第1話 ヒバナ

『世界は無数の種火に溢れ、常に燻っている』




 夜空一面を覆う雲から降り出した雨は、止むどころか勢いを一層に増して地面に雨粒を強く打ち付ける。天気の変化に機敏な人々は既に屋内に避難しており、外に出ている者は余程急用の者か、或いは逃げる者と追う者。

 王国の中心都市である王都。古くから魔族・魔物に対抗すべく周囲を白亜の高き城壁で囲み、更には腕の立つ魔術師による魔術防壁による二重防壁が施されている。

 

 その壁外では、一人の男が雨で泥濘んだ道を脇目も振らずに走っている。全身をすっぽりと覆う茶色の古びた外套を雨で濡らし、洋袴と靴は泥で塗れている。

 息を切らせながらも走り続ける男。途中、ぬかるみに足を取られて泥水へ飛び込むも、泥塗れのまま彼は再び走り出す。

 雨音に紛れて、背後から執拗に迫りくる無数の足音から只管に逃げ続ける男。その彼の行く手を阻む為に、炎の壁が突如地面から噴き出した。

 激しい雨を受けても消えぬどころか、猛々しい烈火がゆっくりと地面を這い、男へと迫る。

 

 行く手を失った男は腹立たしさに奥歯を(ぎりぃと)鳴らすと、自分を追っている者達の方へゆっくりと振り返る。

 男を追っていたのは王国衛士団の衛士たち。降りしきる雨の中、簡易な外套のみでじっと男を見つめる様は些か不気味である。

 一律された武装姿の下級衛士たちの合間を縫って、一組の男女がゆっくりと現れる。


「まだ逃げる気かしら?」

 全てを薄い黒色で統一された、鍔の広い三角帽子、術衣に肩掛布の様式は王国に伝わる魔術師の古い衣装。

 今日では、かの王国が誇る至上最強の魔術師への畏怖によって着用者が限られし、この装いを纏う上にその畏怖を継ぐ者として名高い女。

 齢十六――鋭い青目の女の名はネイルーカ・ドゥーロ。

 彼女の片手には燃え盛る火球が浮かんでいる。


「ネリー落ち着いてね……貴方も、乱暴な真似はしない方が身のためですよ」

 ネイルーカを宥めるのは茶色の髪に金の瞳、整った顔立ちながら雑味の無い爽やかな雰囲気の男。

 外套の下からは、軽装の鎧と青と白の服が見えており、それは彼が特級衛士である事の証左。史上最年少の特級衛士アレックス・グレイトウィズは相棒を組むネイルーカに手荒な真似をしないように懇願しつつ、男へ降伏を迫る。


「くだらん男一人に、次期衛士長候補と魔女の愛弟子が出るなんて、衛士団は余程暇なのだな」

「次期衛士長候補だなんて、恥ずかしいなぁ」

 アレックスは小っ恥ずかしさに頭を掻く。一見すると、なんと暢気な様に思えるが、アレックスなりに男を刺激しない為の反応である。


「己の下賤を自認するなら、無駄な時間を使わせないで欲しいわね」

 対するネイルーカはいつもの調子。憚らずに言いたい事をずけずけ言うのは彼女……というより魔術師としては典型的な例である。

「癪に障る女だな。魔術を使えるのが、そんなにお偉い事なのか? 他人を見下す以外、碌に舌を使わん魔術師め」

「少なくとも、王国では魔術は絶対よ。それとアンタはしっかりと舌を湿らしておきなさいな、これからたっぷりとお話をするんだから」


 流石は売り言葉に買い言葉で生きてきたネイルーカ。相手の挑発に負けじと、素早く毒舌を回すのは彼女の十八番である。

 舌戦の足らぬネイルーカは黙り込んだまま睨む男へ、さらなる追い打ちをかけようとするもアレックスが止める。

「貴方には降伏してもらいます。ここ数年の間全く活動をしていなかった――あの組織が急に動きしだした……貴方にその理由を隠すこと無く話してもらいますよ」

「活動をしていなかった……か? 相も変わらず、視野の狭い連中だな。むしろ仕方のない事か、広大な土地に住んでいては地下を這いずり回る鼠の足音も満足に聞けまい」

「なら、どうして恐ろしい人間様の前にわざわざ出てきたのかしら?」ネイルーカが挑発する。

「……さあな。所詮俺等は下っ端の下っ端、上の目論見なんざ知らんさ」


 男の乾いた笑みは、自身の悪運の終わりを悟った諦めから来るモノだ。また彼の言葉に嘘偽りも無い。

 これまでアレックス達は男のような下っ端の人間を追い詰めてきたが、誰もが口を揃えて同じ事を告げてきた。

 だが、例え分かる事が殆ど無くとも、僅かな情報をアレックス達を含めた王国の上層部は欲している。


 何としてでも――今回こそ、あの男だけは無事に確保せねばならない。

 故に男が片手に何かを握った瞬間、鋭く叫んだアレックスに名を呼ばれ、ネイルーカの緻密で精確無比の炎魔術が飛び出す。 

 男の手に炎を纏わせつつ、後遺症を残さない火力で素早く焼く。荒業だが、男を殺さないためだ。


 彼が取り出したのは即効性の毒薬。彼らを雇った組織は情報の流出を防ぐべく、王国側に捕まる際に自害を命じている。幾ら情報の機密性を厳守するとはいえ、人の命を何とも思っていない連中ばかりなのがアレックスに嫌悪感を覚えさせる。

 男を追う者にアレックスやネイルーカが居るのも、同じ轍を踏まない為。もっとも当初必要なのは魔術の腕に長けたネイルーカのみだったが、気性の荒い彼女を抑える為だけに業務に追われるアレックスも同行したのだが。


「――ッ、流石に学習はしているか……」軽い火傷を負った男が低く呻く。

 作戦通り、男を確保すべく衛士達に号令を出そうとしたアレックスはそこで異変に気付く。

「――ハッ、そうか……抜かりの無い奴らだ」

 自らの身体の異常に気づいた男が、死を悟った笑みを見せた。

 男に起きた異変。それは彼の腹部が急速に膨らみ、まるで小さな生物が彼の内部にいるように膨れ上がった服越しに何かが蠢いた。

 

「……癪だな……本当に癪だ。お前らぁ、最後に一つだけ教えてやる。の手掛かりを欲するならば『異名付き』を探せ――」


 男の言葉を遮る様に腹部が裂けると、血や臓物を撒き散らしながら何かが飛び出すと宙に浮かぶ。

 それはまるで雪のように白く、蒲公英の様な綿毛を生やした球体。男の体内から出たにも関わらず球体に血は付着しておらず、また降りしきる雨を意に介せず浮かび上がっている。

 アレックスの抜剣に他の衛士達も続き武器を抜き、ネイルーカは魔術を放てるように身構える。


 初めて目にする生物――魔物か、いや、そもそも生物なのだろうか。魔術の類か、それとも魔力が引き起こす現象なのか。

 白球はあてもなく(フヨフヨと)浮かんでいたが、急にぐるりと回転すると――先端が鋭く尖った六本の長い脚が生えだし、鋭利な牙を剥き出しにした座頭虫の様な不気味な生物へと変化する。

 

 不気味なソレはアレックス達に気づくと凄まじい速度で接近する。

 その体躯からは予想できぬ素早さ。

 アレックス達は武器を身構え、ネイルーカが初撃の炎を放とうとするが――

 背後から吹いた鋭い突風が自分達を追い越し、不気味な生物を瞬く間に切り裂く。断末魔も無く、細切れになったソレの身体は禍々しい粒子となりて消え去る。

 

「面妖な存在ですね……とても柔らかそうでしたが、流石にあの姿では気分は昂揚しませんね」

 落ち着いた声音の男は風魔術を放った右手をゆっくりと下げ、鷹揚な動作で右手を後ろに回す。本当は手を後ろに組みたいが、彼は左手に白い壺を抱えているのでそれが出来ないのだ。

 教会指定の青い祭服の上から白い外套を羽織り、更にはお付の者に傘を差させて近づいてくる。

「ナズィータさん!?」

 思わぬ人物の到来に大きな声を上げてしまったアレックス。ナズィータなる男を前に姿勢を正そうとするが、当のナズィータが柔らかな手の動きで制す。


「アレックス君達ばかりに任せてもいけませんからね」

 ナズィータは微笑む。彼の笑顔は自然と脱力してしまうと有名だが、アレックスを除いた衛士達はむしろ彼の到来に殊更な嫌悪感を見せる。

 衛兵団と教会勢力、共に王国に尽くす忠実な組織であるが、両勢力の仲は険悪なのが現状。

 一方で魔術師側であるネイルーカを含める魔術師派閥は両者とは中立を維持している。ただしネイルーカ本人はナズィータに対しては、別の側面での不満を内包している事をアレックスは知っている。


「此度もやはり駄目でしたか」ナズィータは絶命した男を見ると鎮魂の祈りを捧ぐ。

「……我等の不手際を指しての物言いか?」

 その言葉を露骨な程に悪く捉えた一人の衛兵が、不貞腐れた態度で苦言を呈す。

 流石に看過はできないとアレックスは叱責しようとするが、それよりも早くナズィータが件の衛兵に告げる。

「不手際など何処にあったのですか? 皆様は力を尽くしたのです。しかし万事、物事とは各人の実力だけではどうにもならぬ事があるものです。今までも、そして此度もその様な状況であっただけの事……誰彼も責める事はできません」


 極めて冷静に、努めて沈着に、そして只管に温和に事を告げるナズィータ。

 単純に教会連中への不満を吐露しただけの衛兵は、何も言わずに黙ってしまう。殆どの場合、教会の人間であれば先の言葉に立腹するだけに、ナズィータの反応は少々異質であったからだ。

 事実ナズィータに傘を差す教会の男は眉間に皺を寄せているが、ナズィータに優しく制されて渋々怒りを飲み込んでいる。


「彼は最期に『異名付き』を探せ、と言葉を遺しました。やはりガリョウ会の目的を明らかにする為には、『異名付き』の確保しかないようですね」

 アレックスの言葉にナズィータは綿毛の様な白髪の先端を弄る。難題に頭を悩ませている時の彼の癖だ。

「その『異名付き』の尻尾を掴むために、彼のような末端構成員の確保を急いでいるのですがね……一先ず戻りましょうか」


 ナズィータはそう言って足早に街へ戻る。アレックスはネイルーカに幾人かの衛兵を連れて戻るよう指示すると、自分は残った衛兵と共に男の遺体を運ぶ準備を始める。

 

 強く降り続いていた雨は小降りになっていたが、細く弱く降る雨の雰囲気から今日は一日中雨だと察する。

 嫌な雨雲の空はアレックス――いや、世界全体に不穏な事の始まりを告げているように思える。


 魔王の死からまだ数日しか経っていない。

 それなのに――正体不明・目的不明の犯罪組織、ガリョウ会が再び動き出した。

 そして――同じく、あの森の中で新たに魔王軍側に加わったというオボロという少女。

 ガリョウ会が急に動き出した理由に件の少女が関係しているのか。

 何か――大きな事が起きる。

 アレックスの直感がそう教えていた。

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