第26話 長耳族捕物帳
『彼女達の失策は――』
『グモウに潜む存在に気付けなかった事です』
時は宵、日は完全に沈み、夜の帳がゆっくりと確実に下りてくる。
鬱蒼とした森の枝葉は遥か天上の光の輝きが地上に降り注ぐ事を防いでいたが、僅かに空いた隙間から差し込む月明かりが幻想的な雰囲気に照らす。
人の活動は終わり、今より始まるは獣と魔族の時間。この森を縄張りにする中立派の
ニアリが無事に砦に戻った事を耳にしていた彼女たちは、森の中で好き勝手をする帝国や離れた所で傍観する王国がすぐにでも帰還をすると踏んでいた。なお帝国が魔族狩りを続行する事も考えられたが、それを見越して特に彼らに打撃を何度も与えている。
しかし、今宵も長耳族は安堵の出来ぬ夜を迎えていた。
猿の様に木から木へと飛び移り、狼の様に茂みから茂みへと素早く駆け、四名の長耳族達は森の中の侵入者を見張っている。彼女達はケレブ率いる警備隊の一つ。まだ若く日の浅い彼女達は現在ケレブ率いる本隊からの指示を待っている状態だ。
この森に住む彼女達の部族特有の鋭い刃物の如き金眼が睨む侵入者、その数は三名。
まず二名は見た事も無い男達だが、彼らの緑を基調とした軍服から長耳族達は帝国の兵と即座に感づいた。煙草を吸いながら歩く悪人面の男が付ける徽章から指揮官、彼の後ろをおっかなびっくり付いて行く軟弱そうな男は新兵だろう。
この森の事を知らない愚か者なのか、新兵の方は銃を持っているが指揮官の男は武装の類を持っていない。いや、そも指揮官の人間がそんな軟弱な兵を一人付けて森を歩くなど正気の沙汰じゃない。
この程度、彼女達であれば新兵に発砲すら許さずに殺せる。わざわざ本隊に伝令をするまでも無い。ならば、何故彼女達は森に入る愚かな不敬者を前に待っているのか。
それは指揮官の男の横を歩く巨漢の男の存在だ。不衛生に脂ぎった髪、伸びきったもみ上げと髭が一つに繋がった厳つい顔。熊の毛皮越しに見える身体つきは肉をたっぷりと付け、泥と傷で汚れている。腰には大きく湾曲した刀を抜き身で差しており、刀身は血と脂で傷んでいる。
この男を彼女達は忘れていない。
彼の者の名はクラムネル。『
その暴虐さ故に王国にある
この森に住む長耳族達も何回かは襲撃にあっており、彼の強さを悔しくも理解している。少なくとも今の人数では太刀打ちは出来ず、彼女達は一人を伝令として派遣しつつ待機を強いられている。
長耳族達から監視されているのを三人は気付いていないのか、全く警戒心の無い雰囲気でクラムネルと指揮官の男が喋り出す。
「悪いなァ、グモウの旦那、忙しいのに連れ出してよォ」
「構わねえよ、こっちも書類作業で疲れてたからな。気分転換に良い散歩だ」
グモウは紫煙を吐きながら嬉しそうに答える。
するとクラムネルはグモウに煙草を催促を始める。もっとも帝国の連中、それも指揮官の人間は総じて気位が高い。ただの野盗風情に高級な嗜好品の煙草をあげる筈がない、と長耳族達は思っていた。
しかし、グモウは気前良く煙草を差し出すと更に燐寸で火を点けてあげたのだ。
クラムネルは上機嫌に紫煙を豪快に吐き出しながら、会話を続ける。
「いやァ、旦那は最高だ。オレに仕事を依頼した奴なんざァ、オレをまるで塵を見るような目をしていたからな……ああッ、思い出しただけで虫唾が走るッ!」
クラムネルは八つ当たりに近くの茂みを薙ぎ払う。巨木の如き太い腕の一薙ぎで茂みが簡単に吹き飛ぶ。その光景を見た新兵が短く悲鳴を上げるが、グモウは顔色一つ変えない。
「俺が特殊なだけだからな、その反応も仕方ねぇさ」
「だけどよォ、自分達が逼迫してる癖にオレらを安い金で雇った上にあの態度だぜ? 確かにオレは学の無い屑だがよォ、それでも人に頼む態度じゃねェだろ」
「まあ落ち着けって。その為に、こうして足りない分の回収に来たんだろ」
「……そうだなァ。ヘヘヘッ、貰える金は少ねェが、長耳族をついでに捕まえられるなら、文句はねェか」下卑た笑いを上げるクラムネル。
やはり、か。彼らを監視していた長耳族達は想定していた連中の企みに呆れる。
古来より、その美貌から長耳族は幾度となく人身売買や奴隷商の標的になってきた。もっとも長耳族も魔族であることには変わりなく、運動能力や戦闘能力、更には魔術も使えるので簡単に捕まる事は無い。
それでも時として、優れた役職持ちによって捕らえられる長耳族も僅かだが居る。その末路の悲惨さは語るまでも無い。仮に逃げ出しても、誰かに捕らえられた長耳族はその時点で仲間外れにされる。高潔で魔族の中で最も優れた種族である認識故に、誰かのモノになるのは長耳族としての汚点だ。
この森に住む中立派の長耳族達も当然そのような手合いに出会ってきたが、全て返り討ちにしている。この森を熟知して卓越した連携を魅せる彼女達を相手にするな、とは多くの奴隷商や仕事を受ける者に戒めを焼き付けた。
連中の企みは分かった。
これ以上、彼らを好きなようにこの森を歩かせる理由も無い。
本隊の到着は来ていないが、時間をかけている暇は無い。完全に油断をしている今、一斉に矢を放ち三人を仕留めるのが得策だ。クラムネルは討ち損ねる可能性もあるが、一人にしてしまえば幾らでも時間は稼げる。
何より、自分達も早く一人前としてケレブに認めてもらいたい。
纏め役の長耳族が射撃の合図をし、残る三名がそれに従い矢を構える。四人はグモウ達を囲むように待ち伏せしており、四方八方からの矢の先制で少なくともクラムネル以外の二人を片付ける手筈。三人にそれぞれ狙う対象を指示してから、纏め役の長耳族も準備をする。
静かに弓を構え、矢を引く。狙うはグモウと言う指揮官の男。
いざ矢を撃とうとした瞬間だ、不意にグモウが立ち止まり――こちらを見つめて、紫煙を燻らした口を開く。
「――悪いが、その攻撃は通らねぇよ?」
刹那――纏め役の長耳族の向かいで聞き覚えのある声の悲鳴が上がった。揉み合う音と共に葉を散らし一人の長耳族が狩人姿の男に組み伏せられたまま落ちてくる。
クラムネルは素早く太い足で長耳族を踏みつけ拘束し、その間に狩人の男が独特な形状の連弩を構える。
「手筈通りにやるぞ――まず先に12時の方向、次いで6時、最後に9時だ」
鋭く肉を抉る痛み、そこを中心に身体の自由を奪う痺れが広がる。麻痺毒にある程度の耐性を持つ長耳族だが、毒の調合時の配分は多岐に亘る。この毒は彼女達も耐性を持たない。
それでも纏め役の長耳族はグモウに向けて矢を放った。せめて、一人だけは確実に仕留めようとしたが――
グモウの頭を精確に狙った矢は、突然方向を変えて地面へと突き刺さる。まるで何者かが、矢の軌道を強引に変えた奇怪な現象。
当のグモウも驚きはせず、刺さった矢をつまらなそうに見下ろす。
やがて全身に回る痺れで樹上に留まっていられず、三名の長耳族達は続々と落下する。すると遠くから一斉に駆ける音が聞こえ、クラムネルの部下である数名の野盗達が即座に麻縄で縛り上げる。
「おおッ、テメェら、ご苦労だなァ!」未だに長耳族を踏みつけながらクラムネルは部下を労う。
「結構走りましたぜぇ、疑心暗鬼でしたがぁ、成程この距離なら長耳族も気付かねぇのか。良い事を知ったぜ、グモウの旦那」野盗の一人がぶっきらぼうな言葉でグモウに礼を言う。
「ま、今回は俺らが囮になっていたからな。それに見た所……まだ若いな、もう少し苦労すると思ったが経験の浅さが出たな」
野盗達に縛られたまま歩かされた纏め役の長耳族の未熟さを見抜き、グモウは不運だったなと言いたげな表情で見つめてくる。彼のその表情が癪に障り、自分の愚かさも相まって悔しさから来る怒りで睨みつけるが隣に居る野盗に頭を叩かれる。
残る三名も縛り上げられ、その表情は様々。己の未熟さに歯を食いしばる者も居れば、怒りでグモウやクラムネルを睨む者、更には人に捕まり自分の末路を悟り静かに受け入れる者。
纏め役の長耳族にとって不幸中の幸いだったのが、彼女の判断を責める長耳族が居なかった事だろう。もっとも仮にいても、今更憎んだところで後の祭り。
「四人か、これで埋め合わせにはなったか?」グモウが新しい煙草に火を点ける。
「充分でさァ、肩以外に傷は
「造作も無い」ウィリアムは素気無く言葉を返す。
ウィリアム、その名前だけは聞いたことがあった。彼もまた『役職・
彼程の男であれば、気配に敏感な長耳族も気付けなかった事に頷ける。
つまり、自分達は最初から彼らの罠に掛かっていた。狩猟を主とする長耳族として、獲物を捕らえる罠に掛かるなど汚点以外の何物でもない。改めて自分の浅薄さを恥じる纏め役の長耳族は、その時グモウの後ろの茂みが揺れた事に気付く。
恐る恐るこちらを見るのは、伝令役としたまだ幼い長耳族。童顔の抜けぬ顔と瞳に恐怖を纏わせて震える彼女。一瞬本隊が到着したのかと思ったが、どうやら彼女だけ先に戻ってきたようだ。
そして運の悪い事にグモウが気付いた。彼は僅かに後ろを振り返り、それから纏め役の長耳族の方を見る。凶相に浮かぶ表情に変わりなく、グモウはしばし考えた後にクラムネル達には見られないように手で追い払う仕草をする。
見逃してくれたのか? 予想だにしていないグモウの反応に纏め役の長耳族は困惑しつつも、幼い長耳族にこの場から離れるように目配せする。
戦慄く彼女は今にも泣きだしそうな顔で頷き、背を向け駆け出したが――静寂を破壊する火薬の爆ぜる音が響く。
「命中精度に難があるな……技術局の新製品も実戦投入には早いな」
奇怪な銃をしげしげと見ながら呟く帝国指揮官の男は、背後に数十名の兵士を引き連れて姿を現す。兵士達に連れられた幼い長耳族は脚に銃弾を掠めたのか、服を鮮血に染めて苦痛に呻く。
「耳長を一匹見落としているな、グモウ特任指揮官殿?」指揮官の男の言葉にはあからさまな嘲りがある。
「そりゃあ、どうも、アーベントッド指揮官」
この森に展開する帝国国防軍、その三番隊の指揮官であるクラウス・アーベントッドは碧眼の瞳はこの場に居る全てを芥か塵にしか見ていない視線を向ける。彼がクラムネルの機嫌を損ねた男なのか、クラムネルは鼻息を荒くして飛び掛かりそうになっていたがグモウが抑える。
「狩りは楽しんだか
「へェ、帝国の方々も長耳族で楽しむんですかい?」クラムネルも下種な言葉で応戦する。
「穢れた魔族とヤル程にこっちは落ちていない。貴様らの様な最底辺は汚れ者同士で仲良くやっていろ。それと、しっかりと支払った分の働きはしてもらうからな」
アーベントッドは指を立てて、まるで生徒を叱る教師の様に言うと幼い長耳族を連れて森の中に消えていく。グモウはそこで連れていた新兵に、アーベントッド達に随行するように命令する。
クラムネルの腹の虫は治まる気配は無かったが、グモウに何とか宥められて渋々と言った表情で長耳族を連れて足早に去っていく。
本隊の気配を察知したのか、ウィリアムも素早く森に紛れ、この場に残るのはグモウだけとなる。
深い夜空を見上げながら紫煙を一吐きしてから、グモウは呟く。
「助けてくれたのか、どうもな」
グモウの礼に返す言葉は無く、しかし彼は何かを察して足早にこの場を去る。
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