第2話 江住玲一郎の呼び出し
作文を提出した日の放課後、わたしは
彼は今年赴任してきたばかりの国語教師。下の名前は確か
長身だけど針金のように細身でいつも猫背気味。パッと見は二十代半ばだけど、年齢は教えてもらえてない。良く言えば優しそう、悪く言えば頼りなさそうな先生だ。
そのせいか、エスミンとかレーセンとか、生徒からは好き勝手なあだ名で呼ばれている。
呼び出された理由はなんだろう。全国中学生作文コンクールに実話怪談で挑むのはさすがにまずかったからだろうか。
それにしても職員室ではなく、生徒指導室は、大げさすぎると思う。
指導室の扉を開くと、先生は黒ブチ眼鏡のズレをなおしながら、いきなり呼び出して悪かったねとわびた。
「いえ、いいんです。わたしも作文コンクールであの内容はやりすぎたかなって思いますし……」
机の上に置かれた原稿用紙に目をやると、わたしは学校指定のカバンを、机の下に置かれたカゴに入れ、パイプ椅子に腰掛けた。
「違うんだ、矢崎さん。ボクは作文が不適切だから書き直してほしいとか、そういうことで君を呼んだわけじゃない」
先生はくせっ毛を左手でのんびりかきあげながら釈明する。
ハニカミ屋の光彦くんも同じような仕種をよくやっていた。ちょっとだけ親近感が湧いてしまう。
「いくつか確認しておきたいことがあるだけだよ。他の先生に聞かれたくない話もあるんじゃないかと思ったから指導室にしたんだ」
口調は柔らかい。だけど、目にかすかに鋭さが混じったような気がした。
印象を少しだけ修正する。この人、油断できないかも。
「どういうことですか?」
「まず、最初の確認だけどいいかな?
これは全て本当の話? 嘘や脚色は一切なし?」
先生はわたしの問いには答えず、逆に質問を投げ返してきた。
「……はい、すべて本当に起こった話です。脚色は、多少ですが……、しました」
わたしと同じ小学校の子なら誰もが知っている話なのだ。
裏をとってもらえば信じるに違いない。
言霊は本当に存在するんですよ、先生。
「森嶋光彦くんと佐藤勇気くん、ふたりの生徒が続けて亡くなった事件は、新聞でも報道されたみたいだね」
先生はA4サイズの紙をカバンから取り出し、わたしの作文の隣に置いた。
図書室で新聞縮刷版からコピーしたのだろう。事件に関する記事が用紙いっぱいに見やすく整理されて並べられている。
ちゃんと裏とってるじゃないですか……。
「脚色は『ヨンデヨ』の落書きが『シンデヨ』になっていたところかな?」
先生の口調はおだやか。口元も優しげな微笑みを絶やさない。
でも、なんだか……、
これってわたしの緊張を解くためじゃないよね、たぶん。目が笑っていないもの。
「いいえ、違います」
わたしは正直に答えた。
先生は回答に満足したかのようにうなずく。
「だろうね。じゃあ、次の質問。作文の中には書いてないこと――忘れたのではなく意図的に描写を省いた部分があるよね?」
ゴクリと唾を飲む音が狭い室内に響いた。誰の? わたしの鳴らした音だ。
「矢崎さん、ぼくは言霊の存在を一切疑ってはいないよ。決して長くはない国語教師生活だけれど、今までそれが起こす様々な怪現象を目にしてきた」
そこで、先生は一旦間を置き、また眼鏡の位置を直した。そして、とても落ち着いた優しい声音でわたしに告げた。
光彦くんの話し方に少し似ていた。
「確かにとても強い力を持っている。でもね、手や足はないんだ」
わたしはしばらく言葉に詰まったのち、絞り出すように答えた。
「はい……、知っています」
言霊には手も足もない――
だから字を書くことなんてできない。遺書を机の上に置くこともできない。
あるはずの無いものが突如、教室に現れるとしたら、それは手と足のある何者かが言霊に代わってやったことだ。
誰かって?
もちろんわたしだ。
「どうして……、気づいたんですか?」
「事件後に落書きがどうなったか気になった。だから、情報を集めてみたんだよ」
先生はわたしと小学校のとき同じクラスだった生徒たちにそれとなく話を聞いたのだそうだ。
彼らが証言した事件の流れは、おおむねわたしの話と同じ。
ただし、細部で異なる部分が一箇所あった。
彼らは一様に、事件後混乱が終わってから机の上を見るとあったはずの落書きがきれいさっぱり消えていて怖かったと語ったそうだ。
「シンデヨのくだりは脚色を加えていないと君は言った。信じよう。じゃあ、なぜ矢崎さんしかそれを見ていないのかな? 」
眼鏡越しに鋭く光る瞳を見て確信した。
先生は知っている。あえてわたしに答えさせようとしているのだ。
それでも答えあぐねるわたしを見て先生は目を細める。興味深いデータが記録された実験の報告書を読む研究者のように。
口角をゆっくりとあげながら、声にならない程度に唇を動かす。
サ・ア・ハ・ナ・シ・テ・シ・マ・イ・ナ・ヨ
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