第39話 家へ帰ろう

『帰路こそ、最も安心する道なのです』



「……まさか、翼まで備えているとは」

 

 海上高くを優雅に飛び行くオボロ達に、ハインツ・ブリッツは驚きを隠せない。声音は至って平然としているが、これは生来彼が感情の発露が不得手なだけだ。

 切り立った崖の先端の下を覗くと、波立つ雄大な海が一面に広がっており、流石のブリッツでも泳いで渡ることは不可能。

 だが――帯電状態の今の自分ならば、全身に纏う雷の力で槍を生成することは可能。さながら無限の槍投げをするが如く、雷槍の連投すればオボロ達の撃墜は可能。

 ブリッツは無意識に片手に雷槍を生成していた。眩い雷が黄色の槍の形を作り、その外周を禍々しき緑の雷が纏い時々弾ける。

 

 スキル〝雷音心臓ライオン・ハート

 かつて王国が誇る最強の魔術師、天候を自在に操る様から魔女と形容されし彼女との戦いに勝利して、獲得したスキル。

 勝利の証などと帝国内では称えられているが、ブリッツにしてみれば、かの魔女からの呪いだ。

 一度死んでも、雷の力を受ければ蘇る。

 そんな存在が生物ではない。

 一度きりの生を精一杯に生きることこそが生物のあるべき姿ではないのか。

 忌々しきスキル――そして、それを二度も使用した自分に腹が立つ。結局はブリッツ自身も、このスキルを憎んでいながら最大限に活用してしまっている。

 役職やスキルとは面妖で、ブリッツは〝雷音心臓〟を獲得した時点で経験値による成長を喪失している。

 詳しくは知らないが有識者によると、スキルの中には魔族寄りのモノがあり、これを会得する事も女神の怒りに触れ、役職の成長が止まるが、些末な問題だ。

 上層部はブリッツのスキルを鑑みて、彼への出撃指示を雨天日に限定している。このスキルを魔王軍や王国への切り札に考えているのだ。

 もっとも、少しでも戦場に出撃し、己が奮戦で帝国の若き兵達が無駄に命を散らすことを避けたいブリッツにとって、このスキルは重い枷となっているのだ。


「……ふむ」

 片手に生成した雷槍を消すと、ブリッツは〝雷音心臓〟による帯電状態を解除する。如何せん、このスキルを使うと己の思考が乱れて仕方ない。

 

 今ならオボロ達を仕留める事は可能。

 だが、ブリッツはオボロの広げた翼に――かつて一度目の死を自分へ齎した魔王を彷彿とさせる。

 かの王もまた、背中に巨大な翼を有していた。もっともオボロの美しき白の翼では無く、禍々しき黒と紫の翼出会ったが形状や雰囲気は酷似している。

 ただの偶然には思えず、オボロという未だ存在の分からぬ少女。

 そしてブリッツ自身、帝国本土の人間でも、反魔族主義者でも人間至上主義者でもない。

 一度は矛を交えたが、魔王軍の掲げた人と魔の共存は喜ばしいモノで、何よりこのまま戦が続けば――戦争が人間も魔族も纏めて滅ぼし、この世界には一面の焼け野原の大地が広がるだろう。 

 それでも上の判断には従わざるを得ないが、オボロと魔王の共通点に確信を持ったブリッツは武器を下ろす。

 オボロが魔王軍に合流すれば、魔王の死で頓挫しかけた共存の道が開けるやもしれない。


 分かり合う必要は無いのだ。

 人間同士ですら、分かりあえずに戦争を始める。

 必要なのは住み分け。

 明確な境界線を決め、お互いに丁度良い干渉で共存をしていくのだ。

 ――無論、難しい話ではあるが。


 水平線へと消えゆくオボロを見届け、ブリッツは急いでアーベントッド達が攻めた砦へ向う。あの爆発音から生存者の希望は薄いが、それでも消えゆく命があるなら必死に助けなければならない。

 

「あ……ブリッツさん!」 

 森を少し行った所で、突然茂みから負傷した帝国兵が現れる。彼らに見覚えがある、アーベントッドがグモウへ貸し与えた三番隊の兵士。

「無事であったか――」

 三番隊の兵士達は一斉にブリッツへ駆け寄る。


「ブ、ブリッツさぁぁん!」

「よ、良かったぁ……」

「グモウ指揮官が……」


 彼らは口々に告げながら泣き喚く。

 何せ負傷していた身な上に、グモウを失って森の中を彷徨っていたのだ。ブリッツに会えたことで、環状の堰が決壊してもおかしくない。

 しかし落伍者が一切出ず、皆無事で合流するとは妙だ。何より、この森には長耳族や獣に魔物と怪我人の彼らをつけ狙う敵は大量に存在する。

 疑問に思うブリッツ。すると、一人の兵士が樹上に何かを見つけて大声で指差す。


「ひッ……長耳族だぁ。ブリッツさん、俺らぁ、あの長耳族にずっと付き纏われていたんですッ!」


 樹上から鋭い視線を送る長耳族、その手に弓を装備している。彼女の姿にブリッツは見覚えがあった。

 間違いない、アーベントッドが誘拐した長耳族だ。復讐のつもりかと身構えたブリッツだが、違和感に気付く。


 何故、わざわざブリッツと合流をさせたのか。

 何故、道中一人の兵士も殺していないのか。

 そうか――グモウの手引か。

 ブリッツは合点がいく。グモウは長耳族の言語が分かる身だ、恐らく自分が死んだ後に彼らが無事にブリッツと合流できるよう取引したのだろう。

 武器を下ろし、ブリッツは帝国式の敬礼をする。意味が通じたのかは不明だが、長耳族も微かに頷くと素早く樹上を駆け抜けて行く。


「所で、君達はいつまでその格好をしている?」ブリッツは突然兵士達に言う。

「へ、いつまでって……自分達は負傷を……あれ?」


 片腕を吊っていた兵士は、自分が無意識に両腕を上げている事に気付く。

 彼だけではない――

 両目を失った兵士は啞然としながら包帯を外す。  

 片脚を失くした兵士はいつの間にか生えていた脚に理解が及んでいない。

 全ての兵士達が、あの時アーベントッドからグモウへ指揮下を変えた兵士達が――皆、無傷の状態でそこに居た。

 これもグモウの仕業。彼が無傷で一人の死者も出さずに帰還するのも、これが理由だ。スキルの効果らしいが、グモウは詳しく話していない。


「帰ったらグモウに感謝だな」

 ブリッツの言葉に、狂喜乱舞していた兵士達が一斉に首を傾げる。

「グモウ……誰ですか?」

「名前は聞いたことがありますけど……何故、礼を?」


 やはり、か。

 グモウのスキルは副次効果で、彼との戦場での記憶を一切消してしまう。

 その事を知り、虚しくないのかと尋ねるとグモウは乾いた笑いで――どうでもいいさ、と告げたのを覚えている。

 

「……そうか。では諸君、麗しの祖国へと戻ろう。その前に一つを用件を済ますがな」


 帰路につく前にブリッツ達は粉々に爆破された砦へと向う。漂う死臭と清算な現場に生存者は絶望的かと思われたが、ばらばらになった兵士達に埋もれるようにしてアーベントッドは奇跡的に生きていた。

 全身に大火傷、息は絶え絶えでありながら、双眸だけは凶器を宿したかのようにぎらつかせていた彼。

 彼の奇跡の生還を、軍の上層部は兵士達が指揮官を決死の覚悟で守ったのだ、と喧伝したが――

 ブリッツは、その現場の様子から、アーベントッドは兵士達を盾にしたのだと察した。






「お、オボロちゃん! 高度落ちてるッス! ぎょええ、ぎょええぇッ!!」

 フルベの両足が海面に触れ、彼は何とも滑稽な悲鳴を上げる。

「なんだ、なんだ……魚影がどうしたのだ?」


 オボロ違う、魚影なんて言ってないぞ。

 多分、変な叫び声だ。 

 私は冷静に突っ込む。

 

「疲れてきたのだ……ほれ、陸地も見えてきたし、後は泳いで行けるのではないか」

「無理無理無理ッス! こんなおっかな海泳いだら、危険な水棲魔物の餌になるッス! お願いッス、もっと高く飛んでほしいッス!」


 フルベは必死に両足を上げて懇願する。

 オボロは溜息をつきつつ、翼を二三回羽ばたかせて高度を上げる。なおベルモンドは、どこにしまっていたのか本を取り出して静かに読書をしている。


 やれやれ、騒がしい遊覧飛行だな。

 私はそう思いつつも、この騒がしさは不思議と嫌いではなかった。

 前方に広がる陸地はどんどんと近くなり、建造物もちらほらと見えてくる。

 新天地――新たな出会いと新たな出来事が待っている。

 本来ならば輝かしい期待を胸にするのだろうが、遠くの空に見える曇天の深さが――私の心に不穏の靄を広げていた。




       第一章 樹林の雷獅子 完

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