第1話 不完全な距離②

 髪の毛から水が滴る。


「君の言うこと間違っているよ。シンクライは凄くない」


 初対面の女に水をかけられた。

 同じ教室のクラスメイトではない。見たことある気はするが、名前は出てこない。

 ……なんで、名前が出てこないんだろう。

 金色の髪は黄色よりも白っぽさに近い。髪は肩までにはかからない長さで、少年っぽさもある。だが、その目は無垢ではなく、敵意が宿る。

 目立つのだ。会ったことがあるなら忘れるはずがない容姿と、個性。名前を知ったら絶対に覚えている。

 それほどの存在感で、私は彼女から目を離せなかった。

 そして、彼女も私から目を離さなかった。


「おいおい、いきなり水かけといてそれかよ」

「カズサに謝って!」

「…………」


 私の代わりにミヤとムツが怒るが、彼女は無視した。

 ならば、と二人は私を見る。

 

「もっと怒れよな、カズサ」

「カズサはどうして黙っているの?」


 怒る気持ちはなかった。私にあったのは別の感情。

 ……最悪、だ。

 文字通り、ぴしゃりと水をかけられた気がしたんだ。


 シンクライは、凄くない。

 いや、違う。

 私なんて凄くない、と言われた気がして言い返せなかったんだ。


『水かけ女』はそれ以上何も言わず、去っていった。



 × × ×


 ――自分の意見、か。

 

 ライトレールに乗って、窓の外の景色を眺めながら考える。

 水をかけられた後、ミヤとムツは黙ったままの私を心配してくれた。ミヤはわざわざ大きめなタオルを取ってきて、私の髪を丁寧に拭いてくれたのだ。ムツの怒りは収まらず、ずっとイライラして文句を言ってくれた。

 一方で、私はどこか冷静になっていた。


「……」


 ライトレール内のモニターを見るとニュースが流れている。

『シンクライ2年目の高校生、大学課程修了』

『18歳原川選手、シンクライによる集中トレーニングで国際大会出場決定へ』

『シンクライ利用者、水泳大会での別枠を検討か』


 15歳までのライブログを提供しての純正のシンクライ利用者は、私の代で3年目で、私たちは正3期生と呼ばれる。それまでは途中の年齢からの利用だったり、数年のライフログを提供しただけの不完全なデジタルクローンだったのだ。

 私たちのデジタルクローン『シンク』は、赤ん坊として生まれてからのデータを取り続けることで、より精確な分身を実現させた。さらに多くのサンプルを得る中でシンクライのシステムの選択力は改善され、より最適化されたのだ。

 シンクライの拡張時間を活用し始めて私はまだ2年だ。だが、今ではシンクライなしの生活は考えられないほどにどっぷりと依存している。

 だってシンクライが自分と全く変わることなく動いてくれるのだ。いや自分で動くよりも効率的に自分として振る舞い、機能し、そしてオリジナルである私に時間を与えてくれる。

 だが、その与えられた時間をどう利用するか、が難しい。


「自分の時間、か」


 また溜息をついてしまう。

 わかっている。ただ旅をしたいわけではない。旅をするしか思いつかないのだ。

 何かきっかけを得たい。私にはこれがある、この道がある、というのを見つけたい。

 ――逆井博士の娘、ではなく私としての何かが欲しい。


 だから自分探しの旅を、自分ののシンクにさせているのだ。

 矛盾している、のはわかっている。自分を探しているのに、自分以外にさせている。でもシンクライだって自分なのだ。自分に同期されることで、自分のものとなる。

 ……自分の境目が曖昧になるなぁ。

 どこだっていけ、どんな体験もできる私も私で、

 どこにもいけないのも私だ。


 時間は経ち、しっかりと拭いてもらったのに、まだ髪が湿っている気がした。



 × × ×


 空に近づいていくのに、重力を感じない。

 私が住んでいる家は、ビルが立ち並ぶ中でも一際高いマンションの最上階フロアにある。上昇していくエレベーターはガラス張りで外がよく見え、マクハリの教育機関、研究所が一望できる。

 生まれた時からこの暮らしだ。高いところが好きというわけではないが、この景色はけっこう気に入っている。


「ただいま」


 帰っても誰もいない。

 今日も父、逆井博士は遅いらしい。

 母はいない。私が10歳になる前にこの家を、マクハリを出ていった。父親は「この便利な世界から出ていくなんて、狂った奴だ」と言っていたが、研究ばかりで家庭を顧みない父親に愛想をつかしたのだろう。マクハリを出てからの母の行方を私は知らない。それに研究に狂っている父も興味がないだろう。


 逆井さかさいテンダイ。


 私の父は、特区マクハリのシンクライの研究者だ。マクハリに何個かある研究所のひとつで局長を務めており、『逆井博士』と呼ばれている。同じ名字で『博士』なんて呼ばれるとこちらとしては恥ずかしい。


『今日の夕食はチキンソテーとかぼちゃのスープです』

「ありがとう、シンクライ」


 実際にシンクライが用意したわけではないが、私に適した食事が毎朝、毎晩配達されてくる。食べたものはしっかりと記録され、バランスも考えられた上、飽きも来ないように毎回違う料理が出てくるのだ。

 リクエストも可能だが、弾かれることも多い。何よりシンクライでの時間を特別にするために、日常から逸脱しないものが運ばれてくるのだ。季節のものや記念日などには、意外性のある食事も運ばれてくる。侮れない配膳システムだ。


『次はどこに行きましょうか、カズサ』


 そういって食事中の私の前の壁に写真が並ぶ。

 今までシンクライで旅した世界各地の写真だ。実際に行ったことはないが、行った記憶はある。不思議なものだ。写真を見ると、懐かしい気持ちにさせてくれる。


「次は……」


 だが、この次の旅行先が思いつかない。まだ昼間の彼女の言葉を引きずっている。

 そして、そのことは簡単にこのシンクにはバレてしまうだろう。シンクは私、なのだから。意志はないが、自律している。投げかけてくる言葉もすべて計算ずくだろう。揶揄う言葉も、丁寧な言葉を使ってくるのも私がそう望んでいるからだ。

 そんなシンクに悩みを言葉にしようかと思ったところ、扉が開いた。『逆井博士』、私の父親が帰ってきたのだ。


「おかえり」

「あぁ」


 淡白な返事はいつも通りだ。何日か剃っていない伸びた髭に、夜なのに寝癖が残っている。シンクが用意した綺麗なスーツだけが浮いている。

 

「今日は早かったね」

「あぁ」


 私の方を向かずに答える。この人は研究以外に興味がなく、実の娘である私にでさえ関心を示さない。


「ご飯は手配してないの?」

「いらん、これでいい」


 ポケットから包装されたスティック状の物を取り出す。

 パーフェクトエナジー。これ1本であらゆる栄養を補えるらしい。

 だが、


「……それマズくない? 味まったくしないよね」


 まずいのだ。

 ぱさぱさで飲み物がないとまともに食えたものじゃない。栄養はこれ一つで十分な完全食だとしても、美味しくなさすぎる。

 けど、父親はお構いなしのようで包装を剥がし、かじりだす。


「それでいい。味などいらない。味を満喫するのは、たらふく食うのはシンクライの時間だけで、現実で食べるのは無意味だ。この完全食だけで事足りて健康だ」

「……つまらないの」

「シンクライを誰よりも満喫しているお前が何を言う。そんな写真ばかり見て楽しいか?」


 開いたままだった写真を見られ、指摘される。出先ではほかの人に見られないようにシンクが配慮しているが、家の中では家族も見えるように表示されているのだ。家族だから娘のことを知ってほしいという、余計な配慮だ。


「知らない土地、文化の違う人たちに出会えて楽しいよ。時間をかけずにたくさんの感動をみつけられる。シンクライのおかげで10代にして世界を知れて、私は成長できたんだ」

「はっ、成長ね。シンクライで世界中を旅して知っても、別にお前は変わらないし、すごいことにならないぞ」


 シンクライは凄くても、私は凄くない。

 今日だけで何度も言われた。


「……実の娘にさえ、優しい言葉をかけられないのかよ」

「ああ、時間の無駄だからな」

 

 時間の無駄。

 時間を研究する博士に、悪態をついても軽くいなされた。


「そんなんだから母さんが出ていくんだ……くそったれ」

「そのくそったれな遺伝子はお前にも受け継がれている。時間をいくら拡張しても変えることはできないぞ」

「なっ……」


 どうしようもない事実に言葉を続けられなかった。

 包装紙を床に捨て、自動掃除機が回収する。もう父の姿は見えなくなった。


「くそっ」


 足で床を蹴っても自分の足が痛いだけで、何も意味がなかった。

 私の無駄な時間に、いらない感触ばかりが増えていく。

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