第29話 狩人の歌 中編・上
『理性があろうとなかろうと』
『人は概して獣なのだ』
クラムネルの絶叫が森に響く。文字通り七転八倒、右目の深く突き刺さった矢の経験したくもない痛みにクラムネルは巨体を揺らして、地面をのた打ち回る。
激痛は彼の理性を崩壊させ、脳は痛みだけを身体に伝達させ続ける。暴れ回るクラムネルの太い腕の暴力が近くの茂みを吹き飛ばし、彼の部下達は情けない悲鳴を上げて逃げ惑う。
「――お前らも、逃げていないで戦え」
ウィリアムは連弩に両手で持てる程度の木箱を嵌め込むと、逃げ回るクラムネルの部下達全員に矢を撃ち込む。肩や腕など毛皮から僅かに露出した部分への狙い撃ち。素人目から見ても彼の射撃の腕は確かだ。
しかし、ウィリアムの真意が私は分からない。彼は肉壁の仕事は云々と述べて、クラムネルへ矢を放った。
肉壁とは、私の認識が正しければつまり弾除けと言う事だろう。ウィリアムの武装は遠距離に特化した武器種であり、オボロのような素早く接近する相手に不利と見える。
クラムネル達はオボロへの防護柵代わり、その彼らをウィリアムが攻撃する理由が見当たらない。
何か秘策があるのか、クラムネル達に傷を与える事で利益のあるスキルをウィリアムは持っているのか。オボロに抱かれる私は必死に考えを巡らすが、スキルへの知識が未熟な以上良い答えは見つからない。
そんな私の疑問を唐突に晴らしてくれたのは、オボロの近くでウィリアムやクラムネル達を睨む長耳族。他三人より大人びた印象の長耳族は、形の良い鼻をピクピクさせて何かを嗅ぎ取る。
「……興奮毒か」呟く長耳族は苦虫を噛み潰したよう。彼女はウィリアムの企みに気づいた。
「興奮毒?」馴染みの無い言葉に小首を傾げたオボロが鸚鵡返しをする。
「古来より暗殺を生業とした連中が使ってきた秘伝の毒薬だ。理性を失わせ、敵味方構わず攻撃をさせる獣以下に人を堕とす毒」
なるほど、私もウィリアムの企みを薄々理解した。
ウィリアムは先の言葉通りにクラムネル達を肉壁にする計画に変わり無い。だがクラムネルがオボロを前にして簡単に捕獲した長耳族を解放したことで、彼やその仲間達が死ぬまで肉壁の役割を全う出来ぬと判断したのだ。
或いは端から興奮毒を用いる算段だったのだろう。クラムネルの様な傍若無人の限りを尽くす人間というのは、引き際の判断が非常に上手い。それはオボロとの邂逅時点で私が彼に抱いた人間性だ。
そんな彼の悪運の良さも、ここで打ち止めだろう。私はクラムネルに起きた変化を見て察する。
先程まで痛みに呻いていたクラムネルは、銅鑼を滅茶苦茶に打ち鳴らしたような絶叫を森に轟かせる。興奮毒は全身を回り切り、クラムネルの左目は血の如き赤で染まる。
荒れ狂う獣の鼻息のように汚い歯の隙間から息を吐き出し、クラムネルは腰の刀を抜いた。
うわぁ、まるで断頭台の
同じくしてクラムネルの仲間達も興奮毒に支配され、血を湛えた如く赤い目を向け、各々が武器を構えて今にも襲い掛かってきそうだ。
「……これは骨が折れるな」オボロはそう言いつつも、不敵に笑みを浮かばせている。
腕っこきのウィリアムやクラムネル、そして個々は弱そうだが単純に人数の多い野盗達。オボロが強いとは言え、一人で相手するには荷が重いのだろう。
「オボロ、我らも共に戦おう。助けられた借りはここで返す」
大人びた長耳族は言う。義理堅い様にも思えるが、単純に自分達以外の誰かに貸しを作るのが嫌いなのだろう。
とは言え、オボロには有り難い事に変わり無い。
その筈なのだが、当の本人を見てみるとオボロは心底面倒且つ嫌なのか、露骨な程に眉に皺を寄せている。
「貴様らのお守りなど、我はやりたく無い」オボロからすれば、長耳族達は戦力にすら数えていない。
「大物はお前に譲ってやる。我らは取り巻きを相手する」
長耳族はそう言うと、懐から携帯用の
そんな装備で大丈夫なのか?
私の疑念はオボロも同じで、丈夫な作りではあるが間合いの短い小刀に呆れた表情で容赦なく文句を吐く。
「そんな、ちんまい武器でどう戦うのだ……」
「弓等の武器は連中に奪われたのだ。気にするな、下っ端の野盗に遅れはとらぬ」長耳族の瞳は確かな自信が垣間見える。
「それに我らの仲間がまだ一人、連中に捕まっている。帝国の人間に連れて行かれたのだ、奴から居場所を聞くまで逃げる訳にはいかん」
己の愚行を悔いる声の長耳族。彼女の小刀を握る手の力が一入強まったのを私は見逃さない。思い出してみると彼女はオボロを留めるべく、その旨を言いかけていた。オボロは特に何も考えていないようだが、この一件が想像以上に重大である事に私は気付いている。
問題なのは帝国に捕まっている事だ。
クラムネルの様な決まった勢力や組織に属さない人間なら未だしも、組織の中で最も大きい括りである国が相手になるのは厄介だ。ニアリの救助時とハインツによる襲撃は帝国側からの攻撃だが、今回は私達が自ら帝国に攻撃を仕掛けるのだ。
今までの話を聞くに魔族と帝国の仲は険悪であるが、だからと言って悪戯に溝を深めて良い訳でもあるまい。少なくとも、この世界における魔族側が人類の支配を目論んでいない以上、マリアナ海溝もかくやの深き溝を造れば――関係改善を諦める必要もあるだろう。
ただでさえ、おっかないハインツに目を付けられているのだ、これ以上首を突っ込むのは避けるべきだと言いたいが、私は声が出せない。
それにオボロも乗り掛かった舟と言った様子で、この調子だと最後まで関わる気だろう。
……そう言えば、私自身も心の中でそう言っていた。
やはり、後先を考えない発言は危険だな。元の世界で何度も犯してきた失敗に私は自然と自嘲する。
まあ、今の私はオボロあってこそ。
ここは彼女を信じて――腕の中で高みの見物とさせて頂こう。
「作戦会議は済んだか?」枝に腰かけ、退屈そうに足をぶらつかせるウィリアムが煽る様に尋ねてくる。律儀に待っていたのか、或いは自信故の余裕か。
そんなウィリアムに向かってオボロは不敵に笑いながら、ウィリアムを指さして高らかに宣言をする。
「ああ――この雑多で木っ端な連中を蹴散らして、貴様をぶっ叩いてやろうッ!」
「ほう――面白い、まっこと面白い事を言うなぁ?」
子供を相手するような声色のウィリアムが矢を放つが、敢えて外したのかオボロの足元から少し離れた地面に突き刺さる。放った直後に笛に似た音が鳴った事から、鏑矢の一種か。
私は瞬時に察する。
なるほど――これが、興奮毒に中てられた者達への戦闘開始への合図。
私の読み通り、既に数名の野盗達が構えも成っていない姿勢で走りながら吶喊してくる。だがオボロは動かない――既に長耳族達が低い姿勢で地面を舐めるように駆けていたからだ。
速い、あまりにも速い。
とても二足で出せる速さでは無い。
私がアッと驚く間に、長耳族達は野盗達を簡単に返り討ちにする。
相手の大きな武器の一振りを煙の様に回避。
片脚を支点に素早く身体を捻り、勢いを乗せた小刀で野盗達の首を深く斬り裂く。
華麗。
あまりにも華麗。
命が潰える瞬間を目にして、言う台詞では無いが――
野盗達の首から噴き出した鮮血はまるで花の様で――
降りかかる血すらも掻い潜り――三人の長耳族達が次々と真紅の花を咲かしていく。
ものの数秒で野盗達の数は半分になったが、依然として攻撃の手は緩みはしない。
興奮毒で理性を失った彼らには撤退すら許されない。
何より興奮毒は痛みすら忘れさせるのか、僅かに急所を外しながらも致命傷を負った野盗の一人が怯む事無く長耳族達へ襲い掛かる。
「――ッ! 首の皮一枚で襲い掛かるとは正に狂気よなぁッ!」
素早く間に入ったオボロが尻尾の一撃で野盗を吹き飛ばす。衝撃で頭と身体に永遠の別れを告げた野盗の身体は動くことなく地に沈む。
ふと見れば、そこら中に片手を失った者や今にも落ちそうな首をしている者もいる。
まるで『
感染こそしないが、武器を手にしているのが一層性質が悪い。確実に頭を胴体から離さない限り、動き続けるだけに処理に時間が掛かってしまう。
そして時間を少しでも掛ければ――クラムネルが巨体を揺らして太刀を振り回してくる。刀捌き等で無い闇雲に振るうソレはまるで暴風、いや全ての羽に刃を付けた扇風機。
仲間の野盗を巻き込み、迫る太刀をオボロは紙一重で潜り抜ける。薄紙一枚差し込めるかどうかの距離は、オボロに抱かれて絶対な安全圏に居る私に恐怖を植え付けること容易い。
オボロもすれすれで太刀を回避する事を楽しんでいるのか、やけにギリギリを狙っている。
勘弁してくれ。
生きた心地のしない連続に私は早々に弱音を吐きたくなっている。
「オボロッ! 遊んでいないで、そのデカブツを始末しろッ!」大人びた容姿の長耳族が怒声を上げる。
「我に指図をするなッ! 貴様らこそ、取り巻きの処理にどれだけ時間を要しているのだッ!」
長耳族達が討ち損ねた野盗をなぎ倒しつつ、オボロはクラムネルからの標的を一心に受けるように立ち回る。
この時、私はオボロに対する絶対的な安堵感に微かな不安を感じていた。今のオボロはハインツを相手にしていた時と違い、クラムネルに苦戦を強いられている。それも純粋な力とのぶつかり合いでは、今の所オボロに白旗が挙げられている。
何せこのクラムネルと言う男、外見からでも分かる溜め込んだ脂肪と肉の塊の身体にオボロの強烈な尾っぽの一撃が効いていない。僅かに身体を揺らしながらもクラムネルは姿勢を崩しはせず、むしろオボロの尻尾を捕まえようと太い腕を伸ばしてくる。
鈍重な動きなのでオボロはするりと抜けるのだが――そこを狙って樹上から矢が降る。
「便利まっこと便利な尻尾だなぁ? するりするりと……まるで鰻だ」
矢の雨を全て防ぐオボロの尻尾にウィリアムは悪態をつき、しかし獲物を甚振り舌なめずりをする様な醜悪な声。今の彼からすれば、自分の計画通りに
「ええいッ! 力で圧し勝ってやろうとしたが仕方ない――ッ⁉」
これ以上クラムネル相手に時間を掛ける訳にもいかず、オボロは上体を大きく逸らして大量に周囲の空気を吸い込む。ハインツの大盾を焼いた炎を吐くつもりだ。
如何に厚い脂肪と肉の盾で身体を覆っていようと、業火の炎の前には内側から盛大に焼かれて真っ黒焦げ。生物は体内を鍛えることは不可能だ。
しかし――それをウィリアムが制する。
息を吸い込み、口から炎をチラつかせるオボロに向けて放たれた矢。その鏃に何か付けられている事に気付いたオボロ。
刹那、彼女は両腕と尻尾で私を完全に覆い――間もなく両腕と尻尾越しの私の耳に劈く爆発が響いた。
「――ッ火薬……いや、この感じは魔力粉か、小癪な奴め」
苦しそうに咳込むオボロ。口からは黒煙が上がり、口元を中心に皮膚が大きく黒焦げにされている。爆発の衝撃で折れた歯を吐き飛ばし、唇に付着した煤を腕で拭う。
元から頑丈な上に驚異の再生能力を持つオボロ。既に彼女の顔にあった爆発の衝撃を知らしめる傷は消えている。
「ほう、聞いた通りの再生能力……いや、それ以前に随分と頑丈な身体だ。ハインツが手こずるのも無理はない。困ったな、まっこと困ったな」
その台詞に似合わずウィリアムは一抹も焦っていない。
そんな彼を、現状最高の切り札を封じられたオボロはやはり不敵に笑って返すのだった。
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