第4話 江住玲一郎の生徒指導
先生がその名を告げようとしたときだった。
バチ! バチッ! ビュゥッ!
その現象は突如発生した。
照明が激しく明滅し、どこからともなく臭気を伴った強い風が吹いてくる。机の上に置かれた作文と新聞記事をコピーした用紙が、風に吹かれて舞い飛ぶ。
指導室は窓も扉も閉めきっており、風が入り込む隙間など当然ない。室温が急激に低下し、全身に鳥肌が立つ。
怒り、戸惑い、悲しみ、恐れ――
室内に新たに生じたその気配は、光彦くんの発する暖かなそれとは何もかもが正反対の性質だ。
「呪殺によって迷った魂は道連れを欲する。今回の場合、それは呪者である矢崎さんだ」
先生に応じるかのように、再び風が吹く。
原稿用紙が一枚舞い上がり、裏面をむけて扉に張りつく。
張りついた用紙の裏面に、赤い四文字が浮かび上がる。
それは――
あの日わたしが書いた――
シンデヨ
思わず、わたしの喉からかすかな悲鳴が漏れる。
シンパイシナイデ――
すぐそばでかすかに声が聞こえた気がした。
懐かしいその声の主は――
「光彦くん、このためにボクを呼んだね」
先生はそっと微笑んで立ちあがり、黒ブチの眼鏡をはずす。
「さあ、生徒指導の時間だ」
眼光に鋭さが増したように思えた。
気のせいか、先生の瞳は虹色の奇妙な輝きを放っているように見える。
それはこれまでわたしが生きてきた中で一度も見たことがない、妖しく美しい光だ。
「直視しちゃいけないよ。吸い込まれてしまうからね」
わたしは慌てて視線をそらす。言っている意味はわからない。けれど、本能が見るなとわたしに告げている。
「矢崎さん、君は良い友人に恵まれたね。いや、彼氏くんと呼ぶべきか」
こんな状況だというのに先生は、なおもわたしをからかう。
「君がこれまで勇気くんに連れていかれなかったのは、今まで光彦くんが常にそばで守っていてくれたからだ」
そうだったんだ。ずっとそばにいてくれたんだね。
ゴメン、気づいてあげられなくて。
ボクノホウコソ ゴメンネ
モウボクニハ カレガ オサエキレナイ
「悪霊は周囲の負の気を吸収して日増しに強大になっていくものだ。どうしても手に負えなくなる。だから光彦くんはボクを頼った」
祓える力がボクにはあるからね――
先生は不敵に笑った。
「矢崎さん、今日の作文も光彦くんのコレクションで書いたよね」
そうか、なぜあの話を書く気になったのか、わたし自身本当は不思議だった。
今、気がついた。
あれは光彦くんがわたしを守るために書かせた作文だったのか。
室内でなおも風が吹き荒れる。
シンデヨ シンデヨ シンデヨ
壁に、ガラスに、机の上に――
つぎからつぎに文字が浮かび上がる。
この部屋が赤い文字で埋め尽くされたとき――それが最期だと直感で気づく。
だが、先生は動じる気配を見せない。
「赤マジック、貸してくれないかな。持ち歩いているよね、コレクションを?」
わたしは言われるがまま、カバンからペンケースを取り出す。あの日念を込めて以来、片時も手離したことなどない、わたしだけのお守り。
「さて、勇気くん。君の進路を決めようじゃないか」
先生は宣言するなり、授業で板書するときと変わらない力の抜けた動作で、左手でマジックを空中に走らせる。
すると、
浮かび上がる四文字に、横に二本、縦に四本の線が書き足され、
シの文字が横五本縦四本の格子状の図柄に化けては、次々と消えていく。
あれは――
クジダ センセイハ クジヲキッテイル
光彦くんの書いた物語には少しだけ怖い話もあった。
平安時代を舞台に、陰陽師という特殊な力を持った職業の人たちが、妖怪と戦うお話。作中、安倍晴明という一番強い力を持った人が護身の術として駆使していた動作を、今まさに先生がおこなっているのだ。
文字が消されるたびに、黒い影――勇気くんが放つ威圧感は減っていった。
それでもなお、勇気くんは抗おうと新たな文字を浮かび上がらせるが、先生が九字で封じる動きの方がはるかに早い。
見る間に、影は薄くなり、浮かび上がる文字もひとつを残すのみとなった。
――卒業の時間だよ。
先生は勇気くんに囁いた。
あの輝きが怖くて、顔はよく見れない。でも、わたしをからかうときの声音と明らかに違うことはわかる。
暗闇の中、道に迷った子供に、こっちだよって灯火を掲げてあげるような優しさが感じられた。
暖かな気配が指導室に満ちていく。
わたしは心地よさにつられて、目を瞑る。
暗闇の中、勇気くんが生前の姿を取り戻して、消えていくイメージが浮かんだ。
そして――
ボクモ モウイクネ
光彦くんが別れを告げた。
いやだよ、再会できたばかりなのに……。また、わたしに物語を読ませてほしい……。
でも、この世にいるのが良くないのもわかっている。
わたしが迷っているうちに、暖かな気配は薄れて……消えてしまった。
目を開けると、眼鏡をかけ直した先生が座っていた。
室内はさっきまで風が荒れ狂っていたのが嘘のように元通り。机の上の作文もキレイに揃えられている。
まるで、光彦くんも勇気くんも最初からいなかったかのよう。
でも、まぼろしなんかじゃ絶対にない。
「お別れ、言えませんでした。ありがとうもごめんなさいも……」
ポタリ。
頬をつたった涙が原稿用紙を濡らす。ああ、せっかく光彦くんが書いてくれたのに。
先生はなにも言わず、力なくうなだれるわたしの頭をそっと撫でてくれた。
涙で濡れた作文が乾くまで、こうしてもらっていてもいいですか――
コクリとうなずく気配はとても優しかった。
◆
翌日の朝。
わたしは書き直した作文を手に、職員室の扉を開いた。三限目の国語の授業後でも良かったのだけれど、少しでも早く江住先生に読んでもらいたかったから。
ところが――
先生はいなかった。
今日はお休みですか? って、他の先生に聞いてみても、誰っ? そんな先生いないけど? と、みんな一様に怪訝な顔を浮かべる。
友達にも尋ねてまわってもみんな同じ反応。
三限目はわたしの知らない国語教師が授業にやってきた。けれど、あちらはわたしを知ってる感じで、とても落ち着かない気持ちになった。
キツネにつままれた気分。でも、不思議と不気味とか怖いとかは感じない。江住先生はイジワルだったけど、撫でてくれた手はとても暖かかったから。
仕方がないので、書き直した作文はその先生に渡すことにした。
先生は読み終わるなり、これなら全国コンクール入賞も期待できるなって、褒めてくれる。
当然だ。
昨夜、光彦くんが手伝ってくれた作文だもの。
どうやら、彼がこの世から卒業するには、もうしばらくだけ猶予があるみたい。
お別れは絶対に訪れるけれど、彼が書く物語を何作か楽しむだけの時間はありそうだ。
今夜も光彦くんは、わたしの部屋の窓を叩くことだろう。
ヨンデヨ――
と、はにかみながら。
了
コトダマ――霊能先生江住玲一郎の生徒指導 吉冨いちみ @omelette-rice13
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