第35話 君子危うくも近うよれ 後篇

『それでは一先ず――さようなら』




 まじかよ、こいつ……


 オボロの言葉に私は驚愕するのは至極当然。思わずオボロの顔を見上げると、彼女は心底面倒な感情と冗漫なやり取りへの飽きを混ぜ合わせた表情をしている。

 フルベ達やグモウが必死で制止の声をかけるが、オボロの足並みは決して止まらない。グモウの背後に居る負傷兵達も銃を構えるが、しかし発砲命令が出ていない為にグモウとオボロを不安な様子で交互に見ている。


 憔悴を見せるグモウにオボロは再度告げる。

「言っているだろ、撃ちたければ撃て」


 この瞬間、私はオボロの思惑を悟る。

 彼女の行為は人質である長耳族を危険に晒す。

 しかし極論して考えれば人質の生死を考慮しない者が居るなら、人質は適切な効果を発揮しない。

 並びにグモウがもし長耳族を殺せば、その時点で彼を守る存在は消失する。子供だって理解できる理論だ。

 人質は生きているからこそ、意味がある。

 グモウは最強の盾を獲得したが、同時に対峙する相手によっては自らの策を無に帰す楔を打ち込んでいたのだ。

 

 グモウは人質である長耳族を殺せない――しかし、オボロが強引に奪還に移れば話は変わる。 

 人質の効力が消失したとなれば、グモウは力ずくでこちらを制圧する。向こうに居る兵士達が装備する銃が火を吹けば、導かれる結論は一つ――銃弾飛び交う大乱闘。

 驚異的な再生能力を有すオボロと、彼女に抱かれる私には危険は無い。しかしフルベとベルモンド、そして長耳族達の安全は担保できない。

 長耳族に被害が出れば、この森に住む彼女達との関係値は最悪になる。中立派だの言っているが、魔族の住まう領域と森が近い以上、関係悪化は魔王軍の痛手になる。

 そしてフルベとベルモンドに何かあれば、当然ニアリの心象を悪くする。あの性格からして、束縛の強い彼女だ。二人に怪我があれば、その要因を作ったオボロにしわ寄せが来ないとも言い切れない。  


 今回の原因が長耳族側にあったとしても。  

 フルベとベルモンドが強制された訳でもなく、仕方なくオボロと同行したとしても。

 事態の打開のために二人に何かあったとしても。  

 人の感情とは、そうした理論的な事例に冷静になれる程に機械的ではない。それこそ人が生物たる所以でもある。


 最早、場を制止はできない。

 何もできない私は黙って事の成り行きを見守るしかないのだ。


「テメェ……なに考えてやがる?」グモウは鼻息を荒げて問う。

「冗漫と虚飾は好かんだけだ。むしろ貴様こそ、なにを先程から子犬の様に吠えている? 猿芝居など滑稽なだけだぞ」

「……猿芝居だぁ?」グモウは眉を顰める。


「慣れぬ事を、さも当たり前の様に行うものではない。貴様の思惑など知らぬが、己の粗野な外見に倣い己の心を堕とす真似をするな」

 オボロの燃えるような緋色の瞳が、グモウの煌めくも鋭利な金の瞳を真っ直ぐに見据える。

 自分が底に秘めた隠し事を見透かす彼女の瞳。

 嫌いな瞳だ。私は幾度となく顔を背けてきた。


 しかし『己の外見に合わせて己の心を堕とすな』か。

 私はオボロの言葉を心の中で自然と反復させる。

 その言葉は私にも当然深く突き刺さる。何故なら、私もまた己の醜悪な外見に心を付き合わせた同類。生き方も思考も何もかもを捻じ曲げ、本心など口にしなかった。


 ハッ――私は心の中でオボロの言葉を嘲笑う。

 随分と高潔な説教だ。

 流石は悠久の年月を生きてきた人外者、言う事が違う。

 人間の本性を理解してない物言い、あっ晴れですな。

 しかしだね、オボロ。

 それは何とも気持ち悪いではないか?

 外見と中身が不相応なのは、気持ち悪いだろう?

 美しいモノは綺麗。

 汚れたモノは汚い。

 それこそ、あるべき姿だろうさ。

 私はそう思って、オボロの言葉を掻き消す。

 ――でないと、私の木端な誇りが崩れそうだったから。


 私が必死にオボロの言葉を否定する一方で、グモウは黙って睨みつけている。

 やがて忌々しい彼女の瞳に舌打ちをし、自分の思惑がオボロに気付かれているとしても、彼は変わらずに長耳族へ拳銃を突きつける。 

「大層な説教どうも。生憎子供じゃねぇんだ、そんな言葉で絆されるとでも思ったか?」

「絆す? 我は思ったことを述べたまでだ。しかし貴様がそう感じたのなら――案外に情に厚いのだな」


 オボロはニヤリと笑う。

 ソレはグモウの引き金になった。


「テメェ――ッ!?」

 オボロに我慢ならずグモウが拳銃を彼女へ向ける。

 刹那――瞬時にオボロの尻尾が伸びると、刃の如き先端が拳銃も持つグモウの腕を切断する。

 そのまま尻尾を長耳族に巻き付け、強引にグモウから引き剥がす。

 あまりの早業。

 グモウはおろか、兵士達やフルベ達も反応できない。

 いや兵士達は僅かに反応していた。

 しかし、彼等の発砲はグモウの残る片腕が何故か制止を命令していたのだ。


「殺すには惜しいが、こちらも急ぐ身だ。代わりに痛みを感じさせずに一瞬で逝かせてやる」

 オボロの口の周りを炎が急速にちらつき始める。


「――俺の後ろから離れろッ!」

 グモウの怒声が響き、兵士達が大急ぎで逃げた瞬間だ。

 オボロの口より発せられし灼熱の焔が、グモウだけを呑みこむ。超高温の炎は空気を焼き、獄炎の音色が森に木霊する。

 紅蓮の色が夜闇を照らし、場違いな夕暮が森の樹木を真っ赤に染め上げる。炎の音と輝きに驚いた鳥達が木々から飛び立ち、小動物が茂みを駆ける様はまるで朝日の到来。

 時間にして僅か数秒。

 グモウだけを焼き、兵士達や陣地の天幕、森の木々に一切の焼け跡を残さない焔が消えていく。

 グモウの姿は無い。

 骨も灰もなに一つ残さず。

 彼がこの世界に居たという僅かな残滓さえも、残さずに消してしまう程の炎。指揮官の焼失に部下の兵士達は力無く尻餅をついて戦慄く事しかできない。


「――嫌な気分だ……この様な事で炎の出力調整など学びたくは無いな」

 口周りの残り火を腕で擦り消し、オボロは複雑な声音で呟く。彼女が炎を吐いたのは三回。そのどれもが、人間を対象にした攻撃。

 致し方無いとは言え、命を奪う事への悦びを持ち合わせないオボロには辛い局面ではあった。


「そんな……グモウ指揮官が……」

 炎の直撃こそ浴びなかったが、指揮官を失った兵士達は完全に戦意を喪失していた。元より怪我人である彼らは戦える状態では無く、グモウの命令で銃を構えていたに過ぎない。

 今の彼らは脅威にならない。

 しかし長耳族は違った。

 彼女達が懐から短刀を取り出すと、帝国兵士達は明確な死の訪れを耳にして怯えた瞳を向ける。何人かは逃げようとしていたが、負傷兵たる彼らの足取りは覚束ない。

 

 フルベとベルモンドは長耳族を制そうとしない。何故なら、この森は長耳族の縄張り。魔王軍が管轄する土地で無い以上、長耳族の意向を無視する行動はできない。

 可哀想だが仕方ない。私もまた、そう思ったのだがオボロは違った。


「何の真似だ」

 長耳族がギロリと鋭い視線を向ける。

 一歩進み出そうとした彼女を、オボロの尻尾が邪魔をしているのだ。

「別に殺す理由も無いだろう」オボロは不機嫌だ。

「この森は我らの住処。魔王軍であろうと、我らの行為を邪魔するのは止してもらおう」

  

 その言葉にオボロは心底不機嫌を極める。そして長耳族を尻尾で制したまま、帝国の兵士達へ大口を開ける。

 鋭く並んだ鰐の様な歯、蛇の如く先が割れた青い舌を見せる理由は威嚇。極めつけに炎を口の中でチラつかせてやると、帝国兵士達は恐怖の余り一斉に逃げ出した。

 逃がすものかと長耳族が追いかけようとするも、やはりオボロの尻尾が行く手を阻む。


「我は無性に機嫌が悪い。我が儘で身勝手な長耳族が居るからだ」

 オボロはそこで烈火の如く燃える緋色の瞳で長耳族達を睨みつける。

「我は連中を見逃してやった。如何に敵であっても、戦意の無い者を殺す程に我は冷酷でない。奴らを殺したいのなら、我を御してみせろ」


 僅かな沈黙。オボロと長耳族が互いに睨み合い、両車共決して譲らない。

 一触即発の雰囲気。これを解いたのが、フルベとベルモンドだ。

「ま、ここはオボロちゃんに従うべきッス。正直言って勝てる相手じゃないッスよ」

「それにこちらは無事に仕事を全うしたのだ。貸した借りはすぐに返すのが長耳族。ならば、この場は引き下がってもらおうか」


 二人の言う通りだ。

 こちらが首を突っ込んだとは言え、オボロにフルベとベルモンドが居なければ彼女達は窮地に陥っていた。それに長耳族の性格は先のクラムネルとウィリアムとの戦いの時の様に借りはすぐに返す主義。  

 身勝手な長耳族と言えど、こうも言われれば流石に引き下がるしかない。

「分かった……良いだろう」


 渋々と言った表情で長耳族は従う。

 しかし、何と言うか本当に偉そうな種族だ。彼女達から礼を聞いた記憶が無い。

 まあニアリやケレブを見るに長耳族全体が同じと思わないが、流石に癪に障る。現状、魔族の中でも嫌いな種族第一位である。


「あ、あの、助けてくれてありがとうございます」

 グモウに人質にされていた長耳族がそう言うと、ペコリと頭を下げる。

 そう言えば、唯一彼女は先の一触即発の雰囲気でも長耳の側と同じ様に睨んだりせずに、不思議にも逃走する帝国兵達を見つめていた。

「急いで砦に戻って下さい。こちらは囮、アーベントッド率いる本隊とブリッツは砦攻めを行っている筈です」

 

 長耳族のその言葉に、私達は本日何度目かも分からない全力疾走を強いられる事となった。

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