第32話 千載一遇来たりて好機

『好機を急いた者ほど』

『――好機の落とし穴に気付けない』




 クラウス・アーベントッドは魔術石を机に置く。彼の右手にある小型銃の銃口からは発砲の残滓たる細い煙が揺らめいている。

 挑発を受けたオボロ達は、一直線にこちらへ向かってくるだろう。ここからは時間の速さが物を言う。如何に連中との接敵を回避し、あの砦を攻めるか。限られた条件と手札を以て目標を攻略するべく、脳内で無数の思案を重ねる行為をアーベントッドは何よりも好んでいた。

 元来人間とはこうあるべきなのだ。

 思考を張り巡らし――己の経験則・過去の事例・敵方の心理状況・環境と物量、全てを動員して事にあたる。

 しかし如何に策略を巡らしても、戦場は魔境の地。双方の数や質が違えど――勝負の行方は運が決する。

 なんと崇高な行為か。

 これこそ人間が大昔から培ってきた戦いの興奮。

 各人の頭脳と肉体のみが許される大舞台。

 

 だからこそ――魔術が憎たらしい。

 だからこそ――役職クラスが憎たらしい。

 だからこそ――スキルが憎たらしい。

 だからこそ――魔族が魔物が憎たらしい。


 あんなモノ、純粋な人間同士の崇高な戦闘を穢す不要物でしかない。本来、人間の世界に居てはならない存在。

 だが――その強さと素晴らしさには、不服だが認めるしかない。帝国が役職持ちを雇用し、魔術の使用を限定許可した時こそ怒りを覚えたが、確かにあれ等は便利だ。

 故に人はその力を手にするべく、研鑽と研究を何億と繰り返す。

 魔術師、魔族・魔物、役職持ち、そして転生者。

 君達が全員消え去るまで、そう時間は掛からない。

 アーベントッドは整った顔つきに歪んだ笑みを貼り付ける。

 そして自分が撃った――憎たらしき存在に向かって口を嘲笑う様に開く。


「情でも湧いたのか、グモウ特任指揮官殿?」

「……ハッ、まさか。単純に傷つける必要は無いだろって話だ」

 椅子に座らされた長耳族エルフの前で立ち上がったグモウ。左肩は噴き出した血で真っ赤に染まるも、彼は全く意に介していない。


 アーベントッドが発砲する瞬間、彼に椅子から転げ落とされたグモウ。咄嗟に蛙の様な不格好な飛び込みで放たれた銃弾から、長耳族を庇ったのだ。

 

「何事だ――! グモウ、その傷は――」

 銃声に気づいたハインツ・ブリッツは、天幕内に入ってきた否や駆け寄る。更に敵襲と勘違いした殿部隊の一部が銃を担いでブリッツの後に続いてくる。

 天幕の外が騒がしい事を鑑みるに、束の間の休息をしていた兵達を飛び起きた様だ。

 これ以上騒ぎを大きくするのは芳しく無いと考えたのか、グモウは駆け寄ったブリッツを制しつつ、状況を掴めきれていない兵達に戻るよう指示する。

 納得をしていない者、アーベントッドの鼻につく物言いを嫌う者等々、碌な訓練も受けていない新兵以下である彼らの一丁前な兵士面。グモウの指揮する兵達によく見られる光景であると、アーベントッドは記憶している。

 軍略の才は微塵も無い癖に、人心掌握に関しては輝くモノがある。

 だからこそ、転生者の存在はより目障りだ。決して自分の得手と同じ役職を持つわけでは無いのだから。


「クラウス・アーベントッド指揮官、グモウ特任指揮官を負傷させた件について、申し開きがあるなら述べてもらおうか」ブリッツは静かな声であった。

「私は長耳族を撃ったのだが、愚かにもグモウ特任指揮官が射線に侵入した。これは事故だ、ハインツ・ブリッツ特務兵」


 アーベントッドの言葉の真偽をブリッツはグモウに尋ねる。グモウは即座に頷く。

 当然だ、それが真実なのだから。アーベントッドが長耳族へ発砲し、その射線上にグモウが侵入した。それ以上でもそれ以下でも無い。

 これが指揮官同士ともなれば軍法会議ものだが、グモウは特任指揮官。部隊の指揮権行使のみを許され、それ以外の権利は兵士と同じ。

 特務兵であるブリッツも、戦場では最上の権力を持つ指揮官相手には一切の反抗も不可能。


 しかしハインツ・ブリッツ、彼は随分と人が変わった。アーベントッドは小型銃の装填を行いながら、何か話し合っている二人を横目に見ながらに思う。

 かつての彼は命令に忠実且つ確実なる業務の遂行、何より指揮官や兵士同士のいざこざに首を突っ込む性格では無かった。元々帝国出身の人間では無い上に役職の特性から、帝国国防軍の基本中の基本である部隊単位で歩調を合わせることができずに、単独行動の多い彼だ。

 そうした経緯故にブリッツは荒波を立てず、無口を徹底した事で、帝国の指揮官からは疎まれつつも非常に有用な駒であった。

 だが、グモウや他の転生者が帝国に与してからブリッツは少し性格が変わった。口数は依然として少ないが、彼らとはそれなりに話している光景を頻繁に見る様になった。

 やがて役職持ちを集めた特務部隊が誕生すると、ブリッツはやけにグモウについて回る事が多くなっていた。任務には真面目だが、その怪しさは国防軍としても危険視している。

 何せ軍により政権を掌握された帝室を、転生者達が奪還しようとする噂が流れている。真偽の程は定かでないが、グモウと距離の近いブリッツも要監視対象として名を連ねている。

 

 魔王軍を壊滅させ、魔族を完全に支配下に置いた時、真っ先にハインツ・ブリッツは刑に処される。を持つ彼だ、軍部の独裁を転覆させない為にも彼の様な静かなる反発者は消しておくのが吉。

 ならば、今の内に使い潰してやろう。

 銃の装填を終えると、アーベントッドは大きな声を上げてグモウとブリッツに注目させる。


「これより、この森にある魔王軍の砦を攻略する。それに伴いグモウ特任指揮官、貴殿の殿部隊を今より私の指揮する三番隊に編入させる」

「ま、待て、何を言ってやがる? あいつらは碌な戦闘経験も積んでいない新兵だ。いきなり実戦、それも敵の本拠地を相手になんざ、無理に決まってる」

「貴様は莫迦か、私が指揮をする以上問題ではない。それに貴様のスキルとやらで、基礎的な戦闘方法は学ばせてあるだろう、問題は無い」


 転生者であるグモウが持つスキルに〝戦術論デラルテ・デラ・グエッラ〟がある。指を鳴らすだけで本来膨大な時間を掛けて積むべき戦闘技術を一瞬で叩きこませる。もっとも帝国国防軍の精強な部隊に比べれば子供騙しだが、それでも兵の使い勝手は幾分向上する。

 

「代わりに貴様には三番隊の負傷兵を与える。しっかりと殿の務めは果たしてもらおうか、グモウ特任指揮官。貴様がオボロ達を引き留めている間に私達が速やかに砦を落とす」

「あんな負傷兵で何が出来るんだッ!」グモウが叫ぶ。

「貴様はこれまでの戦いで死傷者を一人も出さずに帰還した男だろ。お手並みを拝見させてもらうが……ああ、その荒唐無稽な記録も今日で終わりだがな」


 どんな魔術ペテンを使っているか知らないが、いい気味だ。元来戦いにおいて、死傷者を一人も出さない事は無いに等しい。如何なる戦場においても死神は常に傍に立ち、こちらの魂を刈り取ろうと鎌を振りかぶっているのだ。

 多数の命を握る覚悟なくして指揮官は務まらない。

 己の誤り一つで無数の命が消し飛ぶ覚悟をしてこそ、指揮官は本気になるのだ。


「先程の会話の中にオボロ側に耳長、そしてフルベとベルモンドが居る事も分かった。今砦に居るのは老い耄れのモルゲンラッグと腰巾着のヴァルガ、そしてノーヴァン。更に銃声で耳長共も集まって来る」

 アーベントッドはグモウに近づくと、弾丸を受けて真っ赤になった彼の肩を掴んで言う。

「しっかりと職務を果たしてもらうよ」

 グモウの傷口に親指を突っ込み抉る。耐え難い苦痛の筈だが、グモウは悲鳴所か身体を震わせることすらしない。

 

「ハインツ・ブリッツ、貴様も私の部隊に随伴しろ。もしグモウ特任指揮官が時間を稼げない場合は、貴様にオボロの相手を任せる」

「ならば私がこの場に居た方が良い――」

 ブリッツの否定をかき消したのはグモウ。「いや、行ってくれハインツさん。こっちは俺一人で充分だ」

 

 そう告げるグモウの顔は暗い。

 己の死期を察したのではなく――アーベントッドの指揮下に組み込まれる新兵達が辿る決して良くない末路をグモウは予知していたのだ。

 しかしアーベントッドに逆らう事は出来ない。自分はあくまでも特任指揮官であり、純粋な指揮官と比べて権力は殆ど無いに等しい。提言をした所でアーベントッドの機嫌を損なうだけ、そこへブリッツが自分に味方をすれば彼の立ち位置も危うくなる。

 ただでさえ、ブリッツは目を付けられている。今この場で仮にも刑が執行されれば、こちらがに穴が開くだけでない。

 帝国は確実に破滅の道を辿る。それだけは回避せねばならない。




 アーベントッドとハインツ、そして三番隊に組み込まれた新兵達を見送るとグモウは即座に行動を始める。負傷兵の中から軽傷者と重傷者の内訳を取り終えると、重傷者一人につき軽傷者を二名以上充てて、全員が動ける様に手筈を進める。

 彼らには悪いが、どう考えても戦闘等出来ない。

 部隊は既に継戦不可能、殿の務めすら全うに出来ない。

 だが、こちらには切り札がある。グモウは椅子に座らされている長耳族を見る。まだ幼い彼女は身体を僅かに震わせつつも、こちらを鋭い目で睨みつけてくる。


「どうして……私を庇ったんだろう」

 長耳族は中期魔族語で何か呟いている。数百年前に生まれた言語であり、今の魔族達が使う公用語では無いが、長耳族はこれで日常的な会話を行っている。

 それ故に長耳族語とも言われている言語。

 どうやら転生者はこの世界で用いられる共通語は喋られるのだが、それ以外の言語となると習熟が必要になる。もっとも帝国や王国等の人間の国家に属する以上、共通語さえ分かれば不便は無い。 


「そりゃあ、お前に頼みがあるからだ」

 グモウが長耳族語で返すと、長耳族は驚いた顔をする。

 どうやら通じたようだ。中期魔族語は黙字が無いので発音自体は簡易、何よりグモウ自身元の世界から言語を学ぶ才には恵まれていた。

「その為に傷も手当したんだ。しっかりと仕事を頼まれてくれよ」


 仕事、その言葉を聞いて嫌な表情を浮かべる長耳族。 

 そんな彼女にグモウは頼みを告げる――前に、一言。


「悪いが共通語で喋れるか? 中期魔族語は勉強中でな」

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