コトダマ――霊能先生江住玲一郎の生徒指導

吉冨いちみ

第1話 怪談作文

   ヨンデヨ

                                  一年三組 矢崎裕美やざきひろみ


 言霊ことだまというものがあることを知ったのは小学五年生のときです。

 同級生の光彦くんに教えてもらいました。

 読書は好きだけれど、作文が苦手なわたしは、夏休みの課題に手こずっていました。そんなわたしを見かねた光彦くんが手伝ってくれたのです。

 彼は物語を作るのがとても得意だったから、わたしのような本が好きな女子たちのあいだではとても人気がありました。「読んでよ」と顔を赤くしながら、原稿用紙を見せてくれる仕種が、女の子みたいで可愛いらしかったことを今でも覚えています。

 自分の思ったことを、素直に言葉にして書き写すんだ。

 そうすれば言葉に力が宿るから。

 想いは強ければ強いほどいいよ――

正直、光彦くんのアドバイスはわたしには難しく感じました。理解が追いつかないわたしは、すごいねーと頷きながら彼が集めた筆記用具のコレクションを眺めているばかり。

 それでも、作文は何度も手直しをしてもらってなんとか仕上がりました。

 さすがは光彦くん。担任の先生にも褒めてもらえるほどの出来栄えです。

 彼の手を借りたことは、二人だけの秘密でしたから、少しだけいけないことをしたような気にもなりました。でも、共犯関係(これも光彦くんに教えてもらった言葉です)になれたことは、とても嬉しく誇らしいことのように思えました。

 冬休みも作文の課題があれば、また手伝ってもらえるかな、なんて淡い期待を抱いてもいました。

 しかし、二学期も終盤にさしかかったある日の放課後、大変な出来事が起こりました。

 光彦くんが教室の窓から転落したのです。

 わたしたちの教室は四階。校舎の最上階です。


 即死でした。


 翌日、朝の集会で事故と発表されましたが、五年生のあいだでは、自殺という噂がすぐに広がりました。

 二学期の中ごろから、光彦くんはイジメの標的にされていたからです。イジメていたのは、勇気くんという体力自慢の男の子。

 運動が苦手なのに女子に人気のある光彦くんが気に食わなかったのでしょうか。

 光彦くんの創作ノートを破いたり机に落書きしたりといった行為から始まり、だんだんと直接的な暴力が目立つようになっていきました。

 光彦くんはわたしに物語を見せるとき、何かを言いかけてやめる素ぶりを見せるようになりました。

 わたしはそのサインを無視するほど、薄情な人間になりたくありません。

 友だち数人と協力して、学級会の議題にあげてイジメをやめてもらおうとしていた矢先の出来事だっただけに、悔しくて仕方がなかったです。

 ところで、わたしは自殺説を当初信じていませんでした。

 警察が事故として処理した理由のひとつに、遺書が見つからなかったという事実があったからです。

 遺書がないことは、わたしにとって不可解でした。

 言葉の強さを信じる光彦くんが、自分の気持ちを文章にして残さないはずがないからです。


 ところが――


 遺書は存在したのです。


 あれは光彦くんが亡くなって一週間後のことでした。

その日、教室は朝から異様な雰囲気に包まれていました。勇気くんの机を囲んで、クラスのみんなが騒いでいます。

 机いっぱいに鋭角的な筆跡で、赤い文字が書かれています。


 ヨンデヨ


 その下に添えられた一通の手紙には、


       勇気くんへ


              光彦より


 封筒の文字も赤いペンで書かれています。

 勇気くんは登校してくると、すぐに異変に気づきました。

 不機嫌な様子で、こちらに近づいてきます。

 わたしたちはそれぞれ自分の席に戻り、おそるおそる勇気くんがどう行動するのか、注意をはらいます。

 彼は落書きを見てから手紙を手に取ると、読みもせず破り捨ててしまいました。

 さらには掃除用具の入ったロッカーから雑巾をとってきて、落書きを消しはじめたのです。雑巾を机の上で四、五回往復させた彼は、突然とても驚いた表情を浮かべ、続いて目をカッと見開いたかと思うと、喉を押さえて苦しみだしました。

 バタンッ!

 教室中に大きな音が響きました。勇気くんが突然、床に背中から倒れこんだのです。

 それまで遠巻きに見ていたクラスメイトが駆け寄ってみると、彼はもう息をしていませんでした。

 わたしは初めて見る死体から顔を背けました。視界に机に残された落書きが飛び込んできます。

 雑巾で乱暴に消された四文字は――


 シンデヨ


 に変わっていました。


 強い想いを込めた言葉は力になる。


 夏休みに聞いた言葉がまざまざと蘇りました。光彦くんはわたしに言霊の力を教えてくれた今でも忘れられない友だちです。

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