第36話 電気予報 前編

『青天の霹靂』

『雨が雷を呼ぶのではない』

『雷が雨の到来を知らせるのだ』




 本日何度目になるかも分からない全力疾走。全く、本当に今日は忙しない一日だ。ぐわんぐわんと揺れるオボロの腕の中に抱かれる私は、自分の性に合わない『忙しなさ』に辟易する。

 ただ、やはり幸運なのは私がぬいぐるみの身体で転生したこと。そして楽だが、便利では無い移動手段であるオボロと出会えたこと。

 何せ運動嫌い並びに重度喫煙者の私だ。

 体力など殆ど無い。数秒走れば、それだけで息切れを起こし、不慣れな運動に脚が悲鳴を上げるのは確実。

 それだけにオボロに抱かれて移動ができるのは楽の一言に尽きる。

 楽は人を駄目にすると宣いながらその実、本質的には楽な道を選ぶ私はオボロに抱かれつつ、後方を追走するフルベとベルモンドに目をよこす。

 転生者故に体力も強化されているのか、二人はオボロとの距離を詰めも空けもせず、一定の距離を維持したまま走っている。

 両名とも喫煙者で、フルベは持ち運び辛い長銃をベルモンドは呼吸に不便な翁面があるにも関わらず疲れている様子は全く無い。

 恐ろしい体力だ、と私が他人事の様に思っていると不意にオボロが走りながらに口を開く。

「思わず駆けてしまったが、奴を助けに行くのは気乗りせぬな」

 奴とはノーヴァンの事で間違いない。


 確かにノーヴァンが嫌いなのは分かりますよ。

 ただ一応は魔王軍の身なんだから、お仲間のことは助けに行きましょうや。

 それにノーヴァンを助ければ、彼から新たな情報を得る可能性だってある――多分。

 まあ良い事はしておこうぜ、と私は気乗りしていないオボロの肩を叩く。

 情けは人の為ならず、良い事をすればいつかは自分にも返ってくる。それが、小さな幸せを噛み締めて日々を生きる私の処世術。

 気楽に行こう、気楽に構えようぜ?


「ノーヴァンだけでない、砦にはモルゲンラッグとヴァルガも残っているのだぞ」

 ベルモンドはそう言うが、既にモルゲンラッグとヴァルガは撤退している。そう言えば、まだ彼には伝えていなかった。

「モル爺とヴァルガさんなら既に砦から離れてるッス。まだ言ってなかったッスね」

「そうだったのか、それは良かった。ノーヴァンは私も好きではないが、ここは一つ貸しでも作るか」

「奴はそんなに偉いのか?」オボロは尋ねる。

「ノーヴァンさんは魔王軍から直々に一つの都市管理を任される古株ッス」


 古株……ふむ?

 私はフルベが口にした古株という言葉が引っかかる。

 つまりは魔王軍にそれなりに長く居るという前提での古株なのだろうが、ノーヴァンは随分と若々しい。三十代前半の見た目を古株とは言い辛い。

 凄まじい童顔か、或いは年々若返る資質なのか。

 或いは私のスキルを以てしても不明な、ノーヴァンの役職やスキルによるモノなのか。


「とても古株という顔には見えんがな」

 オボロも私と同じことを思い、疑問を口にする。


「それがノーヴァンの不気味な点だ。少なくとも奴は魔王様が魔王軍の設立を行った時から、この世界に存在している。そこそこの実績はあるが、目立った功績は無いにも関わらず都市の管理まで任されている」

「陛下もノーヴァンさんには一目置いていましたし、それでいてあの人の詳細は一切不明……不気味な人ッス」


 ふむう、私は心の中で唸る。

 二人の言葉からノーヴァンは別格の存在であると分かったが、それ以上に彼の底知れぬ不気味さの深淵を垣間見た様な気がする。

 はっきり言って、ノーヴァンは味方と言い難い存在だ。何を考えているのか腹の中を探れない感覚は、相容れぬ狂人と言っても過言ではない。

 こうした手合いは遠くから観察する分には楽しいが、身近に居てほしい存在ではない。今後もノーヴァンに付き合う関係が確定している以上、注意しなければならない。

 

「益々気乗りはせぬが……仕方ないか」

 やはりというか、オボロはノーヴァンを助けることに抵抗があるが、己の私情は飲み込んでくれている。

「雲行きも悪い……いや、降ってきたか」


 暗雲を見上げるオボロの白い頬に雨粒が丁度落ちた。

 ポツ、ポツと間隔を空けて落ちる雨粒の音色。小気味良い音の響きが、やがて少しずつ勢いを早める。

 降り始めの雰囲気からして土砂降りになりそうだ。

 急ぎ砦へ向うべく、走る速度を上げたオボロ、フルベとベルモンド。

 

 その雨音の中に――茂みを荒々しく掻き分ける音が突然混ざった。

 私とオボロは同時に気づく。

 音の発生地点――右やや後方、近くに居るのはフルベ。

 夜の帳、雨の幕。

 雨に煙り、黒に包まれし緑の茂みに見える鉄の色。

 見覚えのある鈍色の鎧。

 見慣れた濃緑の軍服と黒みの強い緑の外套。

 獅子を模した兜の眼窩に煌めく翠玉エメラルド

 手にした黒の金槌付き手斧ハチェットは雨に濡れ――

 鈍く光る刃にフルベを映す。

 間違いない――帝国の断頭人。

 その名を――ハインツ・ブリッツ。

 ――我々は獅子の接近を許していた。


 刹那にオボロは駆ける。

 フルベは咄嗟に腕で効果の無い防御態勢を取る。

 無慈悲に振り下ろされるハチェット。

 間一髪、オボロの伸ばした尻尾が間に合う。

 硬い物体同士の打ち合う音――

 肉が両断される音が続き、少量の血の線を宙に描いてオボロの尻尾が飛ぶ。

 だが、オボロは怯まない。

 地面を強く蹴り、跳躍。

 宙で身を捩り、草を刈る鎌の如く鋭い蹴りを繰り出す。

 速い――が、ブリッツの反応速度はそれを上回る。

 初戦で見せた以上の瞬発力。

 鎧を着ている事を忘れさせる程、ブリッツの身のこなしは軽い。

 ハチェットをぐるりと回し、無防備なオボロへと切り上げた。突如迫る刃の煌めきに私は本能的に身を捩って、回避行動を取ろうとする。

 

「――ッ!?」

 だが、ブリッツの動きが鈍った。

 まるで極地的に強風を当てられた様に、切り上げる腕の動きが遅くなった。

 ほぼ同時に爆ぜる火薬の発砲音。

 爆発的な推進力を得て発射されし弾丸。

 空気中を強引に押し通り――弾丸がブリッツの兜に光る右目のエメラルドを砕く。

 弾丸はそのまま兜にめり込み、火薬で得た力を以てブリッツの頭部に激しい衝撃を与える。無傷ではあるが、その衝撃たるやブリッツが呻き後退るほど。

 

 弾丸の発射主は当然フルベ。銃口から白煙を上げる長銃を構える彼の傍に、見知らぬ物体が浮かんでいる。

 まず一番に目を惹くのは鶏を象った薄い鉄板。立派な鶏冠と大きな尾羽の雄鶏は今にも動き出しそうで、あの甲高き朝の到来を知らす声を上げそうだ。

 その雄鶏の足元には球体があり、それを射抜く形で矢が付いている。どうやら矢が射抜いている部分は可動式で、先程から鏃と矢羽根が動いている。

 

 一目でわかる、これは風見鶏だ。

 私の元居た世界にも存在していた物だが、同時に何か違和感がある。風見鶏とは即ち風向きを見るための装置であり、風がどの方角から吹いているのかを視覚的に表す。

 つまりは東西南北を示す物があるべきなのだが、それは全く無い。

 更に風に揺れる木々とフルベの風見鶏の動きは全く一致していない。風見鶏はその構造上、風上に向かって鶏の頭が向くようになっている。今、鶏はブリッツの方を向いているので風上は彼の方なのだが、現実の風とは全く異なっているのだ。

 ただ風向きを教える物では無いのか。

 フルベが有する唯一のスキル、それの効果が何一つ分からぬ私。

 そんな私を驚かせることをフルベは告げた。


「一か八かでしたが……現状風は俺たちに味方してるッスね。風上はこっち、風下はそっちッスよ、ブリッツさん」

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