第28話 狩人の歌 前編
『空から女の子がッ⁉』
おい、おいおいおい――!
嘘だろ、嘘だろッ⁉
何考えていやがるッ、この
モルゲンラッグから外に出るなって言ってたろッ!
落下していくオボロに抱かれる私はありったけの怒りと文句を心の中でぶちまける。触覚こそ無い私だが、長く伸びた兎の耳から入る風の轟音と釦の目の視界一杯に広がる接近する森の木々。耳と目から得た情報から脳が私に落下に似た体験を身体に走らせる。
心の中でこそオボロへの怒りを吐く私だが、恐らく声が出ていれば長く無様な悲鳴を上げていた筈に違いない。絶叫系の乗り物が苦手な私だ、命綱も無しに砦から落下など失神しないだけで奇跡に近しい。
必死でオボロにしがみ付く私に対し、彼女は強く抱き返しつつ緋色の瞳を見開いている。勢いに任せて飛び出したものの、何も考えていないなど御免だ。
しかし流石はオボロと言ったところか。
緑を茂らせた木々の枝の中に侵入した直後、オボロは私を抱える片手以外を全て駆使し、複雑な迷路の如く伸びた枝葉を次々に飛び移り、落下によって生じた勢いを完全に消す。
枝を揺らし、葉を千切りながら、まるで猿の如く飛び移っていくオボロ。鋭い樹の枝は天然の刃物の筈だが、彼女の肌には傷一つ付いていない。あの柔肌の何処に、そんな頑丈性があるのか私には訳が分からない。
やがてオボロは枝に尻尾を巻きつけ、勢いでくるりと身体を回転させて地面へと着地する。落下の衝撃と彼女の跳び回る動きで完全にぐったりした私。一方のオボロは自分の
程無くしてオボロは再び勢いをつけると、力強い跳躍と共に森の中を縦横無尽に飛び跳ねる。
地獄の責め苦がいつ終わるのか。
何より外に出てよいのか、と規則にそれなりに忠実な私は焦っている。オボロの無断外出で、モルゲンラッグ達にもしもの事があれば責任を取れない。
もっとも、今のオボロを制止できる者は当然居ない。
脳を遠心分離に掛けた様に私の意識がぐちゃぐちゃに掻き回される中、真面目な私の聴覚が遠くから駆けてくる数人の足音と下劣な男の声がする。
正確には聞き取れないが時折挟まる男の下卑た笑いからして、芳しく無い状況。しかし確かここは中立派の
その答えはすぐに判明する。
枝から地上へオボロが着地したと同時に、茂みから一人の女が飛び出してくる。襤褸布を纏った金の髪と瞳、そして特徴的な横に伸びた長い耳。
間違い無い長耳族、それも服装の雰囲気からしてこの森に住まう長耳族。
そして彼女の後を追うように現れたのは三人の男達。不衛生な肌や髪、毛皮から見える傷だらけの肉体。
野盗か山賊か、どちらにせよ不埒者なのは確かだ。各々が手に持つ斧や剣は状態が悪いことからも、正規兵の類では無い。
「……なんだ長耳族か」
オボロは声の主の一人が長耳族だと分かると、あからさまに白けた反応をする。彼女が長耳族に好意的で無いことは既知の通り。
長耳族の方もオボロを見るや苦虫を噛み潰したような表情をしつつ、自分を追ってきた連中とを交互に見ている。
対する野盗達は唐突な闖入者の出現に、先程までの威勢を消し、鋭い視線で睨んでくる
「……ピョンちゃん、貴様ならどうする? あの長耳族を助けるか、それとも見過ごすか――どうする?」
わぉ、助けない選択肢が出てくるとは思わなんだ。正義の英雄様なら逡巡無く助けに行っているぞ。
それだけ長耳族に対する嫌悪感がオボロにはあるのだろう。私自身も今の所、長耳族にはそこまで好意的な印象は無い。ニアリを抜きにしても長耳族自体が部族事に主義や思想が違うとなら、彼女を助ける利は無いだろう。
しかしオボロが乱入した以上、ここで長耳族を見捨てるのは後味が悪い。何より乗りかかった船だ、首を突っ込んだのなら最後まで面倒を見る義務がある。
一応保険として野盗達が役職を持っているかスキルを使ったが、何も浮かんでこない。これならオボロは苦戦するまでも無い。
意を決し私が長耳族に腕を向けると、オボロは少し考えた後に言葉を返す。
「ふむ、見捨てるのだな?」
違ぇって。ほんと、偶に察しが悪くなるな。或いはオボロ的には、私に長耳族を見捨てて欲しかったのか。
しかし残念だが私にも良心ぐらいはある。
両腕でバツ印を作り私が否定すると、オボロは頷いて長耳族を守るべく臨戦態勢を取る。
その動作から戦闘の気配を察した野盗達が急いで武器を構えようとするが――遅い。
「悪いが、すぐに片付けさせてもらう。外出が長いとモルゲンラッグに面倒をかけるからな」
そう告げるや否やオボロは素早く跳躍。三人の野盗達の真ん中に着地し、白き鱗の尻尾を上げる。
一薙――鞭の様に撓る尻尾が、野盗達の胴体を直撃。
野盗達は短い悲鳴を上げ、まるで独楽の様に各々地面や木の幹へ吹き飛ばされる。絶命はしていないが、全身を激しく打つ衝撃に彼らは立ち上がる気力も無い。
この間、僅か数秒。
オボロは武装した野盗達を簡単に御してしまう。
「所詮は野盗、この程度だな」オボロは冷たく言い放つ。
やるべき事は終えたと言わんばかり。
呆然としている長耳族も、苦痛に呻く野盗達も一瞥すらせずにオボロが踵を返そうとした時だ。こちらの大立ち回りはかなり騒がしがったのか、遠くから数十の足音と共に茂みから出てきた山賊達。
「――なんだァッ、テメェらァっ⁉」
恐らくは親分格であろう、巨漢の男が目を丸くして銅鑼を鳴らしたような大声を上げる。でっぷりと蓄えた肉の身体と濃い髭と揉み上げの男の姿は、私に達磨を彷彿とさせる。達磨と言えば縁起物だが、この巨漢の男は非常に不衛生で、何より腰に装備する大きく湾曲した刀。
とてもじゃないが大願成就の縁起は感じられない。何より、その男の後ろには縄で捕縛された三人の長耳族がいるではないか。
流石に看過してはならないだろう。
私の思いはオボロ同じで、彼女は仕事が増えた事への面倒さと巨漢の男が纏う只ならぬ雰囲気に僅かに顔を悦に染める。
するとオボロの近くに居る長耳族がたどたどしい言葉で耳打ちする。
「あいつはクラムネル……転生者だ」
転生者と聞いて私はスキルを用いると、巨漢の男ことクラムネルの横に『
確証は持てないが、クラムネルの装いは正しく山賊と言った格好。流石にこれで騎士とか魔術師なんて冗談はやめて欲しい。
「強いのか?」オボロの興味はソコらしい。
「かなりの腕っこきだ」
長耳族の答えにオボロは満足そうにクラムネルへ緋色の視線を向ける。逆巻く炎を閉じ込めた双眸に、長耳族の言葉が嘘の如くクラムネルは情けない悲鳴を上げた。
外見からオボロを軽視していたのか、それともオボロの底知れぬ実力を彼女の眼光からクラムネルは敏感に察したのか。
答えは後者だ。この間でクラムネルはオボロの異様さを感じ取っていた。どんな魔族よりも恐ろしき双眸と、どんな獣よりも脅威的な尻尾。転生してから数十年の間に培った経験から、クラムネルはオボロが尻尾で三人の部下を倒したのだと察した。
驚異的な観察眼、いや――これこそ転生者が異世界で長く生きる為の処世術。取り分けクラムネルの様な無法者は危険に対する意識は格段に高い。命あっての物種、対峙する敵の力量を精確に見極め、早い段階で戦闘を避ける手を打つ。
組織に依存せず、好き勝手の殺戮や強奪を続けたクラムネルがお縄に掛からないのも、自分の有するスキル以外に持った天性の神的な危険予知があったからだ。
故にクラムネルは自分が今行える最善策を導き出す。教養こそ無いが、地頭は良いのだ。
「よ、よしっ! 分かッてらァ、こいつらは返してやるッ! 穏便に、穏便にいこうぜェ? 戦いで物事を決めるのは、知性ある生物のやり方じャねェさ」
憔悴しきったクラムネルは膝をついて、両手を上げながら所謂命乞いをする。狼狽える部下に声を荒げて長耳族を捕縛していた縄を切らせ、その後に部下達にも自分と同じ姿勢を取ることを強制する。
無論クラムネルも簡単に事が済むと楽観視はしていない。問答無用でオボロが襲い掛かる事も予測しつつ、出来うる限り刺激をしないように努める。いざとなれば刀を抜く準備は出来ているが、優先すべきは逃走の一択のみ。
自分は低俗な人間だと自嘲する笑みでクラムネルはオボロの顔色を窺う。無事に縄から解き放たれた長耳族はこちらに敵意を剥きだしているが、一方のオボロは既に冷めた目つきへと変わっている。
「……ふん」
オボロは落胆していた。ハインツにしても、クラムネルにしても未だに自分の全力を以て戦えていない現状に不満しかない。
八つ当たり気味にクラムネルを攻撃しても良かったが、戦意の無い相手と戦った処で面白く無い。無論、ここで彼を見逃せば再び長耳族を捕らえる可能性は大いにあるだろうが、知ったことでは無い。
今回は思わず首を突っ込んでしまっただけ。次があったとしても、長耳族から助けを乞わない限りは介入はしない心構えだ。何より今はモルゲンラッグに気付かれない内に砦へ戻る事が先決である。
「ま、待て、まだ我らの仲間が……」
興覚めして踵を返そうとしたオボロを一人の長耳族が留めようとした、その時。
闇から飛来する風切音。
鋭利な鏃を鈍く光らせた数本の矢が、オボロへ襲い掛かる。彼女は身を捩り尻尾を以て、全ての矢を強引に叩き落とす。
伏兵が居たのか。完全に虚を突かれた形だが、オボロの俊敏な反応で事なきを得た。私が矢が放たれた方向に目を向けると、枝葉に隠れていた狩人姿の男が僅かに見える。
「お前がオボロか。成程、確かに手強そうだ」
狩人姿の男の言葉に反応したのは長耳族とクラムネル。
「……ウィリアムッ……」
「居たのかッ!」
いつの間にかオボロの近くに居る長耳族が狩人姿の男を激しく睨み、怒りのこもった声で名を呼ぶ。一方でクラムネルの声は一縷の望みを手の内に手繰ったかのよう。
だが、ウィリアムは端から長耳族など眼中にない様子で独り言つ。
「今の装備では厳しそうだが、少し試してみるか……」
底しれぬオボロの力量に気づきつつ、枝葉に隠れるウィリアムは独特な形状の連弩を構える。彼から感じる強敵の雰囲気に私はスキルを使う。
『
確かにウィリアムの姿を見ても、古風な狩人然とした男である。
予想だにしない出現者にオボロは再び緋色の瞳を燃え上がらせる。
だが、次の瞬間――ウィリアムは私を含めてこの場に居る全ての者が思いもしなかった行動に出る。
「せめて、肉壁の仕事は全うしてもらおうか――クラムネル?」
ウィリアムが素早く放った矢はクラムネルの右目へと吸い込まれるように突き刺さる。
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