第38話 電気予報 後編

『遠くで雷鳴がした』

『どーんどーんと雷鳴がした』

『まるで鼓動の如く鳴り出した』

 



 引き抜かれる尻尾、同時にブリッツの体躯が雨に濡れる地面へ崩れ落ちる。胸の中央辺り、丁度心の臓腑が鼓動を打っていた場所に空いた穴から流出する鮮血。

 降り続く雨が血に水を足し、まるでブリッツを包み込むかの様な血溜まりが形成される。

 冷たい雨でしとどに濡れた獅子の鎧は微動だにしない。

 片方だけになった獅子の瞳に嵌め込まれた翠玉エメラルドだけが、依然として煌めく。だが生の煌めきと言うよりは、死にゆく灯火と形容した方が正しいのだろう。


 ハインツ・ブリッツは――オボロによって斃された。

 その事実は覆らない。心臓を穿たれて生きる命は存在しない。少なくとも――蔵人の常識に因れば、それが定命の必然。


 オボロは尻尾の先端に付着した血を振り払う。もっとも殆ど雨によって洗い流されていたが、ある種の習慣言うならば癖が彼女に尻尾を振るわせた。

 興奮の冷めた緋色の瞳でオボロは、物言わぬブリッツを黙って見つめる。

 己を滾らせてくれる相手との、烈しき死闘。戦いの最中に浮かべた高揚も嗜虐心も、雨で洗われた様に彼女の中には存在してないように見える。

 呆気ない幕引きであった。

 場合に拠っては、やや卑怯とも言える手段だった。

 致し方無いとは言え、オボロの表情は複雑だ。グモウの時と同じ様に、戦いを制したというのに勝利の余韻など無く――只管に虚しくなるだけだ。


 オボロとブリッツを交互に見やる私はそんな事を考えていた。残念ながらオボロの気持ちを汲める程に、私は他者への共感性が希薄(と自他ともに称してきた)だ。

 故にこの場でオボロにどのような言葉を掛けるべきか、全く思いつかない。この場に於いては、口を利けぬ事がとても僥倖だ。口下手の私だ、何を喋るか己でも予想がつかない。


 慰めの為に彼女に触れることもしない。

 ――慰め? 何を理由に慰めるのだろうか? 

 やったな、と彼女の勝利を讃えもしない。

 ――讃える? これが讃えるべき状態か?

 何が正しいのか――分からぬ私に手は動かせない。

 せいぜい、こうやって長尾驢カンガルーの赤子が如く礼儀よく静かにしているのが賢明だ。


「やったンスか?」

 雨でずぶ濡れなフルベは未だに銃を構えている。 

「ああ……」

 オボロの声は小さく、雨音で掻き消されそうだ。

「お前にとっては、つまらん幕引きか?」ベルモンドが聞いた。

「……どうだろうな……」オボロの声に感情は無い。

「そうか……なら急ぎ、我らの街へ戻ろう」

「街……? 砦ではないのか?」

 

 オボロは小首を傾げる。その動作に僅かだが、本来の彼女が戻ってきた感じを覚える。

 そして私も疑問を感じた。

 何故、砦では無く街なのか。

 確かに爆破は砦の方から聞こえたようだが、砦が爆発現場とは限らない。仮に砦が爆発したとしても、奇跡的にノーヴァンが生きている可能性もある。

 私とオボロの疑問にベルモンドは雨空を煩わしく見上げながら答える。


「以前からノーヴァンが責任を担う砦等の施設は爆破を以て放棄と指示を受けている。私のように魔術が使えぬ者に対して緊急時に連絡が取れない際、迂闊に帰還させないためだ」

「これが本当に砦の放棄による爆発と断言できるのか?」

「この辺の施設はあの砦だけッス。帝国の兵士の動向とブリッツさんの反応からして、ノーヴァンさんが砦を爆破したに間違いない無いッス」

「……ではノーヴァンは死んだのか? 我にあれ程に卑怯な手段で契約を持ち掛けて死んだのか」


 オボロの言う通りだ。

 彼女の記憶と私に掛けられた星秘術の存在をちらつかせておいて、非常に不条理な契約を結んだ癖に呆気なく死んでしまうとは、どういう了見なのか。

 いやまあ、アーベントッド達を道連れに玉砕したであろう死者に文句を言うのは憚れる。あの性格と言えど、彼は最後には私達に街へ戻るように指示をしてくれたのだ。

 だが、それはそれとしてオボロの不満も分からない訳では無い。


「あぁー、まあ、多分大丈夫ッスよ。噂が正しければ、すぐに再会すると思うッス」どうもフルベは歯切れが悪い。

「再会? 何だ、何を隠している?」

「街に戻れば分かる。今は帰還する事が先決だ。私達もニアリ様にこれ以上の不安をかける訳にはいかない」

「むう……」


 はぐらかされたが仕方ない。

 オボロも説明の不十分に不満そうだが、これ以上この森に居続ける理由も無い。

 しかし街とはどんな所なのか。

 オボロも口にした次なる疑問にベルモンドが今度は丁寧且つ詳しい説明で答える。


「街とは、魔族領域内に複数ある都市の事だ。基本的には区域内を管理する領主が支配するが、一部は魔王軍の直轄の所もある。これから帰還するのは、モルゲンラッグが拠点としている魔王軍直轄の街だ」


 おお、街があるのか。これは有り難い。

 魔王軍直轄の街と領主管轄の街の二種類あるのが不穏というか、確実に魔王軍の体制が一枚岩でない事の証左だがそれなりの拠点があるのは喜ばしい。

 しかし、街とは言ってもどの程度のモノなのか。

 人の身でない私には関係無いが、はっきり言って現代人に(恐らくは)中世の欧州時代に相応する都市に適応するのは難しいと思われる。

 とりわけ現代人は清潔だからなぁ。

 この時代の水回りを含めた設備は決して優れてないだろうし、住心地が良いとは思えない。

 いや、待てよ。

 魔術の様な万能の動力があり更には最先端の技術的知識を有する転生者が居るとすれば、むしろこの時代としては不相応な設備があっても不思議ではない。

 どちらにせよ今の私には取り越し苦労に過ぎないか。


「それで街まではどのくらいだ?」 

「そうッスね、半日も歩けば着くッス」

 半日ぃ!?

 私は思わず卒倒しそうになる。こちらとら、歩くこと等殆どしない現代人。半日もかかる距離を歩くなど、正気の沙汰ではない。

 つくづく、ぬいぐるみで良かったと思う。

 しかしオボロはともかく、フルベとベルモンドも何と無しに言うが……やはり異世界に鍛えられたのか。


「さあ、行くッスよ!」 

 元気の良いフルベの声で私達は雨に中で帰還するべく歩き出す。

 その時――私達の背後が夜明けの如く真っ白な光に包まれると同時に耳を劈くような轟音が鳴り響く。

 雷だ。

 落雷がすぐ近くに落ちた。一瞬だけ大地が強く揺れた。

 閃雷はオボロを除いた私達三人の心臓をきゅっと掴むように縮こませ、視界には残光を、両耳には爆音により生じた煩わしい耳鳴りを置いていく。

 思わず振り返った私達が目にしたのは、落雷に焼けた地面と裂けた木々。その光景から察するに雷は寄りにもよってブリッツへと落ちていた。

 何と不運か。死してなお、雷に当たるとはな。

 そんな事を思った私は、次の瞬間に目を疑う光景へと直面した。


 ぴくり、とブリッツの指が動く。

 獅子の兜を装着した頭部が僅かに動く。

 悪い目覚めの直後の如く、唸るようなくぐもった声が私達の耳にはっきりと聞こえる。

 ブリッツの上体は起き上がり、やがて二本の脚でしっかりと濡れた大地を踏み締めて立ち上がる。オボロに開けられた傷口は完全に塞がっている。

 落とした手斧を握り、隻眼の翠玉を有す獅子の兜はこちらを確実に見ていた。

「これで二回目だな……」

 その声は確かにハインツ・ブリッツのモノ。

 彼は――生き返ったのだ。

 死人が生き返るなどあり得ない。そう、私の居た世界では少なくとも常識だ。

 ここが異世界だからか?

 いやいや、そんな荒唐無稽があってよいのか?

 困惑するのは私だけでなく、オボロも同じだ。すかさず臨戦態勢に移るも彼女の瞳は信じられないモノを見る目をしている。


「……聞いた事がある。ただの噂だと、荒唐無稽な作り話だと思っていたが……」

 ベルモンドがぽつりぽつりと話し出す。

「かつて魔王様が出向く程の帝国との激しい戦。双方共に大損害となった戦だが結果は我らの勝利――の筈だった。だが残党狩りをしていた魔族の大部隊が消滅した。唯一僅かに息があった者が、ある事を述べて息絶えた……」

「……戦場に雷獅子を見た、って言ってたッス。その正体は結局分からなかったけど、もしかして――」


「そうだ。私が『雷獅子』だ」

 刹那――ブリッツが飛び出す。

 彼の急襲に備えるオボロと私が目にしたのは、彼が『雷獅子』と呼ばれる由縁の光景。

 ブリッツは全身を緑色の禍々しい雷で纏い、彼の手にする手斧は電気の激しい音ともに肥大化。

 まるで死神の鎌が如く、緑の電雷を纏いし手斧が空気を切り裂き――振り下ろされる。

 顔のすぐ側を緑の雷が走った。

 遅れて耳から耳へ駆け抜けるかのような爆音。

 ごろごろとか、ぴしゃりとか、どーんとかではない。

 そんな表現が陳腐に思える程の爆音と共に地面は大きく抉られて、土塊と雨水を四方八方へ飛び散らせる。

 攻撃を受けようとしたオボロは、あまりの火力を前に咄嗟に身体を投げて回避を選択した程。フルベとベルモンドも直撃は免れたが、あまりの一撃に完全に腰を抜かしている。


 おいおい……おいおいッ⁉ こんな奴相手にするのか!?

 ばちばちと威嚇音の如く鳴る緑雷を纏いしブリッツを前に、私はオボロに対する信頼云々など関係なく今にも逃げ出したい気持ちで一杯だ。

 ただでさえ厄介な男なのに、死んだとしても生き返る相手にどう戦うのか。

 勝ち目が無いのではなく、勝機が見えない相手にどう戦うのか。思わず私はオボロの顔を窺うと、彼女は微かに高揚感のある笑みを浮かべている。

 しかし緋色の瞳が見つめるのはブリッツではない。


 次の瞬間、オボロは飛び出す。まるで砲弾の如器勢いのオボロを迎え撃つべく、ブリッツは雷を纏う手斧を横に振るう。

 紙一重だった。刃がオボロの頭部を通り過ぎ、溢れた雷が彼女の美しき銀の髪を少し焦がす。

 泥濘む地面を滑り込むオボロはフルベとベルモンドを力任せに立ち上がらせると、まるで尻を蹴るが如く発破をかけて走らせる。 


「――逃げるぞ」

 オボロの口から飛び出した彼女らしくない言葉に、私を含めた三人は一瞬ぽかんと口を開けてしまう。

 フルベとベルモンドは思わず足を止めていたが、背後から迫るブリッツの雷鳴が強引に窮地の現実へと引き戻す。

「徹底的に戦いたいが貴様らを巻き込みかねん。口惜しいが、ニアリに叱られては堪らん」

 オボロは己の欲望を抑えて、二人の身の安全を優先してくれていた。


「そりゃあ嬉しいッスけど……どうやって逃げ切るンスか!? 〝風予見鶏〟の風下効果で速度を下げても、いずれは追いつかれるッスよ!」フルベは泣き叫ぶ。

「それにこの森は内海を囲むように湾曲している、このままでは崖にぶち当たり――袋の鼠だ」

「内海……真っ直ぐに突っ切れば、貴様らの言う街に早く着くか?」オボロは至って冷静に問う。

「ああ。だが、泳いで渡れる距離では無い。空でも飛べれば別だかな」

「飛ぶ……必要なのは翼――よし、このまま真っ直ぐ走るぞ」


 オボロの決断にフルベとベルモンドは彼女の正気を疑ったに違いない。しかし彼女の呟く様な最初の言葉を確かに耳にした私は気づいた。  

 この状況、まるでブリッツとの初戦でオボロが炎を吐いた時と同じだ。

 もしかして――オボロには空を飛ぶ術があるのか。

 胸に灯った微かな希望に、オボロへの信頼を以て光明を見出す。

 

 雨はいつの間にか止んでいた。

 冷めた空気の感覚。空を覆う曇天の合間に見えるのは、白き夜明けの空の色。

 木々の先に青が見える。

 空の青さでは無い。

 風に波立ち、朝日に煌めく――海の姿。

 深い森はフッと消え、私達の視界一杯に海が広がる。

「が、崖ッスよ! 無理――無理無理ぃッ!」

「構わず飛べッ!」

「ええい――ままよッ!」


 切り立つ崖に足を止めようとしたフルベの背中を、オボロは強引に押す。フルベとベルモンドは同時に崖から飛び出し、宙を泳ぐように出足をばたつかせる。

 自然の法則に従い落下を始めようとする二人。

 ――が、フルベとベルモンドは海に落ちない。

「へ……飛んでるッスよ?」

「……これは驚いたな」

 


 ああ、全く驚いたよ。

 ゆさゆさと揺られながら私は見上げる。

 それぞれ左右の手でフルベとベルモンドを掴むオボロの背中からは、大きな白の翼が生えている。  

 ばさり、ばさり、と鳶や鷹の様に雄大に翼が上下する。

 しかし、彼女の翼は鳥類のモノではない。

 固く骨ばった翼は太陽の輝きで七色に煌めく鱗に覆われており、風を掴む薄い皮膜に羽毛は無い。

 それはまるで、図鑑で目にした翼竜の翼のよう。

 そして――蛇の様に空中をくねる尻尾。


 私はオボロの姿に――神話や伝説で語られる龍を見た。

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