第1話 不完全な距離④

 悪夢、では片づけられず、真っ先に病院へ向かった。

 マクハリ・トータルホスピタル。

 学校を休み、父親には言わず、というか会えずに一人でやってきた。


「外傷はないんですが、動きに支障が出ていますね。ただシンクライによる怪我は今まで一度も事例がないんです」


 しかし、医師から返ってきた言葉は理解できないものだった。


「一度も、ってそんなことないですよね?」


 首を横に振った。

 医師、ではあるが万能ではない。特にこのマクハリという特殊環境においては、医師の理解を超えたことが多すぎる。

 シンクライの中身は医師の専門外なのだ。

 だが、それも問題はなかった。

 だって、デジタルクローンである『シンク』が、私以上に私の体調を知っているのだ。医師がいちいち診察しなくても不調を、異常を、変化を感知し、適切な対応を提示してくれる。シンクライが完全に普及されては、医師は職を奪われるだろう。

 しかし、例外を身をもって経験してしまった。


「あなたのシンクが記録した映像、写真には銃で撃たれて、ビルから飛び降りたことは記録されていないみたいですし……」


 医師からしたら私が言っていることは妄想で、嘘ばかりだ。頭がおかしくなったと思われても仕方ない。

 シンクが勝手に消去することは考えられない。

 考えられないのか? シンクと、同期された私に違う記憶が住み着き、ズレてしまっている。

  

「夢では片付けられない。一度、シンクライの開発の方に見てもらった方がいいかもしれないですね。紹介を書くので午後にでも行ってみてください。単なるバグでは済ましてはいけない問題です」


 理解はできない現象だが、親身になってくれる。その優しさがシンクも頼れない状態になっている私にはありがたい。


「でも、よかったですよ」


 30代後半ぐらいの女性の医師は困ったように、でも苦笑いで告げたのだ。


「あなたの言うことが本当なら、こうやって話すことはできませんでした。痛みが同期されていたら体は、心は、今頃死んでいたはずですから」


 顔が引き攣り、笑えなかった。


 

 × × ×


 病院入り口から出ていく。

 外傷はないと言われたが、痛みは消えず、気分は全くすっきりしていない。

 いまだに右肩がまともに動かない。足には影響がないはずなのに、腕の痛みの影響か、足がやたらと重たい。まともに進むのも大変で、なんとかベンチに座り、心を落ち着かせる。


 ――痛みがきちんと同期されていたら、死んでいたかもしれない。


 告げられた医師の言葉が、まだうまく呑み込めない。

 痛いと嘆くが、この痛みは中途半端なのだ。

 正しい痛みなら、こうやって病院に来ることもできなかった。

 銃で撃たれた痛み、世界から落ちていく恐怖を覚えており、思い出すと体が震える。今、こうやって重力を感じていることに嬉しさと、耐えられるレベルの痛みに安堵を覚える。


「何だったんだろう……」


 医師にも原因がわからないし、万能であるはずのシンクライもわかっていない。

 シンクライが正しいはずなら、本当に私の単なる夢ということになる。ベッドから落ちた記憶はないが、肩から落ちたのかもしれない。それとも……、考えるが無意味だ。自分でも説明できない。

 あれこれ考えるより、空を見上げた方がよっぽど有意義だ。


 流れる雲を目で追い、「はぁー」とため息をつく。

 と、顔が影に急に覆われ、そして目があった。


「……うわああああ!?」


 ベンチから離れ、慌てて振り返る。

 知っている顔だった。


「ひどいな、美少女の顔を見て悲鳴をあげるなんて」


 そこにいたのは忘れるはずがない、昨日私に水をかけてきた女だ。

 白にも近い金色の髪の女は、私の人生において彼女だけだ。……なんで腕を組んで堂々としているのだろう?


「あんたは」

「あんたじゃないよ、シイナ。御浜みはまシイナ」

「……いったい何の用ですか」

「あれ? なんでそんな不機嫌なの?」

「水かけたの誰だと思っているの」

「……………………………………水?」

「昨日かけたでしょ!」

「あー、あの時の!」


 忘れていたような顔だ。呆れてしまう。

 私も昨日のの衝撃に忘れてかけていたが、水かけイベントも私の日常においてはかなりの衝撃的イベントだった。


「そんなに睨まないでよ~。ごめんごめん、あの時は気がたっていてね」


 気がたっていたから水をかけていいとはならない。文句を言いたいが、あっちのペースだ。

 だが、あの時の敵意は失っているようで、少しだけ安心した。


「で、えーっと、誰だっけ君?」


 私の名前も知らずに水をかけたのか、こいつは。

 まともな会話は初めてだが、御浜みはまシイナという女のふてぶてしさを感じる。


「お名前は?」


 黙っていたからか催促してきた。

 

「カズサ。逆井さかさいカズサ」

「カズサちゃんは」

「ちゃん呼びするなし! 同級生でしょ」

「そういう設定だった」


 なんだよ、設定って。

 御浜みはまシイナ、水をかけられた時と違って、調子が良く、違う人間のように感じる。


「サササはさ」

「サが多すぎるし、それが私の呼び名だと認識したくない」

「サカサカサササ」

「サが多い!」


 『さ』と『か』が多すぎてゲシュタルト崩壊している。我ながら、ひどい名前をつけられたものだ。


「もう注文が多いな。サササは学校さぼってどうしたの?」

「そっちこそさぼっているじゃん」

「私は時間にも、場所にも、校則にも縛られない自由人なのだ」


 は、はぁ……。自由人さんですか、そうですか。

 なお、断じてサササと呼ばれることを認めてはいない。

 ……彼女のペースで話していると疲れてしまう。私って真面目だったんだなと、学校をサボっていながら感じる。


「この世界において真面目って何だろうね」

「……知らない」


 ってか、真面目じゃないと思った考えを読み取るな!


「読み取ってないよ」

「思考がバレている!?」

「サササはバレバレだよ」

「だからサササはやめてって、いたっ」


 言い合いで忘れていたが、思い出したかのように腕がズキズキと痛む。


「辛そうだね、病気?」

「……病気ではないけど」

「そう」


 そういって水かけ女、シイナがいなくなった。


「…………え?」


 いなくなったの? 「そう」で済ませていなくなるの?

 構ってほしかったわけでもないけど、あっさり消えたことにちょっとショックを受けている自分がいる。

 ……何だったんだよあの女。

 再びベンチに座り、この後どうしようか考える。


 と、冷たさが襲う。


「ひゃっ」

「ははは、いい反応!」


 頬に急にきた冷たい物に反応してしまう。

 ……またあの女がいた。

 私の頬にペットボトルを当ててきたのだ。突然のことに変な声が出てしまった。


「ねえ、びっくりした? 元気になった?」


 女はおどけて、ベンチの隣に座ってきた。顔を覗き込んでくるので、思わず後ずさりした。いてて、肩が痛み、抗議する。

 

「……いきなりはやめてよ、腕怪我してて」

「そうなの? ごめんごめん。謝罪の意味を込めて、お水タダでいいから」

「……どうも」


 ありがたくもらう。ひんやりと冷たい。この冷たさは自販機で買った新品だという証拠で、怪しいものではないだろう。


「いたっ」


 つい利き腕の右腕で蓋を開けようとしたら、腕が痛みを訴えた。外傷はないはずなのに大変な思いをしている。


「あーごめんごめん、痛いんだよね」


 頷くと、私から飲み物を奪い取った。貰ったものなので、抗議することもなく……、


「飲ませてあげようか?」

「いい!」


 抗議した。すぐに。

 同い年であろう同級生に気遣われたくない。というか飲ませてもらうって恥ずかしい。片方の手が痛いだけなのだ。開けてくれさえすればいい。


「じゃあ水かけるね」

「なんなの、その発想!? じゃあ、で水かけようとするな!」

「しいなのしーは、くーるのCなの」

「頭冷やせってこと!? それにシイナはCじゃなくてSHIじゃないの?」

「細かいこと気にしているとモテないよ?」


 ……話に付き合うのは時間の無駄だ。

 ありがたく開けてもらった水をいただく。しゃべりすぎたのか、お水がおいしい。 


「じー……」

 

 視線を感じた。シイナだ。私が飲んでいる様子を凝視するなって。


「……飲んでるとこみても面白くないでしょ」

「いい飲みっぷりだな~って」


 見つめるのをやめないので、こちらも彼女をじっと見る。

 瞳の色は空よりも透き通る青さで、頬は少し紅潮し、健康的な柔らかさを持っていそうだ。華奢に見えるが、立派なところは立派だ。って何を思っているの私!? 

 ああ、もう! 恥ずかしくなった。

 目の前の女にペースが乱されっぱなしだ。何が面白いというのだ。私を揶揄うことが? 揶揄いがいのない、つまらない人間だと思うのだが……自分で言って悲しくなってくる。

 まぁいい。せっかくなので、水をかけられた原因を聞いてみよう。

 彼女は水をかけ、私に言ったのだ。「シンクライなんて凄くないよ」と。


「なんで、あなたはシンクライのことを毛嫌いしているの?」

「まぁ普通だけど」


 普通。普通??


「え、じゃあ私は水かけられ損!? 何か恨みかった? そもそも私たちってまともに話したことあった? 前世で何か繋がりあったするわけ!?」

「前世って新手のナンパなの……?」

「ち、ちがう! いてて」


 大声を出し、左手で腕をおさえる。声を出しすぎた。


「もう騒ぎすぎだよ」


 誰のせいだと思って……。睨むが、女のにこやかな顔は動じない。


「私を知ってて突っかかったんじゃないの? それに今日声かけたのだって」


 私自身は有名ではないが、私のろくでもない父は有名だ。『逆井博士』、マクハリに住む人間ならほとんどの人が知っているだろう。

 ――武智トオルの意志を継ぐもの、と称されている。

 知らないクラスの人に、「あいつが娘だ」と顔をじろじろ見られるのも慣れた。


 だが、この女はどうやら違うみたいだ。


「私は困っている人を見逃せない優しくて美人でキュートな女の子なのです!

 シイナのCはCuteのしー」

「だからSHIでしょ!」

 

 ……自己評価高いな。確かに黙っていれば美人だと思う。だが、黙らない。その価値は半減以下な性格だ。


「学校はサボり?」

「うーん、そんなとこ。サボってばかりだからまともに話したことはなかったね。仲良くしてね、サササ」


 急に手を握られ、ぎょっとする。「サササじゃないし!」と突っ込むのも引っ込んだ。近い。この子は距離感が近すぎる!

 試しに、少し座る位置を横にずらしたら、「よいしょ」と近づき、距離を詰めてきた。……そういうのに慣れていない。


 それにしても、仲良くか。

 ミヤとムツはずっと同じ学校で仲が良く、波長も合う。

 だからといって、放課後遊ぶようなことはほとんどないし、シンクライの時間も数回ぐらいしか共有したことがない。

 しかし、それは皆同じなのだ。シンクライができて、より個人の時間を尊重するような社会に変化した。もちろん、友達と遊んでばかりの人もいるが、そういう人に限ってシンクライではずっと研究、勉強しっぱなしだ。バランスよく生きている。


「仲良く、ってどうすればいいの」

「うーん、何だろう。相談にのるとか? サササ困っているんでしょ?」


 困っているが、水をかけられた女に聞いていいものなのだろうか。


「シイナはさ」


 ただ、シイナがどう答えるのか興味がわいた。


「シンクライの影響で、死ぬことはあると思う?」

「あるよ」


 即答した。

 その潔さに驚き、感心する。何を根拠にそんなことを言うのだ。その答えはすぐにわかった。


「だから、私は拡張時間をほとんど使ってないの」

「…………………はい?」


 驚くべきことを、私には理解できないことを告げたのだ。

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