第4話 好きになっちゃダメな人 後編

『例え草食に転向しても、元来男とは狼なのです』



 冒険者後援会城北支部に現れたネイルーカとアイナ。突然の二人の登場に支部内は騒然とする。なぜならアイナはともかく、名前と顔の知れたネイルーカ――即ち魔術師会所属の魔術師がこの様な場所を普通は訪問しない。

 理由は説明するまでも無いだろう。

 魔術師会に所属できるだけで冒険者が一年間依頼を熟し続けて得られる金の倍額を魔術師は貰っている。わざわざ魔族領域へ出かけて素材を取るよりも金に物を言わせて購入した方が楽なのだ。

 また治癒薬を含めた数々の魔術道具いわゆる『魔具』の取引に際しても、直接後援会の職員が魔術師会へ出向く。

 余程の物好き以外の魔術師にとって、冒険者後援会は縁遠い存在。


 加えてネイルーカは、魔女と畏怖される王国最強の魔術師の弟子の中でも一番彼女に近い存在。近々魔術師会の中でも優秀な十人に与えられる『十席』に空きが出来た為、新たな者を選ぶ試練が行われる。

 現状最有力候補のネイルーカ。幾ら彼女が魔女に近くとも、満場一致で選ばれる程試練は簡単ではない。

 

 支部内をゆっくりと見渡すネイルーカの青い瞳。大海が如き豊かさと形容される瞳だが、基本的にしかめっ面の彼女だ。その色は海というより、凍てつく氷海といった方が正しい。

 ネイルーカの視線に冒険者達は極力彼女と視線を合わせないように俯き、彼女の怒りに触れないために口を真一文字に閉じる。

 まるで家屋を激しく叩く夜の嵐が過ぎ去るのを、只管に待っているよう。

 まあ、彼女は嵐よりも恐ろしい存在なのだが。


 やがてネイルーカの視線がユモトを見ると、彼女はつかつかと恐怖心を煽る靴音鳴らして近づく。

 その後ろをアイナがおっかなびっくりとついて来る。


「やあ、忙しい時に申し訳ないね」

 珍しくユモトが気さくに声をかける。

「貴方に試練の事を心配される理由は無いわよ」

 相変わらずきつい口調のネイルーカ。

 まあ大抵の魔術師はこうなので、口調だけで彼女の機嫌を量るのは難しい。


 煙草を急いでもみ消しながら、ツルマは二人の様子を横目で見る。やり取りからして馴染みがあるのだろうか、冒険者後援会のユモトと魔術師会のネイルーカに何か関連があったか、暫くツルマは考えた後にはっと思い出す。

 

「書類とにらめっこが好きなら、戻ったらどう? 貴方なら魔術師会でも王国学院でも難なく出戻り可能でしょ?」

「かの魔女の弟子に言われるのは畏れ多いよ。それにこの仕事の方が私には向いているからね」

 ユモトの言葉にネイルーカはそう、と少し寂し気な雰囲気で返す。


 今でこそ冒険者後援会の窓口を務めるユモト。しかし彼も元は冒険者、それも単独では無く彼を合わせた四人組の冒険者集団の一員であった。

 その四人は幾多の高難易度の依頼を熟し、魔族領域各地の高深度迷宮を踏破した伝説のパーティー。

 元王国衛士団上級衛士――リチャード・カブス。

 魔術師会の新鋭と称された――ミレイナ・ユレイン

 全ての依頼を確実に完遂させてきた転生者の射手アーチャー――ヤエノ

 そんな傑物揃いの中に補助術師サポーターであるユモトもいた。

 他の三人と比べて目立った活躍はしていないが、縁の下の力持ち・徹底した仕事人気質で三人からの信頼を篤く受けていた。当然補助魔術師なら、王国学院で魔術の勉強はしていただろう。ユモトは十年前に転生してきたので、何処かでネイルーカと知り合っていても不思議では無い。

 

 なお、そんな彼が何故冒険者後援会の職員をしているかは、言わずもがなだろう。


「お知り合いだったんですね!」ブロジナが目を輝かせて言う。ネイルーカと知り合いなだけで、大抵の人からは一目置かれる。

「まあ昔の事、それも数回話した程度だよ」

「数回? 私が十歳の時に貴方と一緒に勉強していたのを忘れてるのかしら」ネイルーカの機嫌が少し悪くなる。

「ああ、そうだったね。その度に実験と言って魔術で私をボコボコにしたっけね」

「ちょっと!」

 思わず身を乗り出したネイルーカを、ユモトが柔らかな笑で宥める。


 ほほう、これは珍しい。

 普段女性相手にぎこちないユモトが、自然な雰囲気であのネイルーカと話をしている。


 二人の会話を傍から聞いていたツルマは何となく気づいていた。他人の関係を当て推量するのは良くないが、真っ昼間からいちゃつかれると流石に一つや二つ量ってしまうのが哀しき人の性。

 何より色恋の噂を全く聞かないネイルーカだ。少し前に最年少で特級衛士を賜ったアレックスと彼女は相棒を組んでいるが、尾鰭の付いた噂話すら聞いていない。

 もしや、この二人既に陰で蜜月か、と思ったツルマ。

 しかし、その考えはすぐに払拭する。

 何故ならば、転生者は暗黙の了解として現地人との恋愛が禁止されているからだ。これは何も王国やその他の国が決めたことではなく、最初期の転生者がこの世界に居続ける為に作った規則。

 

 理由は主に二つ。

 一つ目は、一度死んだ身の為か転生者は生殖能力が欠如している。この世界は子供をつくれない転生者との婚約を認める程の寛容な価値観を持っていない。

 とりわけ家の存続を一番とする高名な魔術師の家は、その観念が非常に強い。当然農村部も子供が第一。

 二つ目は、そうした理由から現地人の価値観を不用意に乱さない為。これは婚約に留まらず技術や思想に関しても同じ事が言える。

 文明の発展や思想・価値観の変化は現地の時間の流れと共に変動するのが好ましく、いわゆる未来に生きていた転生者が濫りに介入してはならない、と最初期の転生者たちは考えたのだ。

 それが例え良い事でも文化侵略以外の何物でもなく、発展の段階を中抜きすることを危惧した。

 現在の全ては過去の積み重ねで構築され、そこには世界や文化、風土の特色が緻密に組み込まれている。

 それを飛び越えるのは未来人故の傲慢であり、現地との軋轢を生むに易い。


「さっさと用件を済ませなさいよ」

「ああ、そうだね。ツルマさんとアイザンさん、ちょっとよろしいかな」

 ネイルーカにきっと睨まれてユモトは本題に移る。

 恐らくは件の紹介したい人の事だろう。もっともツルマは既に誰のことか、大凡の見当はついている。


「あのアイナと言います……ちょっと前に転生してきたばかりです! よろしくお願いします!」

 おどおどした様子でアイナはぎこちなく頭を下げる。青みのある黒髪から覗く茶色の瞳が緊張で震えている。

 アイナの挨拶にブロジナは外行きの笑顔で、ツルマは平常通りのぶっきらぼうな雰囲気でそれぞれ返す。

 

「ユモトさん、もしかして彼女は転生者の治癒術師ヒーラー?」

「そう、今のツルマさん達にはぴったりと思ってね」

 ユモトは何か準備をしながら答える。

「私達に優先的に紹介してくれて良いんですか! この手の役職の方って人手不足ですし!」ブロジナは驚いた様子でユモトとアイナを交互に見る。


「……お前、仲間に入れる気か?」

 一方のツルマは乗り気では無い。正気を疑うような顔でブロジナを見ている。

「不満なんですか」ブロジナがむすっとした顔で聞く。

「不満も何も、転生ほやほやだろ? 俺らの一員になるなんざ、赤子を獣の巣穴に放り込むと同じだ。幾ら厳しい世界とはいえ、流石に過酷だろ」

 

 ツルマの言葉に、否定の出来ないブロジナは悔しそうに唸った。アイナは困ったようにユモトを見るが、当の彼は依然として何かを準備するのに集中している。


 冒険者後援会では一人一人の冒険者へ独自の評価制度を設けている。これは新人冒険者が不用意に高難度の依頼を受けない為と、逆に熟練冒険者が低難度の依頼を独占しない為だ。

 詳しい評価は教えて貰えないが、名指しでお願いされる依頼の難易度からしてツルマは自分達が中級程度の評価をされていると見ている。中級ともなれば、少しの失敗で全滅に追い込まれるような魔物を相手にすることもしばし。

 加えて警護依頼を不得意とする二人だ。基本的に防衛手段を持たない治癒術師、それも新人の子守を出来る程の余裕はない。


 そもそも万年人手不足な治癒術師だが、増えない理由は単純にメンバーとして頭数に入れにくい事にある。駆け出しの冒険者にとって一番重要なのは依頼を達成にむけた攻撃手段を確保することであり、火力役になれない治癒術師を仲間に迎える余裕が無いのだ。

 無論パーティーの安定性を維持する為に治癒術師を大事に育てるのも悪く無いが、低級の魔物を倒すだけではいずれ活動自体がままならなくなる。

 結果として治癒術師として冒険者稼業をする者は基本的に単独で簡単な採取依頼をこなし続けて地道に経験値を得ていく――気の長くなる作業だ、好んでやりたがる人間は殆どいない。

 まあごく一部にはに使い経験値を稼ぐ者もいるが、かなりえぐい殺し方になる。多分アイナには難しいだろう。


 だが、危険の付きまとう冒険者たちの死亡数を抑える為に冒険者後援会は当然手を打っている。

「だから、派遣冒険者登録しておくんだな」

 ツルマは豆を噛み砕くと、小首を傾げるアイナへ説明をしてやる。

 本来ならユモトが行うべきなのだが、気付くと彼は受付台から姿を消していた。


 派遣冒険者とはその名の通り普段は本業を行い、後援会からの頼みを受けて一時的に冒険者たちのパーティーに加わるモノ。メンバーとしては一人抱える程度で良いが、依頼内容によっては複数人を抱える必要性のある治癒術師や補助術師などの補助役を緊急時にパーティーに組み込むことの出来る制度。

 これならばアイナは必要な時にメンバーとして加わり、普段は自分の事に専念できる。何せ彼女は治癒術師、治癒魔術以外の魔術を学ぶ為にも冒険者より王国学院の生徒である方が今後の活動にも役立つ。

 単に治癒魔術を使うのではなく、状態異常の解除や高い効果や範囲型の治癒魔術を学ぶことは重要。

 いわゆる魔術師系統の役職は経験値を溜めてスキルを獲得するよりも魔術を覚えるのが先決で、中にはそのまま魔術師会に所属してしまう場合もある。

 冒険者の中に魔術を主体とする者が少ないのは、これが理由の一つでもある。


「説明ありがとう。それじゃあ、すぐにでも派遣冒険者登録をしようか」

 奥の部屋から受付台に戻ってきたユモトは片手に黒い手帳を抱えている。

 この黒い手帳は役職持ちの者が触れることで役職やスキル、能力値を手帳内に自動で書き込む魔術師会の発明品。

 手帳はそのまま冒険者手帳として使用可能で、冒険者同士のスキル確認や身分証明書、他にも後援会の様々な手続きに使われる。

 

 ユモトに促され、アイナが黒い手帳に手を置く。すると手帳が一瞬青く光って彼女の手を包むと数秒で霧散してしまう。

 登録はこれで終了。試しにアイナが開くと、冒険者後援会所属であることの証明印や冒険者への心得が書かれた一頁目。

 次の頁には彼女の名前と性別と転生者の有無、そして役職持ちで治癒術師であることが明記されている。

 下の欄にある取得スキルには今のアイナが取得しているスキルが書かれているが、これは本人が許可をしないと他人には見られない特殊な魔術で保護されている。


「これで派遣冒険者登録は完了。今後、要請があればアイナさんに派遣をお願いしますが、一先ずは王国学院で魔術の基礎を学んでからですね」

「あ、ありがとうございます! でも、なるべく早めに要請を受けて、いつかは何処かのパーティーか一人で冒険者をやりたいんですが……」

「なんで、そこまで冒険者稼業をしたいんだ? 言っとくが、楽な仕事じゃねぇよ」

 アイナの様子に違和感を感じたツルマが問う。

「探している方がいるんです。転生したばかりで不安な私を傍に居てくれた方を探したいんです」アイナの瞳が強い意志を以てツルマを見つめる。


 思わぬ言葉だった。

 冒険者だの異世界だのに夢や希望なんざを持った愚者とアイナを勘繰っていただけに、ツルマはそれ以上は言わずに豆を齧りながらそっぽを向く。

 そうした愚かな連中は何人も見て来たし、そんな奴に限って道の外れや森の奥深くで物言わぬ死体となったのをツルマは見て来た。


「それに誰かを助ける為に私は治癒術師を選びました。生前は迷惑ばかりかけてきたので、この世界では誰かに助けられて生きてきた分――誰かを少しでも救いたい思って」

「殊勝なことだな」

 ツルマはそっぽを向いたまま返す。二十歳前半の若造な自分だが、より年下の人間が素晴らしいことを胸を張って言うのだ、堕落した毎日を過ごす自分が恥ずかしくなってくる。

「ツルマはあんな感じですが、頼りにはなるので! もし仕事中に私たちを見かけたら、遠慮なく頼ってくださいね!」

 いつもの如く余計な事を言うブロジナだが、口を挟むと面倒なのでツルマは沈黙を貫く。


「――用件は終りね。ほら行くわよ」

 ネイルーカはアイナを立たせ、一瞬だけユモトの方を見た後にさっさと支部を出て行ってしまう。彼女のあとを急いで追うアイナは、最後にこちらへ深く頭を下げて同じく支部を飛び出していく。


 ほっとツルマは胸を撫で下ろす。

 ユモトの前だからかネイルーカは大人しかったが、普段なら逐一口を挟んで威圧と挑発を繰り返す彼女。巷の連中からは『可愛い小夜嵐』などと言われるだけあって、ツルマ自身も支部内の冒険者と同じ気持ちであった。

「はぁ、なんか疲れたな。今日はもう休むか」

「何を呆けた事を言ってるんですか! 今日も仕事しますよ!」

「――ああ、そうそう」

 するとユモトが何か思い出したのか、しゃがみ込んで受付台から一枚の依頼書を取り出す。

「ごめんね、今日はこの依頼を頼まれてくれないかな」


 ユモトから依頼書を受け取ったブロジナが一瞬で顔を曇らせる。この速さの反応からして、どうやら依頼主に問題がある依頼に違いない。

「……の輸送警備任務です」

 ブロジナが告げてツルマを見る。


 一番面倒で休む暇もなく――

 そして、死人や脱落者の発生が多い依頼だ。

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