むくじゃらないし、愛くるしさがない!」
「愛くるしさはあるよ」
「え、ないない! 何言っているの!?」
「もうめんどくさいなサササは」
「カズサ」
「めんどくさいなカズサは」
こうして、私の拡張時間、私たちの時間共有デートが始まったのであった。
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