第33話 君氏危うくも近うよれ 前編
『醜悪な皮で隠したのは己の醜き羨望』
夜空に暗雲が広がる。月と星を覆う嫌な色をした雲の群れは嵐の到来を告げんとしている。再びオボロの両手にしっかりと抱きしめられた私は、樹木の伸びた枝葉の隙間から見える夜空に雨の予兆を感じる。
都会生まれ都会育ちの私であるが、天気の急変にはそれなりに機敏な反応を持っている。もっとも、自然に囲まれて育った健康的諸君達には劣る。
ただし私が居る場所の季節が春であるなら、荒天は無くもない話であろう。春の嵐なんて言葉があるぐらい、春という時期は天候が荒れやすい。
雲量や風の強さや温度から荒れ具合を割り出せる程の知識を持ち合わせては無いが、早急に事を済ませねば面倒であることに相違無い。
森の中を駆けるオボロも、追走するフルベを置いて行かぬように速度を緩めている。だが緩めているとは言え、オボロの速さに追い付けているだけでも凄い。
加えて持久力も高い。休み無しの全力疾走など、私であったら五分も持たない。足が移動の基本である今の世界において、ぬいぐるみとして誰かに運ばれるのは幸運だ。
「フルベ、速度を少し上げるぞ」
「りょ、了解ッス!」
グッと速度が上がる。風に吹かれる私の長い兎耳は、強風ではためく旗の様だ。
おおっ、これは凄い。
坂道を自転車で降りている気分だ。
自転車を乗り回した青臭い学生時代を私は思い出す。
声が出せれば、確実に私は歓喜していた。
しかし、浮かれ騒ぐ場合では無い。
帝国に捕らえられた
向こうでは『役職持ちのハインツ・ブリッツ』『転生者のグモウ』、そして指揮官のクラウス・アーベントッドが待ち構えている。
底を見せていないブリッツ、詳細が殆ど掴めていない指揮官二名――流石に容易く突破は出来ない。
長耳族のケレブ達の応援も望めない以上、こちらはオボロの頑丈さで敵を混乱の渦に陥れるしかない。その隙に長耳族を救出し、速やかに撤退が理想である。
オボロに抱かれたまま、銃弾と怒声の飛び交う戦場に身を置くのは非常に不安。しかし、私も私でそれなりに腹を括っている。
「――ん?」
先頭で疾走していたオボロが急に足を止める。あまりにも突然且つ速度の余韻も無く(ピタリと)止まったので、慣性の法則に則る私の身体が前へ飛び出しそうになる。
「ちょ、ちょっとッ! 急に止まっちゃ――」
急停止したオボロに反応が遅れたフルベは、勢いを消しきれずにそのまま彼女の背中に軽く衝突。
ただオボロの体幹は凄まじく、体格の良いフルベに体当たりされても身動ぎ一つしない。むしろフルベの方が衝撃で尻もちをつく程だ。
「ッッ……あれ、ヴァルガさんじゃないッスか」
尻を擦りながら起き上がるフルベが、オボロのすぐ前に立つヴァルガに気づく。オボロが急に止まったもの、ヴァルガが前方に飛び出して来たからだ。
夜に溶け込む真っ黒な装いのヴァルガは、懐から紙を取り出してフルベに向ける。取れそして読めということか。
しかし今は急がねばならぬ身故に、手紙を読む暇など無いと私は思ったのだが、フルベは律儀に受け取っている。
「読んでいる場合か?」オボロが腕を組んで不満を言う。
「ヴァルガさんの手紙は、確実にモル爺が差出人ッス」
丁寧に折り畳まれた手紙をフルベは広げる。
「モルゲンラッグか……勝手に外へ出た事がバレたか」
まあ、流石にバレるか。
オボロだけでなく、フルベとベルモンドも砦には居ないのだ。これで気付かれない方が不思議な話だ。
さて気になるのは手紙の内容。
私が推測するに『早急に砦に戻れ』とかだろう。
モルゲンラッグは私達が長耳族の救助の真っ最中とは当然知らない身。一方で魔王軍はこの森から即時撤退をしている。
魔王軍が組織の形を保っている以上、足並みを乱す輩は断固として許さない筈だ。
しかしモルゲンラッグの事だ、私達が何も言わずに外出をした理由を察知している可能性も否定できない。
オボロはともかく、フルベやベルモンドが無断で持ち場を離れた以上、不測の事態が起きたと気付いてくれるなら柔軟な対応も見せるだろう。
「何て書いてあるのだ?」オボロが催促する。
「――モル爺は先に帰還して、砦にはノーヴァンさんが残ることになったッス。無断外出の理由が何にせよ速やかに事を済ませて帰還しろ……あと、三人仲良く説教ッスね」
「説教だと? 何故だ、我は悪い事をしていないっ!」
オボロは不服を申し立てる。
そりゃあ、まあ、人助けはご立派ですよ。
だがオボロさんよ、組織の一員である以上は独断行動は許されないんですよ。各々が好き勝手に動けば、それは組織という一つの形を保てなくなる。
むしろ説教で済むなら安い。
危険が差し迫る最中での独断行為など、始末書どころか自宅謹慎になっても不思議では無い。魔王軍が如何なる組織かは依然として不明だが、今回の行為でノーヴァンに弱みを握られる可能性だってある。
だからこそ、今は長耳族の救助に全力を注ぎ、全員が無事に帰還する事が最優先。帰ったら私も含めた四人で説教を受ければ良い。
半ば巻き込まれたにしろ、最初に長耳族を助ける判断をしたのは私だ。当然私にも汚点はある。
不服なオボロを何とか宥める私は、そこで強烈な視線を感じた。釦の目を向けると視線の主はヴァルガで、頭巾の下に隠れていた顔を私は初めて目の当たりにする。
人間や魔族の皮膚を継ぎ接ぎした覆面。映画作品の中でしか見ないその異形さは、私に悍ましき恐怖と許容の出来ぬ嫌悪感を覚えさせる。
だが往々にして、こうした覆面をつける者は常人の理解など及ばぬ理由を持っている。
それが憧れにしろ、憎悪にせよ、嫉妬にせよ、羞恥にせよ――私のような人間が簡単には踏み込んではならない。それでも好奇心を掻き立てられる要素だが、何とか私は自分の心の中に巣食う好奇心と言う名の悪戯好きの子猫を抑えつける。
「……内容は確認したッス。そんじゃ、モル爺の警護は任せたッスよ」
フルベの言葉を聞いて、やっとヴァルガは私への強烈な視線を外してくれる。立ち去る寸前にヴァルガは人差し指をフルベに向けた後、そのままの手で自分の右胸の辺りを二回つつく。
うーん、分からん。
多分手話なんだろうが、如何せん私は勉強不足。
それに、この世界での手話は私の生きていた世界と同じでは無い筈だ。それでも手話に熟達した者なら、ある程度推測出来たりするのだろうか。
まあ、如何に言語が違えどある程度の法則性はあるだろう。
人差し指を向けるのは――自分の意思を伝えたい相手。
右胸を突いたのは……心臓?
――連想できるのは死に直結する危険?
――故に注意しろ?
つまりは気を付けろ、と言う事なのだろうか。
「大丈夫、なんせオボロちゃんが居るから問題無いっスよ」
フルベの返答からして、概ね私の推測は当たっていたようだ。
少し不安気なヴァルガだったが、こちらに手を一回振ると素早く森の中を駆け抜けていく。凄い速さだ、全力を出したオボロと互角なのは間違いない。
「さて、じゃあ行くっスよ。件の湖までもうすぐッス」
フルベの言葉を待たずして、オボロは駆け出す。フルベも急いで走り出す。
夜空を完全に覆った色の悪い厚い雲は既に雨の気配を孕んでいる。風を感じれぬ私だが、オボロに抱かれながらに見る森の木々の枝葉の揺れから強い風が吹いていることに気づく。
嵐の前には冷たく強い風が吹く。空に浮かぶ分厚い雲からしても、雷を伴った土砂降りの雨が今にも夜空から降り注ぎそうだ。
「オボロちゃん、オボロちゃん! もうすぐ湖ッス! 速度抑えて、ここからは静かに行くっスよ」フルベが声を抑えてオボロに制止を求める。
ただでさえ灯りの無い森の中、加えて唯一の光源である月や星も隠れている。しかし木々の隙間から僅かに人工的な炎のちらつき、さらに目を凝らしてみると僅かだが湖の水面が僅かに見える。
帝国の陣地に近づく為にオボロとフルベは息を殺して身体を木々に隠し接近する。
抜き足、差し足、忍び足。さながら泥棒の如く、そっと茂みの中に身体を隠して太い樹木の裏から顔だけを出して周囲を見やる。
帝国の陣地は境目用の幕が立てられており、その中に設置されている天幕の上部が微かに出ている。外周には等間隔に松明が灯されているが、見張りの歩哨の姿は全く確認できない。
違和感。
何か変だ。
魔術石での通話からして、厳重な警備体制を敷いている筈だと思ったが妙だ。
陣地内で待ち伏せをしているのか。
いや、それにしては僅かな音も聞こえない。
不穏な雰囲気に私とオボロ、そしてフルベは互いに顔を合わせて小首を傾げる。
「どうするのだ。我が一気に攻めようか」
「……いや、なんか変っス。一先ず、ベルモンドさん達と合流したいッスね」
ベルモンド達が何処に潜んでいるのか。
フルベが探そうとした時だ――
「何時まで隠れているんだ? こっちはとっくに気付いてるぜ?」
その声は聞き覚えがある。あの時、魔術石越しにクラムネルを呼んだ男――グモウだ。
同時に軍服を纏った彼が陣地から出てくる。
グモウは長耳族の首に前から腕を回しつつ、もう片手に握った拳銃を彼女のこめかみに突きつけていた。
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