小話 待ちわびた逢魔が時
『そして今――一つ火種に火が灯る』
王国の中心都市『王都』の外れには幾つかの村が無数に点在している。どれも街の喧騒さとは縁遠いが、中でもこの村は小さな家屋が数軒並ぶ程度の規模。
農業と牧畜に彩られ、長閑な時間の流れるその村は今や跡形も無く――全てが黒く焼け落ちていた。
生き残りは一人もいない。
夜間の突然の襲撃に果敢に立ち向かった男達は、人の名残を微塵も残さない程の黒焦げの死体となって至る所に転がっている。
人を一瞬で炭にしてしまう程の火力。
魔術の火か?
それとも、炎を吐く魔物の仕業か?
否――彼らの命を炎で奪ったのは、現在倒壊した家屋で物品を漁る中年の男。青のつなぎに同色の作業帽を後ろに被る工場の作業員然とした姿。
洒落た眼鏡から覗く瞳をつぶさに動かし、男は手当たり次第に焼けた品々を取り出しては己の欲望に見合う品かと吟味する。
「こりゃあ、ちと火力が強すぎたか」
細工の模様を僅かに残した小物入れを見つけるも自分のお眼鏡にかなわず、男は無造作に投げ捨てる。
雨は上がるも未だに残る雲の切れ間から差す月光。神聖な一縷の光に男は白い無精髭の生えた頬を擦りながら、次なる家屋を品定めしようとする。
しかし村の中央で蹲って地面に何かを書いている男に呼ばれると、焼けた材木の山から軽快に飛び降りる。
取り出した安煙草を口に咥え、男はこの村を凄惨な姿へ変貌させる計画を立案した男へ声をかけた。
「例の……何とかって言う石は完成したのか『教授』」
「賢者の石だ、何度言えばわかるのだ『炭職人』」
『炭職人』と男を呼ぶ『教授』なる人物が不機嫌な顔で睨む。癖っ毛の年季を感じさせる白髪、狂気を宿す瞳を隠すように付ける真面目で堅苦しい黒縁眼鏡。
汚れた白地の襯衣の上に魔術師の着用する
「材料が足らん……やはり村程度の人数では駄目だな」
『教授』はそう言って村の中央を見やる。
地面には白墨で書かれた幾何学模様の丸い魔術印と、それを囲むように円形に書かれた古代の文字群。それらは『教授』の研究成果を元に並べられているが『炭職人』からすれば単なる羅列にしか見えない。
何よりそんな魔術印や文字よりも視線を強く惹きつけるのが、魔術印の上の死体の山。老若男女そして子供、全てが山々の一つとして眠りついたように積み重なっている。
悍ましい光景だ。死体に外傷は無いが、死した人の山が一つの大量の死を形成している事が、彼らの行いの惨たらしさを一層際立たせる。
「やはりって『教授』よぉ……想定してたんなら、わざわざ実践する意味あんのか?」『炭職人』は煙草に火を点けてふかし始める。
「想定は所詮は想定。魔術師の本分は仮説を立て、実践を以て一つの結果へ辿り着くモノだ。キミも魔術を使う身として、少しは学びたまえよ」
『教授』はその名の如く、不出来な生徒を叱る教師のように告げる。
「ご高説どうも。だがよ、俺は火さえ使えりゃあ、それだけで充分なんでね」
耳に胼胝が出来るほど聞いてきた言葉に『炭職人』はうんざりで、適当にあしらった。魔術師だの、魔術だの、小難しい学者の真似事など彼にとっては面倒事なだけだ。
「そんで、どうすんだ? 村一つ潰したんだ、流石に王国の連中も警備体制を強化する。今回の様な実験はそう簡単にはできないな」
「なんにせよ数が必要だ。確かに王国の街を襲うのは流石に無謀が過ぎるが、安心しろ既に絶好の実験場の目星はついている」
「もしかして、魔族領域か」
『炭職人』の言葉に『教授』は頷く。
「魔族領域には幾つかの街がある。その一つに、我々の一員が入り込んでいる。そこに移るとしよう」
「そりゃあ絶好の場所だがよぉ、あの街は
心配する『炭職人』に『教授』は悲鳴を上げる腰を擦りながら立ち上がると不敵に笑う。
「あくまでも拠点にするだけだ。実験場は少し歩いた先にある――魔王軍転生者の一人であるサイガの管理する街にする」
研究の成功に昂り自信気に語る『教授』だが、一方あくまでも冷静な『炭職人』は難色を示す。あの街はサイガによる独裁が強く、魔族達は手を出せず魔王軍も下手な口出しが出来ないほど。
それだけ――サイガという転生者が強いのだ。
故に『炭職人』『教授』の両名が所属する組織は前々からサイガの街の崩壊を目論んでいたが、流石に時期尚早である。
「安心しろ。あの街には密かに掘り進めた地下通路で侵入は容易。それに数日前の魔王の死で魔王軍は死に体、サイガは独自に街の強化や魔王軍自体と距離を置き始めた。
「サイガの動向に不信感を抱いた五大家は近々調査員を派遣するようだが、そこで我々が動く事で魔王軍とサイガを完全に対立させる。
「狙うはサイガの死、そして街の完全崩壊。好機を逃さずに私がこれより仕込む――筆記魔術によって全ての魂を奪い、賢者の石を完成させる。
「どうかな、完璧な計画だろう?」
滔々と語る『教授』の瞳は狂気に満ちている。確かに己の野望を成就させつつ、組織の目的を一つ完遂できるなら多少の無理も利く。
しかし――大掛かりな作戦な上に課題は多い。本気でやらねば、あっさり殺される様な連中を相手にしなければならない。
具体的な内容は『教授』の頭にしかないが、今の彼に尋ねても答えてはくれない。組織内の様々な作戦の実行を担う
もっとも『炭職人』からすれば、それを承知でこの組織に加わったのだ。
何かが燃える姿に恍惚し、逃げ惑う大衆の中に潜み、窃盗を行う。放火への衝動を抑えられない彼に、社会の秩序はあまりにも息苦しい。
加えて長い間休止していた組織が上げる打ち上げ花火としては格別だ。内在する危険に怯え、隣人を信じられず、街が国が次に火を出す火種に恐怖して生きる。
元の世界での己の犯罪を思い出して『炭職人』は気味悪い薄ら笑いを浮かべた。
「一先ず戻るとしよう。私は連絡を入れておくから、貴様は先に拠点とする街へ行き、現地の構成員に会ってくれ」
「あいよ『教授』。いいねぇ、久々の大仕事だ」
二人は村を後にし、各々行動を始める。
サイガの殺害及び街の崩壊と、『教授』による賢者の石の完成。
かつて大陸を脅かしたガリョウ会が本格的に動いた瞬間である。
――ガリョウ会秘匿通信――『教授』より入電――
教授『――以上が、今回の作戦概要だ。よろしいかな』
犬屋『構わねぇがよ、大層時間のかかる計画だなあ。仕込みだけで十数日か』
教授『重要な計画には時間はつきものだよ犬屋、何かと焦りがちな君には理解し難いかな。それだから隠し事が露見して王国学院を追われたのだろう?』
犬屋『うるせぇよ、それと個人を特定する話題はご法度だろうが。幾ら王国支部員でも、度が過ぎれば抹殺部隊に粛清指定を受けんぞ』
雪虫『御二方、私語を慎みなさい。計画の概要は承知しました、しかし少々危ない橋ではありませんか?』
教授『危険は承知、むしろ魔術師として危険な道にこそ求むべきモノがあるのだよ……君も一回魔術師の心得を学んだらどうかな?』
雪虫『留意しておきましょう。所で必要な人員は貴方とお弟子様、それと炭職人、以上三名で問題ありませんか』
教授『問題ない。しかし場合によっては支援部隊や実行部隊からの協力を求むよ』
犬屋『ケッ、最大限の努力はしてやるよ。それと炭職人を一時借りるぜ、ちと冒険者を襲いにいくからよ』
緑眼『あと、笑い草に同行命令を出してやる。撹乱にはなるからな』
教授『有り難いね。それでは私は失礼するよ』
――教授退電――
緑眼『……不安だな、一応監視役つけるか』
黒翅『私が行こう』
緑眼『頼むわ、それと万が一に抹殺部隊からも一人』
犬屋『裏顔が適任だろうな』
緑眼『手を回しておく――まあ、各員程々に頑張ってくれよ』
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